緊張と解放、もしくは興奮は、アドレナリンの分泌を必要以上に促進するんじゃないかなって、ずっと思っています。
今の私からは考えられない人が多いかもしれないけれど、昔の私は、とてもとても刺激的な事を好む人でした。
今振り返ると、どうしてあの頃の私は、超絶忙しい仕事を抱えた上に毎日クラブ通いができていたのか分からないのだけれども、常連のクラブで働くバイト以上にクラブに出没していた時代が私にはありました。
今みたいに暇な毎日を送っていたのなら、毎日クラブに行ける程度の時間の余裕はめちゃくちゃあるのだけれども、当時の私(20代の私)はぶっちゃけ超多忙で、たったの一週間で、多い時には10本程度の企画書or報告書の作成とそのプレゼンをこなし、さらには営業+女子高生の世話+事務所の雑務をこなし、さらに友達との間で定例となっていた週一コンパにも足繁く通い、その上で毎日クラブ通いをしていたのです(^^;)
あの時代「めっちゃ働いているのに元気だね!」って人に良く言われたけれど、当時は言われている理由がよく分かりませんでした。
振り返って見れば、あんだけ働きながら毎日クラブ通いしちゃってる自分のバイタリティに驚きなのですが……当時は、それがおかしいとか不自然とか分かりようもなく、とにかく今日溜め込んだストレスをクラブに行って発散して、明日に備えることが私の日常でした。
毎日当り前にクラブ通いをしていたそんな絶頂期の時代は、二十代後半の一時期だけですが、社会人時代の私はほぼほぼ似たような生活を繰り返していました。
そういう経験をしてみたからこそ、分かることがありあます。
今の私からあの頃を見てみると良く分かることがあります。
あの頃の私は、極度の緊張と極度の興奮を日々繰り返しをしていたよなぁって思います。
そして、求めていたのは興奮で、その興奮のために緊張は必須の作用だったように思います。
緊張があるからこそ興奮は起こり、その興奮には常に大量のアドレナリンが分泌されていたように思います。
そして、アドレナリンが大量に分泌されたであろう後には、ものすごい落ち込む気持ちがなぜだか出てくるものなのですが、仕事上それに構っていられる暇はありません。
とにかくアドレナリンを作り放出する作業を繰り返し、その上で疲れたら寝るという作業をずっとしていたように思います。
また、アドレナリンが常に出ている気持ちよさに慣れすぎると、それが出ていないことに今度は不安定さを覚えて、どうにかしてアドレナリンが出るような、出ているような気持ちよさに入りたくなってしまうように思います。
私の場合は、「仕事が終わったらクラブ!」っていうのが、その作用を作る為の必然の言動だったように思います。
ただ、それは今思えば無意味とも言える人間としての反応だったなぁと思います。
強すぎるアドレナリンを出せば、反動は必ず起きます。
そして、人間として普通に楽しみ、普通に喜び、普通に悲しみ、普通に生きようとする時、アドレナリンの過剰分泌は、その人にとって足枷に必ずなるはずだ!と、今は思います。
人の世には、晴れの日褻の日があります。
確かに、晴れの日には少々高めのアドレナリンが出てしまうことはあるでしょう。
でも、その晴れは毎日のことではないから、少々高めで済むのだと思います。
しかしながら、現代に生きる人は昔の私のように、常に多量のアドレナリンを出し続け、その反動に自分が対処できないまま、興奮が日常でないとおかしいというような感覚に陥る人も多いのではないのかなと思う時があります。
その興奮は人間を破滅させていく傾向が強いと、経験上思うことが多いので気をつけた方が良いよな思っています。
沢山のアドレナリンが体から出るのは、そもそもの性分もあるけれど、一度その体癖になれると、その体癖を直すのは結構大変なはずだと、経験者は思います。
アドレナリンが出過ぎる環境から離れることがまずは大変です。
そして自分自身を見つめ、さらにあまりに普通で他愛もない日常に面白さを楽しみを見いだす努力を続けることも大変です。
でもそれを続けていけば、次第にその刺激を求める感覚は治まっていくものなのですが、その過程はやっぱり大変だと思いますよ。
そんなこんなの時代を通り過ぎ……静かに暮らすことが日常となった今となって思うのは、無駄にアドレナリンが出過ぎるような刺激的な日常ほど、非効率なことはないよなと思います。
穏やかな日常は、刺激的ではないけれど、省エネでエコな感じがします。
こういう感じの方が時代にあっているし、そもそもの民族性に即しているように思います。
無駄にアドレナリンを出さずに、ノルアドレナリンを大量分泌する日常の方が楽しい感じが今はします。
