半年間食い入るように見続けたスカーレットが最終回を迎えました。
好きなドラマが終わる瞬間って、すごく寂しいと思うんですよね。
だから終わるの分かってても「もっと見たい」って気持ちになるのが普通なはずですが、スカーレットは自分もまるで出演者になったかのような気持ちで「やっと終わった!」みたいな達成感がありました(笑)
1ヶ月前にきみちゃんがクランクアップした時に、現場で嬉しそうに走るInstagramがアップされたのですが、まさにこの感覚を視聴者としても感じてしまいました。
こういう気持ちになってしまったのは、単にドラマを見ているだけじゃない感覚に自分がなってしまっていたのだからなのだろと思います。
スカーレットってドラマというより、人の生活を覗き見しているような不思議な感覚になることが多々あって、だからその感覚が強くなってしまい……もはやストーリー展開がどうのこうのという次元でドラマを観なくなっていたからだと思いますし、また脚本も日常生活に寄り添う形で綴られ続けていたので、ドラマにありがちな無茶な展開がほぼ無かったと思います。だから、自然とそういう気持ちになったのだろうと思います。
またキャラクターの性格も完全にインプットされてしまっているから、親戚や友人の1人としてきみちゃんの人生を「見守る」「見届ける」みたいな、視聴者としてはちょっとあり得ない感覚にどんどん陥っていたところがあるので(笑)
だから「見届けた達成感」があまりに強すぎて、来週も観たいという気分には珍しくなりませんでした。
また今となっては、メイン放送の中にスピンオフ(スペシャルサニーデイ)を入れてくれた配慮もありがたかったなと思います。
最後の展開を知った後で、ここからスピンオフという気持ちにもなりませんからね。
本当に素敵なドラマでした。
このドラマに出てくる人たちは、それぞれ不器用で未完成で、不完全ながら、それぞれ一生懸命生きています。
ただドラマの中でそう生きているだけでなく、役者さんやスタッフさん全てが、究極までの一生懸命をぶつけて作っているように私は感じていました。
その溢れ出る一生懸命さは尊いのだけれども、それで完全になることはないからこそ、どこか苦しい。でもそれが美しさの基礎に必ずあるものなのだなと、このドラマを通して感じました。
ちなみに私はスカーレットが好きすぎて、毎週土曜日に更新される公式HPの「今週のきみちゃん」を欠かさず読んでいました。
今週の言葉にはこんなことが書かれていました。
人間というものは不完全である、その不完全さをどれだけ楽しむことができるか、それゆえに生き物は愛するべきものなのだ
この不完全さを一生懸命楽しむことによって美しさというものが生まれるんだよなと改めて思うようになりました。
本当に凄いドラマでした。
いつもNHKの批判ばかりしているけれども、これは本当に良い作品だったと思います。
ちなみに脚本家の水橋さんは文春でロングインタビューに答えられています。
是非こちらも読んでみてください。
101作目のNHK連続テレビ小説「スカーレット」が最終回の日を迎えた。ものづくりに情熱を注ぐ陶芸家・川原喜美子が生きた50年をみずみずしい筆致で紡いだ脚本家の水橋文美江さんは、大阪のホテルに8カ月暮ら… 朝ドラ「スカーレット」最終回 喜美子と八郎「好きがこぼれてる」10年ぶり“敬語”... - 文春オンライン |
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スカーレット終わってしまいましたね。
行間がある想像力が必要な良いドラマでした。
私も一人の男の子を持つ親なので、
ドラマではえかがれませんでしたが、
それだけに亡くなった日を想像すると
いたたまれなかったです。
朝ドラは終わったあとに、スペシャルドラマ
として、年末?などにスピンオフみたいなのも
やるので、やるとしたらそれも楽しみです。
命ある限り生きていくというのを
改めて考える事ができました。
こんにちは!
そうそう!スカーレットは、もの凄く行間読ませるタイプのドラマでしたよね。
きみちゃんの家の電話の機種が変わるだけで、その間何があったのかなと考えさせてくれるくらい想像力が膨らむドラマでした。
通常であればスピンオフやると思うのですが、今回はスペシャルサニーデイがスピンオフとして本編に入り込んでいたので、やらないんじゃ無いかなぁって私は思ってます。
もしやるのであれば、きみちゃんと八郎さんの結婚初期頃の描かれなかったエピソードとかそういうほんわかした内容でお願いしたいです(笑)。
それではこれからも宜しくお願い致します。
おはようございます!
