地球で最も大きなパラダイムシフトというか……物理的変化はここなのに、それにどうも気がついていない大人たち……。
それが混乱の要因ではなかろうかと。
2ヶ月前に発売したこちらの本↓で、
今の世の中で大きく変容している部分についてまとめさせて頂いているので、詳細は本書に譲りますが、一番大きな変化と言えるもの一つに、
「人間が時間と場所に縛られなくなった」
というものがあると思います。
今まで何千年も、いや何万年も人は時間と場所に制約があって生きてきたのですが、それがすっかりすっぽり外れるような社会環境に今なっています。
たとえば働く場所や時間は、今まで制約があって当然でしたが、いわゆるクリエイティブな仕事をしている人であればあるほど、その制約から外れるようになっています。
もちろん学ぶ場所や時間も同じ事。
今やいつ何時、どんな場所でもできてしまう時代になりました。
しかしながら、今までの社会の在り方は、時間と場所に制限があったからこそ成り立っていた訳で、この制限があってこそのビジネススキームしか今までは存在しませんでした。
また、現在の既得権益者の多くは、この制限があるビジネススキームの中で、地位と権力を高めた人ばかりだとも言えます。
制限の解放は、人類にとって本来ありがたいことなのですが、今までの社会の在り方で成功体験をしてきた人は、悪気なくその考え方(今までの在り方)を貫き通そうとします。
それが時代的に見て、非効率であることがありありと分かるものであっても、常識や慣習ということで、今までを維持しようとしてしまいます。
今の若者たちが労働に否定的な思いを抱えがちな理由の一つに、こういった側面もあるだろうなと思っています。
今の若者たちは、生まれた時から携帯があり、物心ついた時にはスマホがあり、youtubeがありLINEがありと……感覚的に、時間と場所に縛られない生き方を実践しています。
そんな中、今さらどう考えても時代錯誤としか思えない、時間と場所に縛られて、さらには馬鹿馬鹿しいとしか思えない仕事(利益のためにゴミを作るみたいな…こと)に、自分の貴重な時間とエネルギーを注ぎ込む意味が分からなくなる子もいて当然だと思うし……
【願い】ゴミを作らなくても、みんなが楽しく生きていける世の中になりますように。
逆にこういう感覚を持っている子の方が、人としては正常なのではなかろうかと思っています。
しかしながら、あまりに極端にというか……未知な発想で展開していく現代の変化を柔軟に受け容れていくことが、大人にはなかなかできません。
これが現代の混乱の要因になっているはずなのですが……その理由はどこにあるのでしょうか。
人間という動物は、一度それが正しいと思ってしまったのなら、その枠組みから思考がなかなか抜けないという性質を持っているそうです。
そして、その正しさの植え付けは子供頃に与えられた価値観が一番大きな影響力をもつとも言い、若いうちに馴染んだ価値観を背負って人は生き続けてしまうものだそうです。
その傾向を裏付けるものとして「婚前交渉を認めるか否か」というアンケート結果が分かりやすいと、武田邦彦おっしゃります。
↓詳しくはこの動画で↓
だからこそ、大人たちは時間と場所に縛られない生き方というのがどうも頭で理解できないのでしょうが……この理解できない頭によって、無理矢理作り出される制約が無駄を増やし、循環型社会への回帰を阻止するものになってしまっているのは……困りものですよね。
昔の日本は、誰かに学びたいと思うのなら、その人の傍に生き学ぶしか方法がありませんでした。
そういった理由もあって、大学などの教育機関はとても必要なものであり、意味があったものと思います。
しかし、情報インフラの発達によって、学ぶ場所の制限は取り払われており、家にいながらにして武田先生のような大学教授のお話も無料で聞かせて頂くことができるわけで、今の時代にどれほどまでに大学が必要なのかなと思ってしまうことも増えています。
とはいえ、大学に行けば就職の選択幅が広がるわけで、このような点において進学メリットはあるのかもしれませんが……、今や大学進学率は50%を超え、大学に行ったからというだけでは特段のメリットにはなりづらいのも事実です。だからこそ、如何にブランド大学に進学できるかという事にかかっており、少子化になってもなを、お受験戦争は熱気を満ちているのでしょうが……
