テキシアジャパンの詐欺事件の報道を見ていると、スピ系と同様のものを感じます。
先週くらいから、話題になっているテキシアジャパンの巨額詐欺事件。
ぶっちゃけ私自身が誘われた経験があることから、結構気にしてこの事件の報道はチェックしています。
当時から「そんなうまい話はない」と思って断った案件ではあったのですが、誘ってくれた知人については今も昔も特段嫌な部分を感じた事はないからこそ、「本当だったらいいのにね」くらいに思ってましたが……、今回事件が明るみになって「やっぱり嘘だったか……」と思うに至るに至ってます。
特に先日、猫組長の本を読み終えたこともあり、どのように投資マネーは循環しているのかという事が大枠理解できるようになった瞬間から、テキシアジャパンの「100万で、毎月3万返ってくる」という儲け話のカラクリが手に取るように分かるようになってしまった上での報道だったので、「やっぱり!」と思うと同時にやたらと気になるんですよね。
投資という事業は、如何にすぐに返さなくても良いお金を多額に集められるかが大事な商売なんだそうです。毎月3万円ということは、原本の返金までには3年以上の時間があります。この時間稼ぎで荒稼ぎできるか否かということが、投資ビジネスというものなんだなぁということが、私は猫組長の本を読むことで理解するようになりました。
そして、こういうタイミングでの報道であったこともあり、珍しくフジのバイキングとかもちゃんと見ちゃいましたよ(^^;)
だいたいこのような投資系詐欺事件が勃発した場合というのは、被害者と呼ばれる人たちの怒号が飛び交うものだというイメージがあるのですが、今回の事件の場合は少し様相が違うように感じました。
事件発覚後も、自称KINGこと銅子正人容疑者を崇拝する信者(出資者)が多数おられる様子が伺えるVTR作りが盛んのように見受けられます。
敢えてそのようなVTR作りをしているという事も考えられますが、一般的な投資詐欺事件と比べて圧倒的にこのようなタイプ(詐欺にあっているのに、騙されたとは思っていない人たち)が多いのだろうと私は推測しています。
なぜなら、たまたま一度だけテキシアの食事会に誘われた時にも、テレビで感じる同様の空気は私も直に感じていたからです。
テレビの報道の方たちが感じる異質な空気感、いわゆる宗教組織のような空気感が「詐欺にあっているのに、騙されたとは思っていない人たち」を生み出していると思われます。
そして、このような人を見ていると、Happyさんや子宮系や心屋さんに嵌まっている人たちと同質の心持ちをどうしようもなく感じてしまうのですよね。
今回の事件が明るみになってもなお「騙されたとは思っていない人たち」というのは、洗脳されたと言っても申し分のない状況になっているなと思うのですが、その洗脳というのはどういう形で行われていくのかというと、見ている限り自ら望んでその洗脳に嵌まっていっているなぁという感じがしました。
「何をしても報われない」と感じている不遇感を、共感できる仲間の中に入ることで拭いたいという気持ちがどうにもこうにも感じられました。
そして、その仲間に入ることによって、個人的な感情においては「救われた」という感覚が体をひしめくようになるのだと感じました。
とはいえ、「仲間になること」これは単に、今の世の中の枠組みよりも狭い範囲の中における仮想現実をリーダーや教祖さまたちが作りだした過ぎないのですが、
その幻想空間と呼ばれるもので心を繋ぎ止めなければどうにもならない人たちが沢山いるという事の現われなんだなとも思いました。
そして、その幻想空間というのは、今ある社会の空間よりもより狭い幅の中にあるものなのに、その幻想空間の中で広さを多くの人は感じてしまうのだなぁと思いました。
そして、そこで幻想空間にある種の恍惚を覚えてしまった人たちは、騙されたとは到底思えない心情にかられていくのだなぁとも思いました。
テキシアジャパンの詐欺事件は、宗教とは真逆の投資詐欺ではあるのですが、出資者となった被害者の心持ちにあるものを紐解いていくと、それは宗教のお布施に近いものを感じました。
どうして私がそう感じたかと言えば、出資者の方々の言葉の節々に「信じる」という曖昧な言葉がやたらと踊っていたからです。
信じるか信じないかは、個人の主観によるものです。
本人次第のものです。
その本人次第の心持ちがやたらと優位になり、そこしか見えなくなっていくと、もはやそれはなんであっても宗教なんだなぁという事が今回の事件によって私は理解できましたが、どれだけ日本人の心が荒んでいるのかなぁと改めて思うきっかけともなり、非常に切なくなりました。
