人間は無力だと思う事が多い。
確かに自然を目の前にした人間1人の力は無力と言って良いと思う。
でも違うと思うんだ。
現代の人間は、何か自分に不都合な事が起きるたびに、「無力だ」と喘ぐ。
一方で、「自分は創造神だ」と言い張り、人間は全ての力を手にできるとも豪語する輩もいる。
そんな馬鹿馬鹿しい極端な言論の中で、多くの人は右往左往することになる。
私たちは、無力ではない。
でも、一方で何でも実現できる強力な存在でもない。
こんな議論は本来馬鹿馬鹿しい。
私たちは、ただただ微力なだけなのだ。
誰もが持っている力は微力なだけなのだ。
無力なのではない。
強力でもない。
微力なだけなのだ。
そこに気がつき、その微力を丁寧に扱えば良いだけなのだ。
そして微力なのだからこそ、力を合わせる必要があるだけなのだ。
それを忘れているから、翻弄されるだけ。
そして極端な理論に陥って、現実逃避を重ねるだけ。
無力だと思うのも、強力だと思うのも、どちらも間違い。
全ては微力。
私たちは微力。
だからこそ、力を合わせる必要があるだけ。
私たちはどうしたら力を合わせられるのか、本能的に知っている。
だけれども、この力の合わせ方をほとんどの国は分かっていない。
この事だけでも日本人が、この地球にとって如何に希有な存在であるかが、想像できる。
私たち日本人は、祖先から連なる長い歴史のおかげで、それを体感で理解できているだけではなく、当り前の日常として実践できてしまう。
それは海外から見れば大いにアメージングな民族なんだよね。
↓このことについて書いた記事↓
米国が恐怖に感じた集団化した時の日本人の凄さが私にも分かってきた(笑)
※どうでもいい話だけれども、この記事↑何でか知らんけれど、ロングセラーでめっちゃずっと読まれ続けてます。なんでなんだろう……。理由知ってる人いたら教えてほしいくらいです。
くどいくらいに繰り返しちゃうけれども……
私たち1人1人は、めっちゃ微力です。
でも、無力ではないです。
ただ微力なだけです。
でも微力だからといって、自分の力を放棄したら、そこからほぼ無力に変わりるどころか、微力の人たちの力をも削ぐ力に変わります。
だから、無力だと思ってはいけません。
私たちはそれぞれ微力だけれども、その微力を大事にして歩む他ありません。
そして、力を合わせればその微力は強力に変わることも忘れてはいけません。
自分の力の少なさに切なさを抱くこと無く、この微力を大事に育みましょう。
そして、周囲と供に生きることによって、この微力を強力に変えていきましょう。
私たちができることは常に微力だけれども、微力の力が合わさることによって、いつ時もそれは強力になるのです。
それを大事にしていきましょう。
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