これからの時代、人生が不安定になりやすいのは、いわゆるエリート層だと思います。(どうしてそう思うのかは、別の記事で書きます。)
敢えて不安定で、不幸なポジションを取るために頑張る理由って何かなって、私は思ってしまします。
それに、大学が大事にしようとする社会の空気感は、既得権益者の利権の為に思えて仕方ありません。
日本の大学のほとんどは、国の補助金がなければ成り立ちません。その補助金のさじ加減を握っているのはもちろん文科省で、文科省にとって大学は天下り物件でもあります。
結局無駄に大学が増えている理由って、学校法人のビジネス効率の側面と、文科省における自己保身なのではないのかなと思ってます。
また、それでも資金繰りが大変な大学は、留学生(主に中国人)の獲得にシフトして、その補助金狙いで運営を続けていたりします。
外国人留学生奨学金の廃止と留学生を受け入れないと成り立たない大学の廃校と日本人への奨学金返済不要の待遇を求めます
これは、教育機関のあるべき姿ではないでしょう。
単に教育が金儲けとなり、薄っぺらいサービス業に成り果てた結果と言えるのではないのでしょうか。
学ぶというのは、教育機関の中でしか学べないというものでは、そもそもありません。
逆に学ぶという体験は教室の外に転がっているようにも思います。
教育無償化については以前より私は反対なのですが、その理由は日本の教育機関は既に腐りきったとも言える状態になっていると思っているからです。
その上無料となれば、ダラダラと無意味に学び続けて、時間とエネルギーを浪費するだけになるの人も多数発生するのではなかろうか、と思うからです。
同じような事は、生涯学習という分野にも言えます。
今の時代、学びたいときに学ぶべき情報も環境も既に揃っており、そこにそこまでのお金をかける必要性もない状態になっています。そして、それをどのように利用するかは本人の知恵によるもの。
それができなければ、置いて行かれるだけになるのに、時間と場所に制限がある考え方は、置いて行かれる事を推進するような考えにもなっているよなって、私は思ってます。
まずは、既に時間にも場所にも縛られない生き方ができる環境が整っているってことに、多くの大人が気がつき、若者の感性を封殺しないようにしなきゃですよね。
話がバラバラしてしまいましたが、とりあえずこの記事はここまで!
■■■■お知らせ■■■■
来月9月21,22日に野外合宿企画を立ち上げました。
↑ご興味ある方!一緒に野外学習しましょう↑
■■■■■■■■■■■■
それではこれからも宜しくお願い致します。
先週発売させて頂いた紙書籍がPOD出版社の新刊ランキングで2位になりました。
皆さんのおかげです。
いつもありがとうございます。
ご興味ある方はこちらからご購入ください。
書籍情報はこちらから→ほんの少し見方を変えたら~ようやく本質に戻れる時代の中で~
電子書籍は半額以下のお値段で購入できます。
↓電子書籍はこちらから、縦書きと横書きがあります。
【縦書き】
【横書き】
View Comments
こんにちは!
毎日暑いですね(-_-;)
大学に関して、勉強だけ言えば動画で十分かなって思います。
でも、行った身としては、子供にも行かせたいなぁと思います。
理系だったから余計そう思うのかもしれませんが…
各先生の哲学を肌で感じれたのは、本当にいまの人生で大きいです。
実験の作法一つとっても個人で結構分かれるし、実験や授業の途中の「脱線」はとても面白く、楽しかったです。
接触のあるコミュニケーションは、動画ではカットされがちな「余分」を感じれるなと。
好きな作家さんが90年代に作中で「人と人が会うのがもっと贅沢な時代がくる」と言っていたのが現実になろうとしているんだなぁって思います。
さまざまな選択ができる時代になって良かったですけど、選ぶ技術はすごく必要だなと感じている中途半端な世代の人間です(^_^;)
おはようございます。
本当に毎日暑いですね
あんなに涼しかった7月が若干恋しいです。
はとりさんのように、大学でしか体験できない授業や哲学はきっとあると思います。
ただ、そういう体験の方が稀になっているんじゃないかなぁと……自分や周りを振り返ると思ってしまいます。
私の頃は、経歴を持つことが一つの資格でもあったので進学せねばと思って進学しましたが、私自身が短大で何を学んだかと言えば、何も学ばなかったとしか言いようがない状態で(>_