スカーレット、とうとう最終回でしたね。
最初はストーリーを楽しんでいたのは、最後は登場人物の人間臭さや何気ない日常がストーリーを超えていった気がしています。ストーリーや落ち目的ではないのに、最終回までキチンと見届けたい気持ちになりました。
最終回後にじわじわ満足感が出てくるドラマって素敵ですね。
きみちゃんの人生は激動だったけど、きみちゃんはキラキラしない日常をおろそかにしない人だったと思います。凝ったことはしないけど、きちんと生活してるという感じ。ほかの登場人物もそうだったんじゃないかと。
劇中音楽も本当に好きだったんですよー。共感してくれる人が周りにいないから、ここに書いてしまったけど。
コロナ騒動で割と落ち着いていられたのは、スカーレットのお陰だったと思います。
「エール」はどうなるでしょうね。俳優さんたちは好きだけど…。最近バタバタしていて1時間続けてTVなんて見られない生活なので、本当に朝ドラ枠が私には大事なのです。
おはようございます。
当り前にきちんと生きる人の姿が、なぜかドラマでは新鮮に映る時代になったというこは、無茶な設定に世の中が飽きてきた証なのかもなと思いました。
まさに今を生きる人たちに必要なエッセンスが詰まっていたドラマだと思うし、制作陣の作品と向き合う本気度が異次元だったように思います。
音楽も良かったですよね。これから各番組のBGMで使われ始めるはずなのですが、どういうシーンでこのBGMを使うのか楽しみです。
エールは根を詰めること無く普通に見ていられるドラマなのかなぁなんて風に私は思ってます。
べっぴんさんやわろてんかみたいな見るに堪えない作品にはならないだろうなと思ってます。
それではこれからも宜しくお願い致します。
竹久さん
早速返信ありがとうございます。
劇中音楽の使われ方ですか。その視点面白いですね!
竹久さんから
> 当り前にきちんと生きる人の姿が、なぜかドラマでは新鮮に映る時代になったというこは、無茶な設定に世の中が飽きてきた証なのかもなと思いました。
のコメントをいただき、ふと思ったのですが…
邦画は淡々と日常を描くタイプのものが多いし、高尚扱いもされていますよね。
私はいつも見る気がしなかったり、見てもあまり心を打たれないことが多いのですが、スカーレットとの違いは何なんでしょうね。
少し自分で考えても、分からなくて…
私が日常に価値を見出せないタイプなら、スカーレットにも価値を見出せないはずですし。
淡々と日常描いておけば高尚な見えるだろう…みたいな、とりあえず高尚に見せておきたいという意図が見え透いて、嫌なのかもしれないと思っています。
こればかりは好みの問題かもしれないですが。
こんにちは。
私は昔からBGMが好きで、バラエティとか見てると「あのドラマのあの時の曲だ!」とかすぐ気がつきます。そしてそこから想像が2手(本編とBGM)に分かれて、「どうしてこのシュチュエーションでこの番組のこのBGMにしたのかな?」とか制作者の意図を考えてしまいます。
バラエティのBGMは分かり易さとダジャレが基本なので、「こういう連動でこの曲にしたのか!」とか想像するのも面白いですし、この流れだと多分次のBGMはあの曲にするだろうなっていう連想をするのも楽しいです。
ちなみに朝ドラのBGMは滅茶苦茶使われます。バラエティで使われるBGMの半分以上は朝ドラBGMじゃないかと思うくらい、滅茶苦茶使われてますよ。気にして見てみてください。
私は邦画のトーンがどれもこれも高尚とは思えなくて……うちら世代だとやたら絶賛された岩井俊二の良さも未だに分かりません。
なんというか……美学の押し売りみたいなものを感じる作品はどうも好きになれないことが多いです。
また邦画の場合、キャストの感情の方向性が分かりにくい作品も多い感じがするのですが、私はそういう作品も苦手です。
理由を解明するよりも、好きになった作品を大切にするのが良いんじゃないのかなって、私は思ってます。
それではこれからも宜しくお願い致します。