昨年末、私は何年かぶりにちゃんと紅白歌合戦を見ておりました。
そこにAIで作られた美空ひばりロボットが登場しました。
そこで思ったことを書きます。
昨年末の紅白では、AI美空ひばりなるものが登場したのですが……
その話を最初聞いた時、正直私は「キモイ!!!!!!」と思いました。
「なんでそんな事する必要があるのかな?」とも思いました。
美空ひばりさんの昔の映像でも出してくれれば、それで充分だと思う人ばかりなのに、何のためにそんなものを作るのだろうかと思ったのですが、
プロジェクトとしては、「AI美空ひばりによって、ひばりさんに新曲を歌ってもらいたい」とのこと。
確かにそれは過去映像でできることではないなと思い、最初に感じたキモイという気持ちから少し変化して、どんな仕上がりになるのかが楽しみになりました。
そして、NHK紅白歌合戦の中盤、満を持してAI美空ひばりさんが登場されました。
↑こちらの動画で紅白で流れた同じ映像楽しめます。↑
想像以上に美空ひばりが歌ってるっぽくなってるなぁとは思ったのですが…、皆さんはどのような感想をもたれたでしょうか。
私はこの歌を聴いて、
初めて「魂ってあるんだな…」
ということに実感を持ちました。
確かにこのAI美空ひばりは、声も歌い方もまんま美空ひばりと呼んでいいくらいそっくりです。
でも、人間の声の真ん中に必ずあるはずのものがないんです。
こんなに美空ひばりを再現しているのにも関わらず、一番大事な所がどうしても、すっかすかな感じがするんです。
その時に、「あぁ…これが魂なんだ」と私は思いました。
そして、魂の響きに人は揺さぶれていたのだと、初めて気がつくことになりました。
AIになくて、人間にあるもの。
それが魂。
生身の人間に寄せても、それはどうしても再現できないものと知りました。
そして、その魂の響きは、テレビを通してでも充分伝わるものなのだと、初めて気がつけました。
ちなみに私は、紅白でAI美空ひばりの歌に耳を傾けながら、9年前に見たドラえもんの映画の事が、なぜか頭に浮かびました。
これです↑。のび太と鉄人兵団
この映画は、地球人を奴隷にしようとやってきた宇宙人ロボットたちとのび太やドラえもんが戦うお話しなんだけれどね、
物語の最後の方で、宇宙人ロボットに「心を入れ忘れた」ってお話しが出てくるの。
それを急に思い出して…
あぁ魂って心なんだな。
心の持つ響きだけが、人に影響力を与える事ができるんだな。
そんな風に私は思ったんだ。
逆にその魂の重要性を理解せず、人間に似せるものを作ることは、どうなんだろうね。
危険なんじゃないかな?
そんな風にも思った。
ちなみにこの映画はアマゾンプライムに入ってれば無料で観れるよ♪
私も久しぶりに見直そうかなと思ってます。
多分涙腺崩壊号泣間違いなしで、翌日目が腫れるこになっちゃうけれど、人に会わない日を選んで見ようと思ってます♪
↓ちなみに前回見た時は、泣きすぎてびっくりするくらい目が腫れました↓
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友理子さん、こんにちは。
私もリアルタイムでAI美空ひばりさんを観ました。
よくここまで再現したなぁと技術の進歩を感心しつつ、生身の人間が歌うことの魅力を再認識していました。
脳内で美空ひばりさんが歌っていた姿と比較出来てしまうからこそ、よりその違いを感じてしまうのかもしれません。絵画などでも「魂を込める」と表現しますしね。
こんばんは!明けましておめでとうございます。
やっぱり違いますよね。
どんなに同じように再現していても。
それを生身に再確認できた事は、本当にありがたかったと思います。
これが人間と人間が作った人間の違いなんだなと思いました。
また、歌に人が魅了される、絵画に人が魅了される、その理由は分霊がそこに存在するからなのだという事にも気がつきました。
神道の考えが科学的に証明された瞬間でもあったなと個人的には思っています。
それでは今年も宜しくお願い致します♪
単純に拙いだけな気もします。
練り上げが甘いと思います。
CGの世界には「不気味の谷の現象」と言うのもありますし。似せれば似せるほど、人の心に残ったものとは乖離しますから。そして、人間は、全て見たものを処理できるようにできてません。印象的なもの強調しますから。
あと、初音ミクといったボーカロイドでも良い曲はいいですから。九十九神という言葉もあります。
こんばんは!
