空気が人を支配するのか、それとも一部の人が作り出した空気に人は支配されるのか。
昨日も紹介した「「空気」の研究
ちなみに、山本七平さんが「空気」と呼ばれるものは、私の中では「波動」ですので、「雰囲気を主体とした根源」のようなものだと思って頂けると理解しやすいと思いますので、その点ふまえてお読み頂くことを望みます。
20世紀という時代は、人類がかつて経験した事がないほど、空気に威圧された世紀だったと言えるのではないのかなと思います。
波動というものは全ての存在が持ち合わせるもので、こと人間においては個人個人の感情が波動の決定権を持ち合わせていると言い切れますが、そこに人は無頓着であったことでしょう。
そして、その感情を作り出すのは、常に情報であることも無頓着であったことだと思います。
この無頓着が「空気の支配に逆らえない空間を生み出した」のだなと私は思いました。
20世紀という時代は、「情報躍進の時代」とも言える時代でした。
地域の情報程度のことしか知らなかった人間たちに、一気に地球全土の情報が降りてくるようになりました。
それを可能にしたのは、マスメディアと呼ばれる情報専門屋の存在でしょう。
マスメディアは日本国土津々浦々、さらには全世界に向けて情報を発信できる機関ですが、僅かな人数によって組織されている機関です。
しかし、私たちは、それがほんの少しの人の考えが基点に流布されているとは思いません。過去に生きた人なら尚更のことでしょう。
少人数だけによって作られた世界の話だとは思わず、満遍なく広い事実が並べられていると思ったに過ぎないでしょうが、そこには必ず主観や偏見が存在します。
そして、その人の言霊に乗る思いは、その言葉を信じた人には必ず伝播します。
そして、その伝播によって世の中の空気は醸成されていきます。
しかも、一気に広がる情報共有ほど、空気を作っていくために、大きな力を持ち合わせる存在はいません。
ここに気がつけない人が多かったから、20世紀を空気によって支配させていったのだろうと私は思います。
情報を素直に受け取れば受け取るほど、情報発信者の意図をそのまま自分の中に埋め込むことになりますが、その事実に過去も今も気がついていないのだろうと思います。
そして、それが波動同期を促すことになっているだろうとは、露とも思わないのです。
だからこそ、20世紀は空気による支配が可能になってしまったのです。
人ほど情報に左右される存在はいないと言って良いでしょう。
人は、情報如何によって、現実の見え方が大きく変わります。
ついさっきまで素晴らしいと思っていたものであっても、誰かの一言でそれが悪に見えることなど往々にしてあることです。
しかしながら、穏やかな日常を日々生きてきた人間たちにおいて、情報は常に穏やかな事実でしかありません。
もちろん、情報を受け取った先にあることについては特に無頓着であったと言えるでしょう。
また、波動が凪の人ほど、時化の波に飲み込まれやすい事実すら全く気がついていなかったでしょう。
だからこそ、メディアはセンセーショナルの言葉に踊らされました。そしてそれを垂れ流し、また民はそれを真実であり事実として受け取ることで、現実離れした情報空間がこの地球で成立することとなったのだと思います。さらにこの空間こそが、実態のない空気の情報を真理であり事実であると言える感情を作り出し、現実を生み出す契機となっていったのだとも思います。
空気が強く支配する世界というものの中において、現実というものはとても辺鄙なものです。なぜなら、空気こそが、その空気に乗ることだけが、生命維持に匹敵するほどの強い威力を保つのですから。
そして、人々がこの空気に乗ることによって、さらに強力な空気支配による現実が生み出されていくのですが、水を与える存在がいなければ、よりこの空間は強固となっていきます。
結局のところ、人間それぞれが、自分の思いによってこの現実が作り出されていることを知らなかったことが空気の支配をより強めていくことになったのでしょう。
また、情報流通に制限があった時代においてマスメディアの威力はとてつもなく強大でした。あまりに力が強すぎて、誰もがそれに逆らえない時代でもあったとも言えます。
今私たちに与えられているのは、「分離から統合」とかではなく、単に事実に戻るだけの話でしょう。
空気が強くなればなるほど、それが作り出す世界観は、事実を無視した理想と仮想に彩られます。
ネットというインフラが整備されたことによって、この空気に水を差すことがようやくできるようになっただけでしょう。
今のようにインタラクティブに情報交換ができるようになったことで、ようやく事実がメディアを介せず流布できるようになりました。そして、情報支配ができる立場にいる人の意向や思惑にようやく乗せられることのない環境が整えられるようになったのです。
それでも、まだこの空気は強硬です。空気が作り出した仮想空間を超える勇気が今私たちに必要とも言えますよね。
空気に勝つための方法は、去年の今頃書いた記事で解説させて頂いておりますので、どうぞこちらもお読みください。
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吹いて空気の如く
飲んで水の如し
たしかに
ほぼ空(から)である密度の低い空気(気体)よりも・・・
ほぼ満(みちる)である密度の高い水(液体)のほうが熱伝導率も良いですよね!
