全く別次元の話に思えますが……去年の今頃は「新しい元号はなんなのか?」そんなワクワク感の中いたんですよね。
去年の明日に新元号が発表されました。
新しい形で(崩御ではない形で)の元号の到来に、世の中は踊りました。
ゴールデンボンバーはすぐに曲を発表しちゃったりしてね。
すっかり過去のことに思えてしまうくらい世の中の空気感は全く別次元に突入していますが、あの時は盛り上がったんですよね。
私も当時は同じように盛り上がり嬉しく思っていましたが、でも少し別のことも考えていました。
去年の今頃の私は、丁度「ほんの少し見方を変えたら~ようやく本質に戻れる時代の中で~」の執筆の最中でした。
当時のブログ記事↓
先週はなんやかんや用事があったので、ほとんど執筆が進まなかったのだけれども、 時間が経って読み返したらはっきりと「違う!」と思って、また今日から白紙の状態から… 『611 簡単に書くつもりが簡単にならない時の悶々』 - いつの日も神社、時々たこ焼き。 |
前からちょろちょろネタにしている新たな執筆作業。 「ほんの少し見方を変えたら」をテーマに書いているのだけれども、元号が変わるということが執筆の軸にあって、 だ… 『616 元号を知って、全部書き直し(^^;)』 - いつの日も神社、時々たこ焼き。 |
そして上記記事で、書き残したように、元号を知って全てを書き直し始めました。
そしてこの本(ほんの少し見方を変えたら
はじめに
去る平成三十一年四月一日に、現元号である「令和」の発表会見がありました。
私はこの会見を自宅で見ていたのですが、菅官房長官が令和の言葉の背景を伝えた時に、「ようやく日本人が日本人らしく生き直せる時代がきたかもしれない!」と期待に胸を膨らませる思いで身体が一杯になりました。
しかし、私の言葉は「日本人なのに日本人らしくない状況が蔓延している」からこそ、浮かび上がったものでもあり、そこを基点に物事を捉えると、悲しい思いが溢れます。
日本人が日本人らしく生きる、その当り前の事ができなくなった私たちは、ひょっとしたら日本の歴史上最も精神的に辛く悲しい時代を生きているのかもしれません。だからこそ、今の時代を生きる人たちの多くは、そとかしこに不安定さや生き辛さを抱えながら踏ん張らざるを得ない状況に追いやられているのかもしれません。
しかし、私たちにはその要因が何なのか、立ち止まって考える暇はありませんでした。
私たちの生活は便利な環境と裏腹に、社会のスピードがただただ加速の一途をたどり、便利さの裏で多くの人が疲弊していくという、理不尽な状況に苛まれ続けました。
そして、この環境に順応していく過程で、私たちは日本人として本来持ち合せるべきものを敢えて捨てたり、敢えて無視したり、敢えて脇に置いてきました。あまりに加速的に進化していく時代の波に乗っていくためには、それも仕方の無かったことなのかもしれません。
ただ、結果としてそれで苦しんでいるのは私たち自身です。
そして、このような社会体制が常識とされる環境になると、本来の自分らしく生き直したいと思っていても、なかなかそれはしにくくなり、本来当り前のはずのことが、逆に偉大なこととなり、特別なことにまでなってしまいました。
だからこそ私たちは、現代のしがらみをなかなか断ち切ることができずに、ここまでやってきてしまったのだと思います。
しかし、今時代は大きく動いています。
詳細は本章に譲りますが、日本人らしくない生き方をせねばならなかった環境は、そちらの方から勝手に壊れ始めています。ですから、日本人らしさを取り戻せるか否かは、私たちの心意気だけにかかっています。
そして私たちが、ほんの少し見方を変えて、ほんの少し勇気をもって生き直せば、「日本人が日本人らしく生きること」は当り前の現実に変化していくのではないか、そとはかとない不安に囚われ続けなくてはならない日常も過去のこととなるのではないかと考えています。
そんな理解の一助となればと思い、この本を書くことにしました。
私たちは希有な歴史と文化を育んできた日本人です。日本人誰もが持ち合せていた魂の輝きが、どうか令和の時代に取り戻せますように。
令和は日本人が日本人らしく生き直せる時代になりそうだが、その過程には今まで断ち切れなかったものを断ち切る必要があると思ってました。
しかしながら、数年前からその環境が環境の方から壊れ始めている感じが私の中ではしていました。
だから、今こそチャンス!と思って書いた本なんですが、変化の大きさは想像以上で驚くことの方が多いです。
でも節目の日を前にして「今はまさにその時なんだろうな」と思う気持ちが増えています。