初音ミクとの違い、私も考えたんですよね。
初音ミクなどのボーカロイドは、人間の生声(ボーカロイドとなるアーティストの声)を使って、創造させる仕組みです。
それが一番の違いなのではないかと思いました。
初音ミクの歌声の裏には、人工的であったにせよ、生身の人間が潜んでいる。
そこが全く別次元の大きな違いなのでは?と、私は今考えています。
それではこれからも宜しくお願い致します。
こんんちは。
こういう話題だと、コメントしたくなります(笑)
自分は、現行のコンピュータの形式(チューリング型)で作ったAIでは、魂の発生はないんじゃないかな?いう予想をしてます。
「ゲーデルの不完全性定理」というのがありまして。これはコンピュータを成り立たせている数学の分野の話でもあるのですが、簡単にいうと「証明できない命題がある」ことが数学的に証明されているんです。
有名な「クレタ人は嘘つきだ」というクレタ人の言葉は、本当かウソか?というパラドックス。プログラムで書き下すと、自己言及がきちんとできないんですよ。このことからも「自己≒魂」をプログラムで書き下せない可能性が高いと、私は考えているんです。
ボカロが上限であって、理由は竹久さんの考察通り肉声が素になってることだと思います。それに「魂っぽいもの」すら発生はしていなくて、あくまでデータを読み込んで合成出力しているのは変わりないですしね。
ちなみに、いまのコンピュータの方式を考えたチューリングさんですが。彼は若いときに親友を亡くして、嘆いた結果人の魂を研究しようと思い立ったんだとかで。40代で早死にしたせいか、誰もこのことを知らないのですよ。道半ばだったんですね。ひじょーーーにユニークな数学のセミナーをやってくれている若手数学者の方に、教えてもらいました。森田真生さんといいます。
おはようございます。
色々教えてくださりありがとうございます。
知らない事ばかりだったので、後で単語の確認などをしながら、少しずつ理解を深めていきたいと思います。
ただ、分からないなりにこのコメントを頂いて私が思ったのは、コンピューターなどのシステムは常に直線なんだよなぁということです。
上手に説明できる自信がないのですが、この直線的思考回路というのが、そもそも自然にはないものだと思うんです。
というのも、自然が作り出すものに直線ってないんですよ。人間の身体も生物も、何もかも直線で表せないものばかりの上に唯一無二なんですよね。
だから人間の思考性や言動というのにも直線的なものはないのですが、一方で人間が作り出す物には直線的なものが多いです。
ですから、コンピューターが作り出す直線的動作というのは、人間よりも優れている部分が多く、人間の活動の補佐になっている事が多いのではないかなと思ってますが、その直線のシステムで人間を表そうとすると、そもそもの次元が違うものなので、おかしな事になるんじゃないのかなと、私は思ってます。
下手な説明ですみません。
これからも宜しくお願い致します。
自分の頭の中を全然わかりやすく書き出せてませんでした、ごめんなさい。
簡単にいい直しますと、
「今の方式のコンピュータだと、どうも"自分"というものが扱えなさそうだぞ」
という確信めいたものを持っているんです。
"自分"が扱えないと、魂も扱えません。逆に、その特徴って上の人たちの方針に合ってるんですよ・・・。
均質なゾンビを大量に作って・・・。
コンピュータは直線的な思考しかできないというのは、完全に正しいです。それを無理やりというか、ある目的(金儲けなどなど)をもって何にでも適用しようとして、おかしくなってますよね。自然の「唯一無二」なところを、「ちょっと唯一無二っぽく見える色々」で置き換えようとしてます。
古い世代だと、コンピュータが紙テープ(笑)を吐き出してるのシーンをウルトラマンなんかで見たことがあるものですが、あのイメージです、直線。
Google のAIが絵を描いたとかいってますが、ある一定範囲のイメージしか出力できないし、今後もできないと思います。ほぼ抽象画のような絵しか描けてないはずです。
男の子はAIに夢中で信者になりがちなのか、こういう話は女性の方がわかってくれるような気がしています。
現状はとても危険です。
次回難しいことを書くときは、もう少しかみ砕いて説明するようにしますね。
おはようございます。
稚拙な表現を汲み取ってくださりありがとうございます。
それから分かり易く教えてくださりありがとうございます。
「今の方式のコンピュータだと、どうも”自分”というものが扱えなさそうだぞ」
この言葉すんなり腑に落ちます。
そして、その分別がないままに、人間と対等、もしくは凌駕するものを作ろうとしているからおかしくなっていると思います。
AIやコンピューターが得意とする部分は、人間が不得意な直線的な部分であって、そこをロボットにお願いすることによって、産業革命から続いたルーティーンな仕事から多くの人が解放され、それぞれもっと人間らしい発想に飛んだことができる可能性が広がっているのに、なぜかそこに関して対抗して、一方でAIに支配されようとしている情景が滑稽に感じてしまいます。
こういった人間の勘違いが積み重なって、生きにくい現状や社会というものは生まれているのに、その最大の加担者になっている人ほど、陰謀論をまき散らし、自らを被害者だと思い込む。
残念なお話しだなと思ってます。
それではどうぞこれからも宜しくお願い致します。