かれこれ会社を辞めて7年の月日が経過しております。
しっかりとした定収入を放棄したのにもかかわらず、ふらりとした人生を謳歌しているように見える私ですが、まぁそれなりにいろいろありました。
私のブログは精神世界の内容も多いので、カテゴリーとしてはスピリチュアルに分類されると思います。
で、通常スピ系の情報に多いのは「この社会の否定」であって、そこら辺は私も同じかなと思うのですが、私が他のブログ記事と違うよなと自分で思う部分は、「この社会の形を否定したとしても、今ある現実から目を逸らさない」ことだと思ってます。
それから、極力今在る環境を放棄せずに、今在る環境を大事にして育てていった方が良いとお伝えしているつもりで、そこも違うなと思ってます。
ではなんで、こういう方向性なのかというと、それは自分が訳も分からず体当たりでやって来た結果、これは(社会を否定して、社会の外に出ることは)結構なリスクを抱える上に、根性がいる作業だという事が分かったからです。
ちょっと前の記事にも、「今在る場所を否定して違う場所に行くことは荒行」と書かせて頂いたのですが、自分で言うのもなんですが、結構ガチで荒行だと思うんですよ。
↓前に書いた記事↓
だから、いわゆるキラスピ起業女子系の話は大嫌いなんです。
本来荒行の話なのに、そこに見ないふりをしているのか、それとも自分の不幸に人を引きずりこもうとしているのか分からないけれど……とにかく絶対に荒行の方向に人を引きずり込もうとしているようにしか見えなくて……。
それでも、ぶっちゃけ私の思想と共通する部分はあって、それは「今の社会を否定する心持ち」にあると思ってます。
ただそれが基点となった言動はどうやら正反対に動くようなのですが……。
↓そのことについて考察した記事↓
ただね、どんなに今在る社会を否定しようとも、その心持ちによって生み出される現実は随分違うものになるよなぁと……ようやく7年の時を経験してみた私は思うのです。
会社を辞めた頃の私は、かなり資本主義社会そのものにものすごく否定的な気持ちを抱えてたの。
当時書いてた記事を読み返してみても、そこに対する違和感は熱烈に未だに伝わってきて、ただその頃の私は社会の全体像を全く把握できていませんでした。
だから、読み返すと「THEスピ系だな!おい!」って感じなんだけれども……
↓THEスピ系だな!おい!的な記事↓
それでもその頃の私は、社会の抑圧にいっぱいいっぱいで、それに加え「誰も幸せにならないような活動に従事する意味がどれほどあるのか」と思う気持ちが沢山あって、私は一旦その社会の枠組みの外に出てみたくなったの。
ただし……出てみたは良いのだけれども、結局資本主義社会を否定したら、お金がなくなるんだよね。
自給自足だけで生きていけるのであれば、お金の必要性はないのだけれども、やっぱり私たちの日常はそういう訳にはいかない……。
この事実との心の折り合いをつけるのが、私はものすごく難しかったです。
で、こういう心持ちになると何が起きるかというと……「働きたくないけれど、お金がないといきていけないとかいうジレンマ」と四六時中向き合わないといけなくなるのです。
これは辛かったですね~(笑)
「超働きたくない!」って思ってた頃は、お金がある時はもう全然働かないのだけれども、でも働かなければ必ず「お金がない!!!」って言う事態に遭遇するわけです。
私の場合、そういうタイミングに入ったら、とにかく天に祈ってました(^^;)
「金がない!誰か仕事くれ!」って祈ると、なんだか知らないけれど数日以内に仕事の電話がかかってきて、「あぁ今月も助かった」って感じで……。
