思想系を糧に商売(情報商材系の商売)をすると、一時的にもてはやされても、必ず大地獄に陥るものです。
それはどうしてでしょうか。
この記事では、その理由をお伝えしますね。
タイトルでお察しかと思いますが、
「思想」というものを追求していけばいくほど、「エゴは肥大化する」ものなんです。
だから誰しも、思想を追求していけばいくほど、エゴは肥大化するものです。ましてや、その思想を糧に商売しようもんなら、エゴの肥大化速度は倍速どころか二乗速と言えるでしょう。
ですから、「〇〇で幸せになる」、「〇〇で成功できる」などの言葉文句を糧に商売している人たちは、一瞬栄光を掴んだとしても、あっという間再起不能な奈落の底に落とされることが道理で決まっているんです!
また、どうして落とされてしまうか……その理由は、簡単!
エゴを自身でコントロールできない状態になっているのにもかかわらず、またエゴによって自分が追いつめられていることにも気が付かず、エゴが要求してくる『もっと、もっと』に逆らえず、自分自身が『もっと、もっと』を繰り返してしまうからです。
↓詳しくはこの記事を読んでね↓
久しぶりにエゴネタです(笑)エゴというのは時として、自分でもコントロールしきれないくらい肥大化してしまう性質を持っています。常に魔物のように肥大化している状態… 『エゴを収束させる方法』 - いつの日も神社、時々たこ焼き。 |
では、どうして思想に執着した生き方をすると「エゴをコントロールできなくなる」のでしょうか。
その秘密について、ここから迫っていきますね♪
人間というのは、そもそも人間に備わった道理の上で生きているだけのことであり、そこに善悪は存在しません。
だって、私たち人間は、そもそも空気がなければ生きられませんし、地上がなければ生きられません。それに、食物がなければ生きられませんし、水がなければ生きられません。もっと言えば太陽の光がなければ、この地球は全滅です。
ですから「太陽あっての地球」というのは当たり前のことです。
また、古から続く太陽信仰は太古ゆえの思想ではなく、道理の先にある当たり前の行為です。
しかしながら快適な現代文明に彩られて生きている私たちは、すっかりそんな当たり前の自然の道理を忘れ、さらには自然の過酷さも忘れ、にもかかわらず誰しも生きていることが当たり前だとつい思ってしまいがちですが…そもそも当たり前に生きていることの方が奇跡なんです。
だって、そもそも人間なんて、私たちが思っている以上に儚い生き物なんです。
そうでしょ?
それだけなんです。人間なんてそもそも儚いものなんです。それだけのことなんです。
だから、死んだ瞬間に腐るんです。それくらい儚い生き物として私たちは生きているだけのことなんです。
そして、そんな極限を見つめた時、そこには善悪などそもそも存在などしようもありません。
ですから、私たち人間の生命の道理に善悪は、本当は存在しないのです。しかしながら私たちは、儚い生き物であるがゆえに群れる必要性があります。また、群れるからこそ、その群れを合理的に運用するために、初めて「善いこと」と「悪いこと」も出てくるんです。
つまり、人間社会の中にある善悪の基準のほとんどは、群れの合理性に基づくものと言えるんです。
そして、だからこそ、民族によって善悪が変わるんです。
たとえば、日本では正直が善だけれども、韓国では嘘が善であるように、群れによって善悪は変わるんです。
またこのように善悪が変わってしまう大きな理由は、群れと認識できる大きさによって変わるものです。
そして、この部分の違いは、波動の高低の違いとも言えます。
というのも、波動が高い人ほど群れを大きく捉え、波動が低い人ほど個を大きく捉える思考の違いがあるからです。
つまり、波動の高い人ほど、群れの基準が大きくなり、波動の低い人ほど、群れの基準は小さくなります。言い換えると、波動が高い人ほど、広い社会(地球規模・宇宙規模)での合理性を考え、波動の低い人ほど、その社会の大きさは狭くなり、気が付けば自分だけの保身のための合理性を考えるようになっていきます。
ちなみに日本的思考(循環思想)は、宇宙も含めた規模での合理性を考える傾向が強いですが、それ以外の地域はピラミッド型思想であるがゆえ、その規模は限りなく自己だけに向けられるものとなります。日本的思考と比べたら、圧倒的に狭くなります。
とはいえ日本も、明治からピラミッド型の思考を受け入れ、戦後においては幼少期の教育からそれが強固になっているため、日本人であっても日本的思考の根本が分からなくなってしまっている人がほとんどです。(もちろん私もその洗脳の中で生きた挙句、今があります。ですから只今、必死こいて模索しながら、日本人らしさを取り戻している最中です( ;∀;))
それゆえこの日本でも、個人主義が社会的に跋扈しています。そして私たちもそんな世の中で必死こいて生きていると言えるでしょう。しかも、誰かの介在なく日常を快適に過ごすことなどできないのに(電化製品もネット環境も誰かのおかげで使えているのに)、自分だけで生きているという勘違いを平気でしてしまいます。
またそういう思考が身についている私たちだからこそ、個人の幸せ探求とかいう馬鹿馬鹿しいことを目標にかかげのめり込んでしまうんです。
そして、生き地獄と言える奈落の底に多くの人が陥ってしまうんです。
………つづく。
なんか、本題入ろうと心では思っているのに、入れず長々と前段を書き続けてしまいすみません。
本題入る前の話が結構な具合で長くなってしまったので、一旦ここで記事上げますね。
続きは明日以降に書こうと思います。
それでも本題入れなかったらごめんね( ;∀;)
その時は連載だと思って気長に読んでね♪
それではまたね♪
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