昨日から続いている嘘つき考察の第三弾です。
では始めます♪
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以前の記事で、深田萌絵さんは似非スピ教祖さまと同じ傾向を持つ人だなと分析させて頂いたことがあります。
どこが似ていると感じたかというと…それはズバリ嘘つきであるということ。
教祖さまたちもこぞって、「みんなのために」という言葉を枕詞にして、自己利益のために邁進されていましたが、深田さんも同じように「みんなのために」という言葉を枕詞にして、自己利益のための邁進を現在実行中です。
彼らは自己利益のためなら、嘘でもなんでもOKの極悪非道の所業を繰り返してます。
しかしながら…なぜかそんな大嘘つきたちが、現代ではもてはやされる傾向があります。
一体どうしてそうなってしまうのか…ここ数日考えていたら、少し見えてきたことがありましたので、この記事ではこの部分について書いていきます。
昨日の記事でも書いたのですが、嘘つきの人の発言というのは荒唐無稽な矛盾が散見されるものです。
でも多くの人は知らず知らずのうちに、その荒唐無稽な話を信じてしまいます。
そして信じてしまった暁には、その嘘が作りだした虚像の世界から抜けられないという悲しい現実もつきまとうものなのですが……そもそもどうしてこのような事が起きてしまうのでしょう。
それは、矛盾も含めて信じてしまうから起きることなのだな…と、私は気が付きました。
矛盾というのは、つじつまが合わないことを指します。
数式で言えば、方程式と答えが間違っているものとも言えるでしょう。
先ほどの記事で、「1+1=3」という考えの話をしましたが、それと同じように答えを導く式と答えが一致しないということが矛盾を含む言論には散見します。
ですから、客観性を持ち合せて情報を見ている人は容易く矛盾に気が付くものですが……一方で、信者と呼ばれる人との思考では、真逆の事態が発生してます。
「1+1=3」のような間違った方程式を「正しい」と認識してしまう誤解が多発します。
そしてこのような誤解の上で成り立っている言論を信じると、必ず人は思考力が奪われます。
どうして思考力が奪われるかというと…それは、方程式が間違っているからこそ「自分で考えても分からない」ということが多発するからです
だからこそ、自分でも気が付かぬうちに教祖さまの考えに従うことしかできなくなっていくんだろう(自分で答えを見つけられなくなってしまうのだろう)と思います。
だから、思考力が奪われてしまうんです。
また、従ってしまうからこそ、カーナビに依存して旅しているのと同じような状態に陥りやすく…
↓カーナビ解説はこちらから↓
気が付けば一体自分はどこにいるのか、自分自身で判断がつかない状況にも陥っていきます。
だからこそ、より一層教祖の言葉に依存するようになっていき、教祖無しでは生きられない状況が増幅していくのだと思います。
また依存者である信者たちのエネルギーを教祖さまたちは吸い取ることに長けていますし、その行為に悪びれることもありません。
そして、信者が教祖さまに思考力を奪われ、依存し、エネルギー(金)を渡せば渡すほど、稀代の嘘つきと言える教祖さまたちは、軒並み神聖化していくようにもなります。
依存しまくった信者たちのエネルギーと熱量が、そのような変化をもたらせてしまうのだろうと思います。
怖いですね…(>_<)
つまり……「矛盾を事実としてしまうと、そこからミステリーが始まる」ということなのでしょう。
怖いですね…(>_<)
それから現代は道理を無視した常識が横行し過ぎているため、矛盾であるものが矛盾に見えないことも多いです。
それも私たちが思考力を奪われやすい大きな理由だと思います。
また矛盾が矛盾であるとすぐさま気が付くためには、何より自分自身が道理に基づいた生き方を実践することが必要だと思います。
その実践が、間違った方程式を気が付かせる糧になると思ってます。
嘘つきに思考を奪われないようにするためにも、お互い地味で地道な道理の中で生きていくようにしていきましょう♪
それではまたね☆
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今回の記事で「矛盾は思考力を奪う」と書かれているのを見て、なるほどと思いました。
深田さんや似非スピの教祖様だけでなく、矛盾で思考力を奪っているのはマスコミですよね。
むしろマスコミはそれを分かってやっているのでしょうね。
こんにちは。
そうです!マスコミがしていることも同じなんです。
道理に沿わない矛盾の連打によって、みんな思考力を奪われています。
