金曜日は「教えて!波動相談室」のコーナーの日です。
こちらのコーナーでは、読者の方から寄せられた質問に、波動の見地からお答えしていきます。
また、波動の見地からお答えするものの、これは私の個人的見解にすぎません。
ですから、これだけが正解ということはもちろんあり得ませんから、「意見やアドバイスの一つ」として参考にして頂き、その上で自らで答えを見つけて頂けたらと思ってます。
どうぞ、この点お含み置き頂きました上、お読みくださいませ。
本日頂いたお悩みは、「先祖供養」です。
40代男性・さとちゃん(派遣社員)から頂いた質問です。
ではまずは相談内容をご紹介致します。
竹久さま こんにちは。 時折ですがブログを拝読させて頂き、 勉強させて頂いてます。
私は長年、疑問に思っていることがあります。
それは寺院や仏壇で行う先祖供養についてです。
毎年、お盆や春分の日や秋分の日に先祖供養やお施餓鬼を行う風習が日本にはあります。
それら供養は波動的にみて、もしくは竹久さまから見てどのような感じなのでしょうか❓
その供養が先祖に届いているのか❓ 霊的な世界のことは 現世に生きてる私からは 視えません。
どのように考えれば 良いから教えて頂きたく メッセージをしました。 よろしくお願い致します。
さとちゃんからのご質問にここからお答えしていきます。
また今日のお答えポイントは以下2点とさせて頂きます。
①祖先を思う気持ちを大切に
②私たちは繋いでいく存在に過ぎません
この2点に沿ってここからお答えしていきますね。
「先祖供養をしたら霊界と繋がれるのか?」といったような疑問について、正直お答えすると「分からない」というのが私の本音です。
というのも私も霊界の事は分からないのです。
ですから視える方々の話に私も頼らなければならないのですが、多くの人が伝えてきている事は「事実」であろうと思ってます。
つまり、生きている側の行為の有無によって、成仏できるのかできないのかという作用の違いもあるのであろうと思っています。
ただ、大事なことは「だからやる」とか「だったらやろう」ということではなくて、祖先のことを常に思う気持ちを保って生きることだろうと思っています。
その気持ちを保つために、年に数度はお墓参りに行き、お墓を掃除し、そして仏壇を整え、時間を作ってお経を唱える行為が引き継がれているのではないかと思っています。
またそういう気持ちが薄れているからこそ、「霊界の人々が供養して欲しいと言っています」といったような言葉が霊能者から溢れるのかもしれないなと思ってます。
ではなぜ祖先のことを常に思う気持ちを保って生きることが大切なのか、ここからお伝えしたいと思います。
現代を生きる人間は、個としての自分に重きを置き、自分の人生をどう輝かせるかといった視点ばかりが強化されていますが、
悠久の歴史から今を見つめ直してみれば、私たちの生きている時間など線にもならない点に過ぎません。
またこの点である自分の存在というのは、過去の点から引き継がれ引き継がれ引き継がれた上で成り立っています。
そして私たちもここからさらに引き継いでいく立場です。
その中継地点の一つとして自分が存在しているということを理解して生きることは、人が人らしく生きるために必要不可欠な要素だと私は思っています。
またそう思えるからこそ謙虚な気持ちも生まれ、役目を全うしようとも思えるのではなかろうかと思います。
そして古来より引き継がれたこのような考えと生き方こそが、日本全体の波動を高めていたことだろうと思います。
また、祖先を思い祖先に感謝して生き、一方で後世のことを考え後世のために生きるのは、分かり易く波動を高めて行くことに繋がります。
ですから、是非さとちゃんも祖先を思い祖先に感謝し、そしてお墓参りの際にはそのような思いを祖先にお伝えくださいませ。
ということで、今日の波動相談室は以上となります。
さとちゃんのご質問に答えられたでしょうか。
どうぞこれからも宜しくお願い致します。
また来週の相談室は、umberさんから頂きましたお悩み、「アンチ・ウォッチャーについて」を解説したいと思います。
それではまた来週お会いしましょう♪
こちらのコーナーでは皆さんのお悩みを受け付けております。
ご相談がある方は、下記リンクの「相談室ポスト」からご投稿ください。
↓相談ポスト↓
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個人的な意見です。
先祖供養について、
1、遺伝子の中にいるご先祖さまがいます。
2、あの世に行ったご先祖さまがいます。
3、心の中にいるご先祖さまがいます。
神社が神さまの分御霊であるように、御霊も一つではありません繋がっています。あと、遺伝子の中にいる方と心の中にいる方は、常に側におられます。
最大の供養は、世の中のために尽くし、かつ自分も幸せな生き方をする事だと思います。その上で祝詞やお経を
奏上して、お供をして、直会をする事ではないでしょうか。天皇陛下の大嘗祭を模範とすべきです。過去の延長線が今であり、今の延長線が未来であるからです。
こんにちは!
