全裸監督には、最近の表現物にはお目にかかれないほどの
「全方向への覚悟」
が、そこにありました。
「覚悟のない欲望ってつまらないと思うわ」
この言葉はドラマ(全裸監督)に登場する佐原恵美(のちの黒木香)の台詞
予告編の中にある
この時のシーンに放った言葉。
私はただ単に「流行にはついていこう」という軽い気持ちで、このドラマを観ただけだったのだけれども……
そんな私でも、見始めてすぐに「役者さん全てが腹の据わった覚悟で演じている」ことがもの凄く伝わってました。
その腹の据わり方は役者さんだけでなく、裏方含めた全体で持ち合せていることが充分過ぎるほど伝わってきて、その熱量に引寄せられ魅了され、気がつけばたった一日で全話(8話)見届けてしまいました。
そして、腹の据わった熱量というものが、芸術と呼ばれるものになるのだなと、改めて実感しました。
特に、全裸監督が公開された8月は、地元愛知で「覚悟が全くなかったことが露呈された美術展(あいちトリエンナーレ)」が開かれ、その不甲斐なさについてやたらと記事にしてきたので、「覚悟の有無」の違いをまざまざと感じ取ることもできました。
覚悟が全くない表現の自由は、単なるマスターベーション。
一方で、覚悟の末に披露したマスターベーションは勇気!
ちなみに、あまりの破壊力を持ち合せた玉山鉄二の登場シーンは、「まさか?」と思って巻き戻して二度見しましたよ。
しかも後であれをアドリブでやったと知り、「すげー玉山さん、すげーー!」と、心からの拍手を送ってしまいましたよ。
っていうかね……「全裸監督」を観て改めて思ったのは、「絶対に良い作品を作りたい」そう思う情熱と技術と行動力があってこそ、まずは形になるのであって、そしてそれが芸術と呼ばれるものなのかは、観る人が決めるものだということ。
つまり、あいちトリエンナーレのように作り手が「芸術」と決めたのなら「芸術」となり、尊重せねばならない事は、改めて甚だおかしいことだと実感できました。
そして、そんな事を最初から言い張って物作りする人は、単に反論が怖いチキン野郎なだけだとも思いました。
そもそも彼らには、腹を据える覚悟などないままに、自己主張がしたいだけだったのでしょう。
だから、薄っぺらい政治プロパガンダな品評会だったのです。
もし彼らに本当の覚悟があったのなら、観た人に何か訴えかけるものが少なからずあったはずです。
「自己主張の強いだけのオナニーじゃん」と私が思うこともなかったでしょう。
あいちトリエンナーレの表現の不自由展は、たった3日で開催を取りやめ、さらには被害者面して逃げ回るかっこ悪さを見せつけながらも、「だから日本はダメなんだ!」という主張を繰り返し、ディスカウントジャパンを行っています。
公的資金を使いながら常に日本を貶める工作を行っている彼らにおいては、通常行為というか理に適った行動なのでしょうが、彼らの工作の手法やパターンが分かってきた昨今は、多くの国民が彼らの言動に辟易しています。
また私は、全裸監督の覚悟を目の当たりにして、「不自由に閉じ込められた人が、自分の作りたい物を作るために起すべき健全な覚悟とは何か?」ということをしっかり感じ取れたので、あいトレ系の現代美術が「芸術とは全く呼べない領域である」ことに確信を持てました。
つまりあいちトリエンナーレを見て「自己主張の強いだけのオナニーじゃん」と思ってしまったことは、人として普通の感覚だったのです。
表現の自由がどうのこうの言われている昨今ですが、表現の自由を貫くことはそもそも簡単なことではありません。
それを「全裸監督」を観て、改めて痛感しました。
全裸監督は、AV帝王の村西とおるの人生を描いた作品ですが、村西とおる監督がそもそも破天荒です。それを描くドラマだからもちろん破天荒にもなります。
さらに村西監督が生きてきた場所が「えろ事」だしAVだから、今時のコンプライアンスを考えれば、それから役者さんにおいては今後の役者生命を考えたら、躊躇してしまって当然な社会環境です。
だから、作る前から大きな壁があるわけで……。でも「超えてみたいよね」っていう未来に対する渇望もあって作られたのだとは思うのですが……とはいえ、やったらやったで、もの凄い批判が来る可能性は最初から想定できるから、それ相応の対策の必然性は、準備の段階から考えるのが普通です。
もちろん「全裸監督」は、それをきっちりやって世に送り出しています。
そして、批判が来る事を覚悟した上で渾身の作品を作ろうと一致団結していたからこそ、「想像以上に面白いよ!」という声が、いろんな所から湧き上がる結果に繋がっているのだと思います。
一方でお左翼さまの展覧会「あいちトリエンナーレ」はどうだったでしょうか。
公金使って、自慰行為。
公金使って、銭稼ぎ。
公金使って、ディスカウントジャパンな空騒ぎ。
表現に対する真摯な心構えや覚悟など、そこには見当たらなかったと、私は記憶しております。
というよりも、
彼らは「覚悟という感覚が何か?」という事が、そもそも分からない世界にいるのではなかろうかと思います。
それは「自分のしていることが正義であり、正論」という感覚の強さが成せる技なのかもしれません。
つまりは「共感能力」が落ちているとも言えるでしょう。
自分が常に正しく、そして「自分の気持ちが分からない人が間違っている」と思えるからこそ、共感能力が欠落していくのです。
だから、全体が分からなくなり、反論する人の気持ちも分からなくなる。
まただからこそ、覚悟を持つ必要もなくなるだけでなく、「覚悟」という感覚そのものが何か分からない状態にまで陥ってしまうのではないのでしょうか。
それゆえ、反論された瞬間から平気で被害者面もできてしまうのでしょう。
こんな腹の据わらない人たちが表立って、表現を謳歌する時代は終わってほしいものです。
なぜなら、「覚悟のない欲望ってつまらないと思う」からです。
ちなみに全裸監督観たいなと思った人は、観る前に出演者からの諸注意は聞いておきましょう。
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