どこら辺がそう思うのか、もう少し整理しなくてはと思うので、今日の記事はここら辺で留めておきますが、
少なくとも今私が感じていることは「元々立ち止まることが必要だったのに、それが人間だけの力ではできなかった。できなかったからこそ神が力を貸してくれているのでは?」ということです。
立ち止まることができなかったからこそ、ゴミを作って経済を回していることだって多々ありました。
みんな無駄だと分かっていても、回転し続ける日常についていかなくてはいけないがために、止めることができませんでした。
誰もが立ち止まらなければならない時間を与えられれば、まずはこういう無駄から止められることとなります。
しかし、止められれば悲鳴が上がる場所は必ずあるわけですが…その悲鳴のために経済を回していたらまたみんなで苦しい思いをし続けることになります。
急ぎ足で歩き続けてきた人生で立ち止まるという機会が与えられることなどそもそもありませんでした。
だからこそ多くの人は不安でしょう。
でも、立ち止まらなければ見えない景色や気がつけないことがあります。
まずは、そこに気がつくこと。
それに、不安であることはみんな同じ。世界中で同じ。
それを理解した上で、立ち尽くしてみて、本当に必要なことを始め、その回転が広がれば良いのになと…そとはかとなく私は思ってます。
去年の今とは違う景色。
去年の自分では全く見えていなかった景色。
誰も知らなかった景色。
いろんな意味でこれから異次元が始まるんだなと、思ってます。
今までに囚われず、人において本当に必要なことはなにかを模索し直す時代が始まったのだと思います。
それが令和に生きる私たちの役目なのだろうなと思ってます。
お互い日々を丁寧に生き、踏ん張りましょう。
変化が大きい今の時代にオススメの一冊です☆
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ゆりさん、こんばんは。
読み終わりました。とても面白かった(interesting)です!というと何だか軽々しくなってしまいますが、、、面白いと同時に読んでいて不思議な感覚にも陥りました。
現在の武漢コロナ問題が起きた事で、歴史的に見ても日本はもとより世界中が、大きな分岐点を迎えています。世界は武漢コロナ問題前と後で全く異なってしまったと言っても過言ではない程、社会が大変革し始めていますよね。この何年かで様々な変化が起きつつあったにせよ、期せずして大規模な軌道修正を急ピッチで進めざるを得ない展開が訪れています。
こちらの著書ですが、武漢コロナ問題が起きた事で、書かれている事の説得力がより増しているように感じました。
もっと言うと、既に武漢コロナ問題が起きた後の視点で書かれているようで鳥肌が立ちます、真面目な話。
そしてこれまで自分が抱えていた生きづらさが、西洋思想の型に無理やり押し込めるような生き方を強いられるような社会背景に繋がっていた事、同時にそれが根深い問題であった事もよく理解できました。東洋人に刷り込まれて来た西洋人コンプレックスが幻想に過ぎなかった事も、たかだかこの1ヶ月程の間に世界中に起きている現実と照らし合わせてみると、とてもよく理解できます。
書籍ですから文字で書かれているわけですが、文字を追いかけているのを忘れる位、イメージに変換されて伝わって来ました。テキストをダウンロードしたつもりが、開いてみたら画像が次々に出てきて、「わ!こういうことか。」というような。
あえてこのタイミングで読ませて頂けた事で、色々なことが腑に落ちました。
いや〜、本当に楽しくて勉強になりました!素晴らしい1冊をお届け下さりありがとうごさいました。88888888〜(ニコニコのコメント風拍手です笑)
おはようございます。
本を大絶賛してくださりありがとうございます。
素直に嬉しいです。
仰る通り武漢ウイルス前と後では、世界は様変わりしました。
そしてそれと同時に人々の意識も大いなる転換を迎えています。
本質に戻る道は、険しく厳しいものもあるとは思いますが、十年前まではその道すら開かれていませんでした。
気が付いても大いなる壁がありどうにもこうにも打破することができない時期が続きました。
今は違います。
新たな道に舵を切ることは、もちろん不安もあり困難も生じるでしょうが、進める事ができます。
それは0と1くらい大きな違いです。
この可能性に感謝して、誰もが本質を維持した生活に立ち返られるようになったら良いなと思っています。
それではこれからも宜しくお願い致します。