そんでもって私の場合、とにかく助かったのは、スポットでもらえる外注の仕事の単価がとにかく高かったことです。前の会社で真面目に働いてきたおかげで、ちょろちょろっと仕事するだけで日当3万~5万とか頂けるスキルを会社で学ばせて頂いてたので、スポットの仕事でとりあえず一ヶ月から数ヶ月生きていくお金を得て、なんとか生き伸びることができのですが……、今見返してみるとね……そういう生き方してる方が、お金に縛られるなって思います(^^;)
そしてね、金欠になりやすい。
私の場合は、会社を辞めてからなんやかんやでかれこれ4年くらいそんな生活をしてたら、そういう生活にも飽きてしまいっていうか、ようやくこういう生活スタイルの方が疲れるかもしれないっていうことに気がついてきて(^^;)……っていうか、資本主義社会の外から世の中を眺める作業もお腹いっぱいになってきたってのもあるとは思うのですが……。だから、少しずつ普通に仕事をするようになったのだけれども……といっても、やってることあんまり変わらないのだけれどさ、「毎日ちゃんと働こう!人の役に立とう!」と思えれる環境の中で仕事をしていると、とにかく心が充実するよね。
しかも、こういう心持ちで仕事をしていると、ホントお金を頂けた時のありがたみが全然違う。
昔の私は、自分を金と比較していたから、頂く金と自分の価値がやたらイコールで結ばれていて、それゆえに苦しんでいた部分もあるのだけれども、今は素直に自分が仕事してそして相手が喜んでもらえれるだけで幸せで、その上お金が入ってくるなんてもっと幸せだから、仕事のストレスを解消するために「飲む!」とかいう行為は完全に失われてしまったよ。
でね、こういう気持ちになると(労働が素直に楽しいという感覚や気持ちになると)、「金欠」という感覚は不思議となくなるんだなぁって思って驚いています。
社会人の頃と比べたら、たいした額なんて稼いでないのだけれども、その頃よりも金欠感がなくなってることが凄いよなって最近思ってます。
結局、「労働に対してなんらか否定な思いを抱えていることが、金欠を作り出すだけなんじゃないかな」って最近は思います。
つまり、お金の所持額の問題とかではなくて、単に心持ちの問題だったのではないかという結論にようやく至りました。
今の世の中は、労働=悪という雰囲気がどんどん強まっているからこそ、「働かずして楽したい」という思いが蔓延して、そういう思いの上での言動が様々な「金欠状況」を生み出しているんじゃないかなって思ってます。
はたらくは、お金がもらえてももらえなくても、人の役に立てた実感があれば、必ず楽しいです。
もしくは、自分の本当に好きなことをやらせてもらえている実感があれば、必ず楽しいです。
こういう楽しさを継続していると、資本主義だとかどうのこうのとか、実は関係なかったということにも気がつくようになると思います。っていうか、私はようやく最近気がついてきました。人がどういう心持ちではたらくかで、経済そのものが変わっていく気がしています。
そして、素直に自分の心が楽しくはたらけるようになると、心の感覚として金欠は無縁になっていくものかもなぁと思ってます☆
心持ち整えていきましょ!
心持ちが整うと、毎日が楽しくなるはずだよ!
最後になりましたが、昨日発売告知をさせて頂きました新刊、AMAZONランキングで上位に入りました。
本当にみなさんのおかげです。ありがとうございます。
ほんの少し見方を変えたら~ようやく本質に戻れる時代の中で~
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紙書籍は現在最終入稿などの手続きをしておりまして、発売は7月頭頃になる予定です。紙書籍が良い方は、少しお待ちくださいね。
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竹久様
お久しぶりにコメントさせていただきます。
この感覚、非常によくわかります…!