なんでこんなことが突然書きたくなったのが不思議です。
書き残しておきたかったのかな?って思っとこう♪
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アドレナリンが良い方に傾くと交感神経がビンビンに高まって
集中力も高まって、確かに良い仕事が出来ますよね。
映画「ウォンテッド」では非常に分かりやすい表現でした。(トンデモ映画ですが)
アドレナリンともう一つ重要なのがβエンドルフィンってやつですけど
分かりやすい記事がありましたので
貼っておきます。
http://blog.livedoor.jp/ureshitanoshi/archives/1586609.html
今日も素敵な情報を教えてくださりありがとうございます。
リンクされた先にあったこの言葉、ものすごく腑に落ちました☆
「人生を愉快に生きなさい。愉快に生きればいつも若々しく健康で、病気にも無縁で長生きできますよ」と。
脳内モルヒネの存在は神様が正しく生きる人間にくれたごほうびともいえます。
私は愉快に生きているとは言えないですがwwww、いつの間にか病気に無縁な体質になってきているので、脳内モルヒネが上手く出ているのかな?って思ったりしましました。
教えてくださりありがとうございます♪
こんにちは。
アドレナリン過剰な毎日、なんだかとてもよくわかる記事でした。学生の頃、好きなミュージシャンがいて、ライブがあれば遠征をして、それ以外にも興味があるライブには、マックスで週3回行ったりしてました。
そのためにアルバイトをして遠征代+チケット代を調達して、勉強もして…
とてもいい思い出ですし、えらいパワーがあったもんだと思いますが、今同じ事をしたいかと言われれば、実はそうでもないのです。家で掃除や洗濯をして、平日用のお弁当のつくりおきなんかしているのも好きだったりします。
わたしはそこを確かに抜けたのだ、と、この記事を読んで思いました。
求めなくなった自分を、どこかで寂しい自分になったと思っていたのですが、そうではなくて、バランスを取れるようになったんだなー、と。
今でもライブには行ってますし、好きなミュージシャンも変わらないんですけどね。
ある意味。やりたいことをやりたいだけ、誰にも口出しされずにやりきれたからかもしれないです。
刺激が少ない毎日に見えても、自分を結構好きになれていたんだなと気づきました。ありがとうございます。
おはようございます。
コメントありがとうございます。
求めなくなった自分をどこか寂しく思う気持ち、なんだかよく分かります。
特に私の場合は、単調過ぎる毎日のどこかに飽きを生じたりすると、その懐かしさに羨ましさとか寂しさが追加されたりするのですが……
そういう時はよくよく向き合って、今それをしたいかどうかを問いかけると「もうお腹いっぱい」にやっぱりなったりして、「今の方が良い」と思う気持ちが出てくるから不思議です。
刺激が少ない毎日の中で淡々と生きるって、仰る通り自分の事が好きじゃないと結構難しいしと思うし、それができている時点で自分を認められているってことかもしれませんね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
竹久さん こちらの記事は自分にとって共通点はないのですが、コメントさせていただきます。
まず、竹久さんの超多忙な仕事内容と私生活に驚きです!!!
敏感気質の自分は到底出来ないことばかりで、想像すると頭がクラクラする程です。人ごみが苦手。音や光が苦手(映画館も)競争させられる事が苦手。他にも苦手な事がたくさんありますが・・・。改めて資本主義のピラミッド構造は敏感気質の自分にはついていけないことばかり(泣)まぁ~このピラミッド構造じたいがおかしい話ですからね。永遠に競争させられ、誰も幸せを実感出来ず、エゴ肥大の要因になってますから。
やっぱり日本人は、本来の循環型(○型)の生き方だよね!!って実感します。
HSPの本・大嶋信頼さんの本・岡本せつ子さんのチャネリングメッセージ・そして竹久さんのブログが心の拠り所になってます。
記事とは関係ない、自分の独りごとになってしまいました。失礼いたしました。
過去の私はなんであんなに働けたんでしょうね(笑)
まぁ色々あったけれど、楽しかったからでしょうね。
会社一人で任せられていたのもあって、誰かと競争する必要もなかったし、それにニッチな業種だったので競合他社もなかったし、そういう環境だから気がついたらオタク発揮しちゃったってだけだと思います(笑)
それではこれからも宜しくお願い致します。