追記
テキシアジャパンのことについては、レリゴーブスの言葉の発明者である山野本さんのブログを見て頂くと良いと思います。
世の中、甘い話はないということ。~テキシア詐欺事件を受けて~
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こんばんは。
ゆりこさんは、半ば夢から目覚めかけていた私を完全
に目覚めさせてくださったお一人です。
同じ夢を見ているネバーランドの小国の王様や女王様方に違和感を感じていたところ、ゲームから離脱してリアルをそのまま味わう楽しさに引き戻して下さいました。
ネバーランドに生き始めた知人が、逆に同じ世界に生きていたあの時の自分を滑稽に見せてくれたからこそ、こちらにたどり着いたと思えば、その知人にも感謝です。
あの頃、私は何を根拠に上から目線で誰かを幸せにしたいとか言ってたんだろう。
うまく表現できませんが、親も環境も全て含めて目の前の現実を自分で何とか対処する術を真剣に真摯に必死にしていたら、気がつくと何とかできているもので、その姿を見ていた人が助けてくれていたりがあるのだと、経験してわかります。
でも、自分では対処できないかも、と不安な時は何かにすがりたくなってしまうのも自身の経験からわかります。
何か光とするものを三角形のトップに掲げた集まりは宗教っぽいんですよね。昔から感じていました。
宗教以外ならば、職場の教養でお馴染みの倫理研究会だったかな、も同様です。アムウェイもしかりです。
私はその考え方から色々誘われたり、自分から求めたりしましたが、人としていかにあろうかを悩み模索し、たどり着いたはずのそこらあたりにいた人達が人として常識や優しさがない人が目について違和感を感じた事が多かったです。
人が生きる指針が自分が特別に感じられる指針になってしまったのかも、と今はそういった集団にはシラケしか感じません。
阿部氏の講演会にも一度行きましたが2時間トイレ休憩もなく、我慢できずに行った人は私含めて2人くらいしかおらず、すみませんと前を通ったら信者からギロリとすごい顔でにらまれたりして、、、色々な配慮の無さに驚きました。
そして、何故か仲間内だけで盛り上がっている異様な雰囲気。異様なんですよ。全て。
私は自分が変わっていると親を始めとして常に言われ続けていたから、だからこそそういう世界の変わっている人が合うかと思っていましたが。ただのネバーランド。
今は会社組織の中では変わっているといわれようと科学者としてリアルに社会貢献をしてきた人とか、サラリーマンで真剣にやってきて人望がある人とか、適当に生きてきたと言っていても本人なりに必死に生きてきた人、私が魅力を感じるのはただ目の前のことを必死に生きてきた人ばかりです。
ネバーランドに行きる人は地に足がついていない人ばかり。ですが、本人達が似た人と楽しんでいるならば、オウム真理教みたいに狂気に走らない限り勝手に楽しんでいたらいいのかな、と今は感じます。
長ーくなりました。すみません。
載せない方がいいと判断されたら非表示で構いません。完全なる目覚めをありがとうございました。
ゆりこさんが一人一人に丁寧に返信されている姿勢をいつも尊敬しています。
おはようございます。
お読み下さりありがとうございます。それから私のブログがきっかけとなり現実を楽しむことができるようになったとのお言葉素直に嬉しく思います。
最近よく思うのですが、多くの人は実際に傷ついたり困難を与えられたりするのが怖いのではないのかなぁと思っています。
ですから、教祖さまのような行動力がある人の人生を自分の映し鏡にする形のバーチャルリアリティの中で楽しむことが最も自己保身に繋がりつつも、仮想空間の中では困難を与えられたりするので、その程度が楽しいと思い違いしているのではないのかなぁと思います。
リアルの世界と向き合いにくい心持ちが醸成されていくと、何がリアルで何がリアルでないかも分からなくなっていき、起きている時間にあることは全てリアルだと思い込んでいくから、不可思議な仮想空間の実態に気がつけなくなっていくんだろうなと思っています。
リアルな世界の方が、道理はシンプルで、結果もきちんと反映されるしくみなのにもったいないですよね。
多くの人がゆりかさんのように、現実の面白さに再び気がついてくれることを願っています。
それではこれからも宜しくお願い致します。