(*^O^)ノ 空気よりも水のほうがエネルギーが伝達しやすい♡
そうなのかもしれませんね。
これからも宜しくお願い致します。
初めまして。おはようございます。
波動について興味深く読ませていただいています。
空気と水の関係、なるほどと思いました。
濁った低い空気に水を差すと、きっと最初は濁流になるでしょうね。完成したての水路に初めて水を流した時のような感じ。
やがて水の流れが安定して、清流になって、新しい生態系が生まれて。でもまた引っ掻き回すような乱れが起きて。
それでも水は、一度道が出来るとその道を覚えるそうです。
何だか、もうマスコミが幾ら親韓を煽っても、事実を知った日本国民には無駄っていう現状みたいです。
はじめましていつもお読みくださりありがとうございます。
「水は一度道ができるとその道を覚える」良い言葉ですね。
空気の支配によって作られてしまった、様々な問題が今目の前に広がっていますが、事実を直視することで一つずつ問題を昇華させていきたいですね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
竹久さん こんにちは。
空気は波動。水は事実。に、なるほど!と、うなずいてました。
20世紀の空気は、とてつもなく低い波動でしょうね~。国と国が争い殺しあっていた世界だったことを考えただけで、恐ろしいい世界です。低い波動の世界はまさに地獄絵図ですね。この低い波動の世界(社会)から抜け出すには、大変な勇気が必要でしょう。この役目が日本(人)なんでしょうね。
情報を使いこなすのではなく、情報に右往左往・一喜一憂し情報に支配される。
お金と同じ構図と感じました。
余談ですが、霊視能力と波動の高さは比例しないのですから、第3者の審神者が必要なのではないのかな?と思う今日この頃です。
こんにちは。
書籍の方でも言及しましたが、波動が高い人は低い波動の影響を受けやすく、そのため空気に流されやすいと言えます。
その空気を気にしない人はただの「KY」ですが、分かった上で乗り越えるのは多大なる勇気と腹の底に持ち合わせる力が必要となります。
それぞれがそれを思い出して、実践していきたいですね。
審神者と名乗る人が低波動者であることもよくあることです。
自分の分からないことを誰かに頼るのではなく、自分の分かる範囲のことをそれぞれが実直に丁寧に実践して、それぞれが自分の分かる範囲の中で自信を取り戻すことの方が必要なのではないのかなと、私個人は思っております。
私事で恐縮ですが、、
半世紀生きてきて、去年自分が敏感すぎる(HSP)気質だということに気づきました。そこで、今までの生きづらさが理解出来ました。
特に私は、自分と他人を区別する精神的な境界線が薄く、他人の心や体に起きたことに過剰に共感したり、他人の問題をまるで自分のものとし体験したり、非常に他人に影響を受けやすかった。ということです。
本には、エネルギーバンパイアの攻撃から逃げるには、境界線を保つこと。平常心でいること。相手を意識しないこと。とありました。
自分が波動を下げたり、低波動の人と同期しないように注意したいと思います。
そして、低波動の人には「水に流す」のではなく「水を差す」ことも必要だと感じました。そこに勇気が必要なんだと思いました。
竹久さんの去年の「偽スピ関連記事」の掲載した時の心持ちをふと思い出しました。