竹久さま
こんばんは。
ご無沙汰しております。
以前に何度かコメントさせていただいたリラです。
だいぶ遅くなってしまいましたが、SSL化お疲れさまでした。
SSL完了の記事にお名前を入れていただき、とてもうれしく光栄に思っています。すぐにコメントをしたかったのですが、出来ずにすみません。
今回の記事に書かれている教育の件は、どこでも勉強できるという考えには賛成です。
でも、大学という場は、若い人にはまだまだ必要と思っています。
今の子供たちはSNSでネットという空間に慣れ親しんでいますので、その反対の場として、触れて体感することでバランス感覚が身に付き、人生をより豊かにしてくれると考えています。
娘の通っている大学は、企業の研究者もお金を払って利用するような最先端のロボットテクノロジーに学生はいつでも触れられる環境です。
高校まで、また、社会人になり普通に生活していては中々出来ない最先端技術などを大学や専門学校では体験できるといったところも教育機関としての役割の一つではないでしょうか。その分、お金もかかりますが。。。
私は現役の大学生と高校生の子供二人いますが、
大学や専門学校も竹久さんがおっしゃるパラレルワールド化が進んでいると感じています。
大学や専門学校は、就職のためやエリートになるためではなく、自分が興味を持ったことや好きなことの専門性を高めるために行く場所です。
その知識が就職につながれば一番よいですが、学んだ知識がその後の社会人生活で役立つのであれば、進学してよいと思っています。
それが出来ている学校と、出来ていない学校に分かれています。
最近の子供たちは、ネットでさまざまな情報に触れるためか、自分の興味関心や将来をよく分析して、考えている子も多いと感じています。
学校の情報もネットで収集しますし、学部を就職のためとか、入学出来ればどこでもという子は少ないのではないでしょうか。。。
親もお金がない世代ですから、進学に慎重になっていますし(^^;
なので、出来ている学校は残っていくでしょうが、出来ていない学校は自然と淘汰されていくと予想しています。
今も、大学という場所で知的興味を満たし、さらに視野を広げて、いきいきと勉強している学生はたくさんいますよ。
波動の法則で、本来の専門分野をとことん突き詰めて勉強できる場所である大学の姿に戻る日も近いのではないでしょうか。
次女の高校の宿題で、大学のオ-プンキャンパスへいくつか出かけて、学生さんとたくさん触れて、そんなことを感じました^^
長々と申し訳ございません。
台風も心配ですが、暑い日が続いておりますので、ご自愛ください。
リラさんおはようございます!!
読み続けてくださっていた事が分かり、特別嬉しいです♪
コメントありがとうございます。
リラさんのお話しを聞いて、日本の大学に少なからず希望が持てました。
仰る通り、大学も大きく二分化していると思いますし、その大学に行かなくては学べない内容を提供している学校ももちろんあって、そういった大学は今後も是非とも頑張ってほしいと思っているのですが、そうでない学校の方が感覚的にはやっぱり多いように思ってます。
先ほどのコメントで書いた通り、私が社会人時代、学生集めに苦戦している大学や専門学校の仕事をしてきた事もあるとは思うのですが、そういう学校って、そもそも行く価値があるかどうか悩む内容ばかりがカリキュラムになっていて、そこで学ぶのと社会に出て学ぶのとでは差違がないどころか、社会に出て学んだ方が有益ではなかろうかと思うことを、教育と名を変えたビジネスで行われているのがなんだかなぁと思ってました。
こういう教育機関が増えているのは、少子化によって需要と供給のバランスが完全に崩れながらも、補助金制度で成り立っているからなのだなと気がつくに至って、ゾンビ化している大学をさらにゾンビのようにしていく社会システムは社会の害悪でしかないのになと思っていて、二極化の波が来ているのなら、早くこういう学校は淘汰されてほしいなと心底思っています。
そしてリラさんが仰ってくれたように、「本来の専門分野をとことん突き詰めて勉強できる場所である大学の姿に戻る」ことを祈ってます。
それから偏差値軸の学歴を重んじるのではなく、学歴関係なくそれぞれの専門性が発揮できて、その専門性を尊重し合える社会になれば良いなと思ってます。
こちらこそこれからも宜しくお願い致します。