コメントありがとうございます。
私の中で曖昧でモヤッとしていた部分がこのコメントでクリアになりました。
教えてくださりありがとうございます。
これからも宜しくお願い致します。
『現代を生きる人間は、個としての自分に重きを置き、自分の人生をどう輝かせるかといった視点ばかりが強化されていますが、 』
またまたぐさっと来ましたね。
ファルさんのコメントは素晴らしいと思います。
私の父はとても霊感が強かったので、死んでも意識は残ると幼いころから認識しています。
私も稀に相手に憑いていると感じる時があり、ある方と話しているとその方は親を恨んでいて、それを亡き親は分かるらしく成仏できないでいるようでした。
これ反対の立場だったらどうでしょうね。
私達は先祖代々受け継がれる遺伝子により成り立っているが故、子孫には良い遺伝子を受け継ぐのが務めだと思っています。
例え見えたり感じたりしなくても、あの世の方には思いは届きます。
だから年に数回でも感謝の思いを届けてくれるなら、ご先祖さまも喜ばれるし、子孫を見守ろうとするでしょう。
そんな思いで継承されていければと思います。
おはようございます。
仰る通りですよね。
繋いでいく存在である視点を忘れずに生きていきたいものです。
それではこれからも宜しくお願い致します。
こんばんは、お久しぶりです。
私は数年前から地元の世界遺産や史跡巡りをしております(竹久様のブログ(日本史の勉強)の影響もモチロンごさいますよ~‼)。
古墳、高崎城趾、箕輪城跡、上野国分寺跡、富岡製糸場、碓氷峠の鉄道遺産etc.時代はバラバラ&ピンポイントではありますけれど(^o^;)(笑)
実際にソコに足を運び、空気を吸うことで先人達の存在を、心意気を、思い等を感じられる様な気持ちになりますね。
何時からか分かりませんが、連綿と続く命のリレーの中で、名もなき先人達一人一人もまた私達の
御先祖様ではないだろうか??などと考える様に
なりました。昔々「この地」で生活、或いは働いていらっしゃった先人達に対し、ほんの少し頭を垂れ彼等に敬意を・感謝を申し上げるというのもある意味「先祖供養」に通じるのかなぁ??なぁ~~
んて「突飛⁉」な想像をしてしまいました(^o^;)(笑)
...モチロン、(お墓参りとか)一般的な先祖供養もとっても大事ですねぇ(*´∀`)
おはようございます。
そうなんですよね。私たちの生きているこの社会は祖先たちが積み上げてくれた土台があってできている事ばかりです。
たとえば、道路も、橋も、それから線路も。
昭和の始めの時代からあるものなどは、既にその時作って下さった方はこの世にいないことの方が多いでしょうし、昭和後半に作られた建物に携わった人の多くもすでに隠居されていることがほとんどだと思います。たとえば東京タワーも。
昔はこういったものを見ても何も感じなかったのですが、今はこういう町中のものを見かけるだけでも、誰かのおかげで今があるんだなぁと思うようになりましたし、道路や橋や線路を地道に作って下さった先人たちへの感謝が自然とわき上がるようになりました。
私個人はアプトさんと同じように、これも先祖供養と同じ行為だと思って生きています。
それではこれからも宜しくお願い致します。
竹久さま
質問にお答え下さり
ありがとうございました。
また皆様のコメントも
勉強になります。
先祖から頂いた命を
大切にして
生きて行きたいと思います。
こんにちは。
とんでもないです。
皆さんのコメントも秀逸ですよね。私も勉強になりました。
お互い祖先から引き継がれ与えられた命に感謝して、次世代に繋げれるように頑張って生きましょう。
それではこれからも宜しくお願い致します。