思いやりや、相手の気持ちによりそうことは、日本人は意識しなくても出来ますが、おかしいことは、おかしい!嘘は嘘!と当たり前のことが言える世の中にしなければいけませんね。
正直者がバカをみる世の中はもう卒業したいですもんね~。
こんばんは。
あぁぁぁぁ、自分のやってきた事に深い理解を持ち合せてもらえたように思えて、純粋に嬉しいです。
私は確かに水を差してました。水に流すのではなく、水を差してました。
あの行動の根幹にあったものを分かってもらえたことは、素直に嬉しいです。
どうぞこれからも宜しくお願い致します。
おひさしぶりです。
ブログはずっと拝見して勉強させていただいていました。
空気と水の説明、とてもわかりやすいです。
私はHSP(という名前づけも好きではないですが、便宜上使います)タイプで、小さい頃からまわりの空気や流れがわかるタイプでした。
ゆりこさんがおっしゃる波動だったのだと、今は理解しています。
そしてこれは、日本人はもともと感じ取れるものだったのだと思います。
「私はこれを感じる」、とわざわざ言わなくても、日本人がみな持っていた能力だと。
狐に騙される、の話で、子どもの頃のことを思い出しました。
私は現在55歳ですが、子どもの頃の母の実家はかなりの山奥の田舎でした。
囲炉裏があり、そこで鍋を煮ながら皆で囲炉裏を囲み、話をしていました。
その話の中には、「この前○○が、狐にばかされて~」とふつうのこととして話され、私はとても不思議な感じがしたものです。
昔話ではなく、日常のふつうのことと話されていました。
日本人は、ずっとそうして狐や八百万の神々と暮らしてきたのだと、微笑ましく思い出します。
けれど、母はアダルトチルドレンでした。
囲炉裏と八百万の神々と暮らすなかで育ったはずなのに、母はアダルトチルドレンでした。
明治以降の上を目指せ! という考えが、母の祖父あたりの考えを変えていったのかと考えています。
情報が人の考えを支配し、結果、現実(仮想の)を作ってしまう、はとてもよくわかります。
本当にSNS、ネットのおかげで正しい情報が入るようになり、仮想が仮想だとわかるようになってきたのはありがたいことです。
このところ神道を勉強していますが、神道に真実があるな、と感じています。
「水を差す」ゆりこさんの活動に、とてもぴったりな表現ですね。
こんにちは。いつも読みくださりありがとうございます。
先日紹介させて頂いた書籍にも同様のことが書かれてました。日常的なこと、つい最近の出来事の一つとして「狐にだまされる日常があった」と書かれていました。やはり普通だったのですよね。
今丁度「いだてん」を観ているのですが、私が最も注視しながら観ている部分は、明治の人たちが西欧の情報に惑わされたり、東京一極集中していく中で、また上昇志向が求める世の中で、人々がどのような葛藤を抱えるのかと言う部分です。
明治から昭和について描かれている「いだてん」は富国強兵をスローガンに一致団結していく中で生じた歪みなどが理解しやすいなと思って観ており、アダチルが生まれていく過程もより深く理解できるように思います。一言で結論づければ、「仕方なかった」とも言える環境がそこにはあったなぁと思います。
そんな流れもあり、この150年間日本は西欧に感化されてきましたが、日本の中にそもそもあって真理に立ち返る時期にきているように思います。
それではこれからも宜しくお願い致します。