さっきの話の続きです。
毎日のようにコロナウイルスの情報ばかりが世の中に駆け巡っているのですが、一体何の情報を信じたら良いのか?という気持ちになりますよね。
人工ウイルスだという説もあれば、動物(蝙蝠)から転移したという説もあるし、アメリカがサイバーテロを仕掛けたという話もあれば、中国がサイバーテロのために作っていたウイルスがオーバーテクノロジーの果てに飛散してしまったという話もあります。
かかっても治る確率が高いという人もいれば、ウイルスが突然変異して、さらなる感染に繋がると仰る人もいます。
こんな風に真逆の情報や、陰謀論めいた情報が拡散されると、一体何を信じて良いのか不安になるものですよね。
だからこそ、こういう時に限って「一体何が正しいのか?」と「正しいもの探し」に精を出しがちなのですが、この言動こそがプロパガンダの罠にひっかかりやすいと思うので気をつけた方が良いと思ってます。
なぜなら、情報には常に思惑があるからです。その思惑を吟味せずに与えられた情報を信じるだけの行為をすれば、途端にその情報の範疇の中に自分が留まることとなったり、洗脳されてしまうだけのことになるからです。
コロナウイルスの情報は既に、国際覇権を含めた情報合戦になっているだけでなく、国内においては打倒政府のために利用されている部分も多々あります。
このような思惑が見えぬまま情報を信じれば、誤った言動に繋がって行くだけだと思いますから、気をつけましょう。
こんな事言いながら、私も「一体どの情報が正しいのだろう?」と思う気持ちが止められず、暇さえあればいろいろとチェックしていたのですが、藤井厳喜さんや須田のオジキの動画を見て、「何が正しいというよりも、今目の前にある思惑を分析した方が良いな」ということに気がつきました。
どのようなプロパガンダ合戦が行われているかは、藤井さん須田さんの動画を見ていて頂ければ分かるので、詳細の言及は避けますが、
現在アメリカは、このコロナウイルス騒動を機に、中国からの全面引き上げを画策して情報を利用しており、一方中国は、世界から分離されないように情報工作に勤しんでいることは確かであると言えるでしょう。
また日本は、親中派と反日左派の情報が相まって、対策一つとっても牛歩な事が起きすぎていると言えます。
このような現状であれば、政府批判は高まって当然なのですが、逆にこのような状況を目の当たりにしながらようやく私は「第二次世界大戦時期の日本というのは、こういう感じだったのだろうな」と感じています。
「何が正しいか分からないまま、他国の思惑にまんまと飲み込まれていってしまった」その実感を今していることです。
また、こういう時に「何が正しい」とか「誰のせい」とか言っていても、問題は解決することはありません。ただ時間だけがいたずらに過ぎ、さらに混乱が増すという事が繰り返されるだけになるでしょう。
ですから、「何が正しい」とか「誰のせい」ではなく、この事象における世の中の思惑をきちんと理解することがまずは大事かなと思います。
それが第二次世界大戦での失敗を教訓として活かすことに繋がるのではないかなと思いますし、情報に踊らされる機会も減ると思います。また踊らされる事が減れば、冷静に今できることに集中しやすくなると思います。
ちなみに庶民が一番日本の力になれることは、感染せずに普通に(冷静に)生きることだと思います。
そのために必要な事は、感染症学会などの専門家たちがネットを通じて教えてくれていますので、その意見に基づいた行動をするべきかなと思います。
一般市民向け 新型コロナウイルス感染症に対する注意事項(2020 年 2 月 3 日現在)
1. 肺炎の合併に注意、感染対策の基本はインフルエンザに準じて
2.新型コロナウイルスの遺伝子変異は起きていませんでした。
3. 中国における死亡数の増加に関しては引き続き検討が行われています。
4. 免疫不全患者、高齢者を守る対策が必要になります。
5. 感染対策の基本は咳エチケットと手の清潔です。
http://www.kansensho.or.jp/uploads/files/topics/2019ncov/2019ncov_ippan_200203.pdf
結局私たちができることはこれくらいのことしかないのですが、そのこれくらいの事をおざなりにしてしまってパニックすれば、問題はもちろん大きくなります。
また何から何まで政府のせい、官僚のせいと思う気持ちが止まない人もいるかと思いますが、これは平時の間に有事の対策をしてこなかった日本国民全体の責任だと思います。
国会で有事の話をしようものなら、野党は話し合いを拒否し、メディアはその野党を応援し、そして国民もそれが正しいと思い込んでいました。
そのつけのせいで、今の日本は毅然とした対応ができずにいますが、その責任は自分にもあることを自覚して、自分のできることを一つずつ冷静にやっていきましょう。
この記事を書いてたら、伊丹万作さんの「戦争責任者の問題」が頭に浮かんでしょうが無いことになってきたので、最後に伊丹万作さんの寄稿文を引用させて頂きこの記事を終わりにします。ちなみにこの寄稿文は昭和21年(1946年)8月に書かれたものです。
伊丹万作 「戦争責任者の問題」より
[冒頭省略]
多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
[中略]
いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
[中略]
いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜ぼうとく、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
[以後省略]
全文はコチラから→戦争責任者の問題 伊丹万作
誰かのせいにしても問題は解決しません。
今このタイミングでその責任は自分にもあることを自覚して、自分のできることを一つずつ丁寧にやっていきましょう。
それから今世の中で飛び交っている情報には思惑が潜んでいることを充分理解して、情報を鵜呑みにしないように気をつけていきましょう。
このプロパガンダ合戦を冷静に切り抜ければ、プロパガンダの時代は本当に終わりを告げると思ってます。
頑張りましょう。
変化が大きい今の時代にオススメの一冊です☆
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こんにちは😃今は自分の出来ることをコツコツとやる。情報に惑わされない。常に冷静に物事を判断できる心持ちでいようと思います。手洗い、うがい、まだまだ習慣化できず忘れちゃうこともあるけど地道に頑張ろう!誰のせいでもない自分自身の責任だと思います。今まで私自身は政治には無関心でしたから。この事態が起きたことで、私はいろんなことがみえるようになったのでそれはそれでとても良かったと感じています。私にできることは小さなことですが、それでもやらないよりやったほうがマシだと思います。とにかく必要以上に怖がらず、普通に生活をする。予防はしっかり!
おはようございます。
そうなんです。現状起きていることのあれやこれやは、自分に関係ないように見えながらも、結構な具合で自分にも責任があることが多いです。
その自覚が伴うか伴わないかでは、捉える世界観が大きく変わってきます。
また、大きな理想を語る人ほど、実は無責任なことが多く、またその言葉に惑わされた人も同じくらい無責任な事が多いです。
その無責任さの連鎖によって、面倒くさい問題のほとんどは起きています。
私たちができることは微々たることだけれども、その微々たる行為に責任感を持ち合せて生きていきましょう。
非常に些細なことに見えると思いますが、何事も「大事の前の小事」です。
大きな理想を語るよりも小さな事をきちんとやる事のが、大事なことです。
それではこれからも宜しくお願い致します。