3-5.革命に必要なのは現在の否定

※こちらは、以前私がアダルトチルドレン(現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人)の問題に向き合っていた時に書いた内容を掲出しています。できれば最初からお読み頂ければと思います。→0.はじめに

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アダルトチルドレンは国民病?!

第三章 戦後教育・戦後社会とデュープス

 

3-5.革命に必要なのは現在の否定

共産主義に革命理論がセットになるのは、彼らの理想を達成するためには「支配者が存在する国家は解体する必要がある」と考えるからです。彼らの考えは常に支配者は搾取するという固定観念がつきまといます。そのため、理想の国家作りのためにはまず支配者を倒さなくてはならないという工程が生まれます。そして、支配者を倒して初めて理想国家のスタートが切れるという考えが根底にあるので、革命が必要になるのです。

ちなみに、維新と革命を日本人は混同しやすいですが、これは違います。維新というのは、「(世の)いろいろのことが改革されて、みな新しくなること。」を意味します。今までの世を否定するのではありません

明治維新によって、日本からはお殿様がいなくなりました。そして、廃藩置県を行い、西洋文化を積極的に取り入れましたが、歴史を観る時に私達が気をつけなくてはならないのは、明治維新は今までの時代を否定はしてはいないということです。

江戸の幕末期は混乱もあり、内乱・内戦もありました。ただし、江戸幕末は「打倒江戸幕府」ということで誰しも動いていたわけではありません。海外の脅威に対して、どう日本があるべきか揉めに揉めて動乱が起こったのであって、標的は江戸幕府ではなかったのです。

最終的に徳川政権は大政奉還(政権を朝廷・皇室に戻すこと)を行い江戸時代は幕を閉じることになったのですが、それは誰もが今後の日本の事を考えた上で最適だと思われた結論であって、倒幕だけを目的に行った行動ではないのです。目的は「海外の脅威から、いかに日本を守り抜くか」だったのです。

一方で革命の意味には、「今までの社会を倒して新たなものを生み出す」意味があります。そのため革命の場合は、今の時代をことごとく否定していくので、今の政権や社会体制が敵となり、それを倒すことが第一目的となります。

つまり、革命の場合は「全体を考えた上で何が最適か」を考えるのではなく、「目の前に蔓延る権力者や社会体制が潰れることがスタート地点に立つための必須の作業」となるのです。

だから、日本で起きたのは維新なのです。革命ではなく、維新なのです。

また、維新と革命でもう一つ違うと思うことは、行動の基点に自己利益の還元というものを考えているかいないかということです。そこに精神の基盤に違いがあるように思います。維新の場合は滅私と利他が必要となり、革命の場合は、保身と利己が優先されていくように思います。

明治政府は、開国派であった薩長藩出身者が権力の座に座ることになりましたが、一人一人の行動思いの中にあるのは常に「日本」のことであり、自分の権力や地位を獲得するために行動していたのではないことがよく分かります。それぞれが身を粉にして、批判されても窮地に陥っても、明日の日本の安定と安寧を模索しながら、一生懸命行動されております。

一方で革命の場合は、己の不満を解消したいという感情的欲求が強く先立ちます。今の政権や君主を倒すことで希望的な未来が作れると思い込むのは近視眼的な個人の欲求に過ぎません。

そして、革命思想に溺れる人ほど、自分が正しく相手が間違っているという思いが強くなるため、感情主体で自分だけが正義となっていきます。そのため、自分の正義を守ることが重要になっていくため、民のことよりも自己の安定や安寧が重要になっていきます。ですから、自分を犠牲にしてでも人を守るという気持ちはどんどん薄らいでいき、自己を守ることが重要になっていきます。世界のほとんどの国が何度も国作りに失敗しているのは、根底には同様の革命思想があるからだと思います。

そして、共産主義こそが現在ある政治思想の中でもっとも革命思想が強く、「理想を達成するには暴力も辞さない」信念を持ち合わせるから危険なのですが、その革命に最も必要な要素は、現社会の否定であり、国家の否定となります。

なぜなら革命とは、今ある現実の不満があってこそ成り立つものなのです。今の王朝によって苦しめられているという民の不満のエネルギーがあってこそ、革命は起きるものなのです。もしも、みんなが今ある現状に満足していたら、今が継続していくだけのことであって、革命は起こるはずもありません。

GHQの行った政策は、その観点で共産党のような革命論者とは非常に息が合うものだったと思います。

彼らが目的とする共産主義国家に存在してはならないものは、君主や権力者です。共産主義にあるものは全ての平等となるため、国家の頂点となる君主を打倒することが、目標を達成するために第一ハードルとも言えることです。

そして、君主を打倒していくために必要な事は、今の国家体制を否定し続けることなのです。「日本はとても悪い国だ。その悪い国を作ったのは権力者たちだ」と思う人が増えれば増えるほど、共産党が理想とする国家が実現していくことになるのです。

ですから、自虐史観で彩られた戦後の教育体制は、そもそも国家を否定的に見ていた共産主義論者にとっては、非常に好都合でやりがいのある環境となったことでしょう。しかし都合が良いのは彼らにとってだけであって、親を愛し、国を愛し、祖先を愛したいと願う素朴で穏やかな人生を求めている国民には迷惑な話です。

しかしながら、彼らのイズムが知らず知らずのうちに入り込んでしまった教育体制によって、私たちの心持ちも気がつかぬうちに彼らの考え方と同調するようになっています。そして、様々な問題が生まれ続けています。

 

ちなみに、天皇制という言葉は共産党が作った言葉です。この言葉のおかしさだけは、ここで伝えておきましょう。

私達の国家は大和朝廷(皇室)によって紡がれた歴史なので、天皇や皇室という制度があって国家があるわけではありません。二六七九年前に建国し、そして大和朝廷の歴史と共に国家が大きくなり民族として繁栄してきただけのことです。ですから、制度が先にあって国ができたような考えを担保する天皇制という言葉はそもそもおかしいですし、これを使う人が増えているということは、知らず知らずのうちに多くの人が共産党理論に陥っている現れだとも思います。もしも制度的に何か言及したい時は、「皇室制度」と呼ぶのが正式であり、相応しいと思います。