やっている側は、ただただ自分を正当化することの目的が強いため、思考力を奪う手法として利用している側面は少ないのではないかと思いますが、結果として彼らの自己利益のための矛盾した行為が私たちの思考力を奪うことに繋がっていることを深く理解して対応していきたいですね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
そう、、、深田さんの嘘に気がついたのも矛盾がたくさんあったからです。
でもなぜか信者のひとは、既にそういう話を聞くこと自体にアレルギー反応を起こしていて客観的にものを見ようとしません😢
既に深田さんによって「深田アンチは中国人」という思考回路を与えられているので既に考えようとしません、
自分わからないことはわからないっていっていいって、、、何でそう思わないのかな?みんな無理して生きてるのかも。
こんにちは。
波動とエゴの側面から解説すると、意外に簡単に答えがでます。
そもそも「信じる」という行為は、エゴの思考と相性がよく「信じる」行為によって、エゴに思考が奪われやすいんです。
そして、エゴに思考が操られるようになると、情報と自分が一体化するようになるため、
↓詳しくはこの記事で↓
https://takehisayuriko.tokyo/2019/03/22/4478/
情報の間違いを指摘されただけのことなのにもかかわらず、自分が否定された思いに転化してしまうため対象者はいつも以上に感情的になります。
また感情的になればなるほど、エゴに操られるため、そしてエゴはどんな時でも自己正当化せねばならないという使命感を帯びて存在しているため、とにもかくにも「自分を信じたものを否定させない」という行動が強くなっていきます。
この辺のエゴのしくみを理解して論戦を展開すると、割合スムーズに物事は治まるのですが、思想を扱うジャンルでここを理解している人はあまりいないため、論戦がグチャグチャになりがちなのだろうとも思ってます。
この辺の事、改めて記事にしますね♪
それではこれからも宜しくお願い致します。
おはようございます。
カーナビの件で思ったのですが、問題の「カーナビを見ていながら道を間違いどこから間違ったかわからなくなる」一番の原因は、「常に自分が中心で進行方向は"上"のみ」で表示されることなのではないかと気付きました。
何か信者と言われている人達の行動様式と妙に被っている様な気がして、フフッてなりました(笑)。
そんな時は視点を変えて地図の方角を北に固定してみれば自分の位置が一目瞭然なんですけど、思考停止している人は視野も狭くなっていますので気付かないんでしょうね。
揺るぎない普遍性を持った情報(この場合地図の方角)を基軸にするのではなく、自らが進みたい方向"のみ"(この場合"我欲"かな?)を見ていれば道を踏み外すこともまた道理。
「成りたい自分」と「成れる自分」は必ずしも一致しないということが解れば、道はそうそう踏み外す事は無いと思うのですけれども。
それにはやはり、「身の丈を知る」ことが肝要ですね。
おはようございます。
それあるかもしれないですね。
私は車の運転が苦手なので、北を上にするといろいろ混乱することが増えて危険なので、それはしないのですが、そもそも地図を見るのが好きなので、カーナビが上を目指していてもだいたいどの方角に向かって運転しているのか分かるというか、自分の走っている道と頭の中にある地図とカーナビを重ねて見いたのですが、そんなことしている人のが少ないかもと思いました。
特に女性は地図を見るのが苦手な人が多いので、余計にどこを走っているのか分からず依存している人多そうですよね。
また仰る通り、洗脳に嵌まる人たちは必ず「上を見てます」よね。
それって本当に怖いことなんだなぁと最近は特に思います。
ほんと、身の丈を知り、身の丈に合った生き方をするって大切というか、合理的ですよね♪
それではこれからも宜しくお願い致します。
最近、プロ奢ラレヤーさんやレンタル何もしない人さんといった方々の存在感が増しつつあるのは、これまでのキラスピお金大好き教祖様に多くの人が飽きてきていて、そこに魅力も憧れも感じなくなっているからなのかなと感じています。(とはいえ、私の身近な友人はまだハマっていますが。)これまでも竹久さんのブログの中で、昔の日本人の生き方について教えていただきましたが、だんだんそちらに世の中が近づいている、というか、祖先のデフォルトであった「身の丈で生きる」ということを、やっと思い出し始めたのかもしれませんね。
こんにちは。
確かに3年前と比べて俄然「等身大(身の丈で生きる)」ことがトレンドになってきていると、私も感じています。
それでもお友達のように未だはまり続けている人はいますが、新規顧客は見込めない状況になってますし、信者の多くはじり貧の状況でしょう。
供に貧乏になって行くだけでしょうし、もちろん人気復活ということはなさそうなので安心しています。
それではこれからも宜しくお願い致します。