私も、「人の役に立つどころか、情報を与えずにお金をだまし取るような仕事」に飽き飽きして会社を辞め、自分で資格をもとに仕事を始めましたが、当時は毎月金欠で、満月にはいつも「お金が毎月○万以上入ってきますように…!」と願っていました。
今から見るとそんなに困窮してるわけでもなかったと思いますが、とにかく窮屈でお金に対する不満が多かった思いだけが残っています。
そんな中、竹久様のブログに出会い、エゴと波動の話に衝撃を受け、日々実践していく中で、
去年コメント欄で竹久様に「それ、転機ですよ!!」と言われる大きな出来事がありました。
私は去年は毎日今生きることに精いっぱいでしたが、自分の気持ちと竹久様に背中を押されて、
今年から社会福祉法人で働き出し、通信大学に通いながら仕事を覚えるという全く新しい環境にいます。
覚えることがたくさんあり、とにかく毎日時間が足りませんが、昨日の満月を見ながら、今は不満をもつことが全くなくなったことに気付きました。
今の職場はお給料も低いですが、家族収入でみると十分な収入があり、お金に対する不安もありません。
今は非常に穏やかな心持で毎日今を一生懸命過ごせることに、非常に充実しています。
長々と自分語りをすみません。
竹久様の記事で、「そうそう!私もそう思ってた!!」と驚き、そして改めて自分の状況に感謝しなきゃいけないことに気づき、ついコメントしてしまいました。
新しい本、とても楽しみにしています。
ありがとうございました。
おはようございます。
素敵なコメントありがとうございます。
渡辺さんの日々が穏やかに変化して、しかも日々充実した気持ちの中で過ごせていると知り、本当に嬉しいです。
私がお伝えしていることを実践すると、絶対に「こんなはずじゃなかったのに!」と愚痴りたくなるような日常に一旦追い込まれるはずだと思っているのですが、それでもそれを受け容れて実践してもらい、その上で同じような感覚になってもらえたと知ると、本当に本当に嬉しいです。
心持ちの変化って、日々の彩りを変えますよね。
お互いこれからも精進して参りましょう。
どうぞこれからも宜しくお願い致します。
こんばんは。ひさしぶりにブログをゆっくり読めました。
今わたしは、公の仕事をしています。新卒の頃は営業職をしていて、利益を上げるのが至上命題、相手の気持ちなんて関係なかった仕事でした。
わたしはその考え方に馴染めず、心を壊した上にリストラで退職し、現在に至っています。
今は、利益を追求はしませんが、公共の福祉を考えるのが仕事です。むしろ、現代では無駄遣いと言われがちな分野です。
ですが、間違いなく困っているひとがいて、助けるための制度があって、わたしたちはその制度のルールに従って困っている人たちの手助けをする。
やって当たり前、ほめられることのない仕事です。やってもやらなくても給料は同じ。省エネしようと思えばいくらだってできるんだろうけれど、それをやったら終わりだとも思ってます。
何でそんなことを言われてまでやらなきゃいけないんだろう、と心が折れることもあるんですが、日々関わっている人たちのありがとう、という5文字に支えられています。
夢を叶えたか、といわれれば「はい」と即答できないですが、仕事をすることで誰かの役に立てて、しかもお給料がもらえているならそれでいいなとも思えます。
派手さはないけど、でも、ここにいて働いていいという一見当たり前に見えることが、実は全然当たり前じゃなくて、もしかしたら結構奇跡に近いのかな、なんて、ゆりこさんのブログを読んで思いました。
ちょっと、元気が出ました。また心が折れるかもしれないけど、明日もちょこっと頑張ってみようと思いました。
とりとめのない話でごめんなさい。しんどい1日を終えて更新を見に来たら、この記事に出会ったので、つい長々居座ってしまいました。
おはようございます。
コメントありがとうございます。
私は父が半身不随の身になって、障害者を抱える家庭となってから、公共の福祉が日常の身近となり、またあまりに行き届いたこの国の制度に本当に驚き、感謝をしました。
また会社を辞めてから個人事業主ともなったのですが、こういう環境になってみて初めて、この国はもう一度立ち上がれるように、自立できるように様々な制度を用意してくれているのにも驚きました。
あまりに行き届いたサービスゆえに、そこに依存してしまったり、またこの有難い制度を悪用し、自己利益追求する人もいることでしょう。問題なのは制度では無く、民度の方だったと、自分がそこと向き合える立場になって初めて気がつけました。
また、国会が福祉を様々な形で政局利用しようとしていることも、現場の混乱に繋がっているかとは思いますが、本当にUさんのような心ある優しい人々の気持ちと努力に支えられて、いざ困った時には助けてもらうことができる環境がある国家の民であることが本当にありがたいことです。
仕事で「誰かの役に立てている実感」に勝るものはないと思います。
それでも辛い日は誰にも必ず訪れるものですが、それも地道に乗り越えて、今日も楽しんでいきましょう。
どうぞこれからも宜しくお願い致します。