【スピ系☆泥沼分岐点】私たちは神の子、それとも神?

スピリチュアルにどっぷり嵌まっている人たちの最近の傾向は、どうやら「自分を神」と思う所にあるように思います。

この思考性は、一歩間違えると人生が泥沼化すると思います。

 

日本人はみんな生まれつき神の子です。

日本人は生まれつきみんな神の子です。

それは、神話の設定からそうなっていてるだけでなく、神話から繋がるこの国の歴史にも、そして文化にも、私たちが神の子であるという事が当り前に息づいています。

この価値観や歴史は、地球では非常に希有なことです。

多くの国は、子供たちを悪魔だと思っています。キリスト教の根底にある考えも、そのような思いが内包されています。(キリスト教とイエスキリストの思いは別なのでそこは要注意でお願いします。)

宗教から抜け出す

私はキリスト教を否定してはいないのですが、少なくとも西洋社会は「性悪説」を軸に生きているのは事実ですし、その「性悪説」の根底はどこからわき出てくるのかというと、キリスト教の設定に因るものです。

だから、先ほどのような言葉(子供たちを悪魔だと思っている)になりました。

↓キリスト教が書き換えられていく歴史についてはこの本がオススメ↓

そして、この設定によって西洋の人たちは、子供たちは悪いものだから良くしていこうという思いが生まれてしやすいのですね。

性悪説というのは、「人はそもそも悪であるが成長するにつれて善になっていく」という思想です。だからこそ、大人の価値観で子供たちをガチガチに固めていく必要性があると思っているのです。

 

一方で、日本は生まれた時から神の子です。ですから子供は天に近い存在として大切に扱われてきました。

性善説というのは、「人はそもそも善であるが成長するにつれて悪にもなっていく」という思想で、その考え方は今の日本にもしっかりと息づいているのですが、

戦後社会は西洋の考え方が正しくて、日本の考え方は間違っているという社会体制が敷かれてしまったために、日本の教育は知らず知らずのうちに性悪説に囚われた教育を施している側面が多く、それが現代に生きる私たちのトラウマとなったり、自己肯定感の低さとして現われたりしています。

 

ちょっと、話は飛びましたが……日本人はみんな生まれつき神の子というのは、古事記を読みその上で歴史を紐解けば誰にでも分かる事なので、特段特別視することでもなんでもありません。

日本人である私たちは、自信を持って「神の子」それでいいんです。

 

気をつけて!神の子は、神ではありません。

現代は見える世界と見えない世界が大きく乖離されてしまって、

そして、自分を特別視する言葉に惑わされやすくなっています。

 

ですから「神の子」という言葉を聞いて、「自分は神」なんて感じのアクロバティック理解に繋がりやすい側面が多いなぁと思い、私個人はそれをとても危惧しています。

 

スピリチュアルな方面で活躍する教祖さまはついつい自分を「創造神」とまで言いがちです。

追記あり【縄文祭TV】Happyこと竹腰紗智さんの設定がどんどん滅茶苦茶に

どういう理由で自らを「創造神」とスピ系教祖さまたちが仰っているのかは知りませんが、私たち人間は地球の外に出ることもできなければ、地球を自由自在に操られる存在でもありません。

しかも何十億人という人間が存在する地球において、それぞれが「創造神」であったとしても、地球は1つです。

だから、どんなに強い力を持つ「自称創造神」であっても、何十億の人間がそれを主張したとするのであれば、それぞれの思いが絡み合うだけのことになるでしょう?

結論のところ誰か一人の創造で全てが整うなんてあり得るはずもありません。

 

とはいえ、確かに私たちは、自己の気持ちをきちんと整えることができれば、私たちを作ってくださった源である「創造神」と意識の上で似た気持ちになれることはあるかもしれません。

でも、それは繋がりを感じることができるだけであって、「自分が神」という立場になるわけではありません。

 

そこを混同して、自分が神だと思うようになっていくと、必ず自分の人生すら泥沼化していきます。

私たちが神の子であるのは特別でもない、不思議でもない、この国に生まれた以上当り前でしかない話です。

ですが、だからと言って自分が「神になれる」わけでも、「神」でもありません。

私たちは神の血筋を頂いた庶民に過ぎず、庶民として生きることがこの地球において大きな役目だと思います。

庶民は充分重要な役目です。

庶民が輝いているからこそ、いや輝ける環境が保持されているからこそ、日本は地球で最古の国です。

 

もっと話したいことがあるけれど、ちょっと他にやらなきゃな事があるので、今日はここまで。

この続きは明日にでも書くね!

それではおやすみなさい!

 

 

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takehisayuriko

View Comments

  • 同感です
    「我も神の子ならば神そのものなり」
    なんですが、自分だけが神と思ったり
    他人と比べている人が多い気がします。
    そうなると、神と我が分かれる結果となり。
    引き寄せの法則といった法則たちが歪めはじめると思います。

    天照皇大神さまは、邇邇芸尊さまに鏡を渡して
    「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし。」
    と仰っていたと伝わっています。
    「かみ」に「が」が入って「かがみ」になる話

    目前に起きたことは、心や行いの鏡であることを意識して
    日々精進していかなければなりませんね。
    目の前の嫌な事らを人生の肥やしになるよう精進したい
    ものですね。

    • おはようございます。
      伝えたかった思いが真っ直ぐ伝わった感じがして嬉しいです。
      補足してくださりありがとうございます。
      神の御心に沿える自分になるだけでも大変で、その御心に沿うだけで充分なのに、どこか感違いをしていく人が……特にスピ系には多くて迷惑ですよね。

      鏡に映る自らの我を抜いて、神の御心に触れることすらなかなかできない現代人なのにね。
      まぁそれでも、それぞれ与えられた役目を全うして生きましょう。

  • 「内在神」という言葉の意味を
    都合よく解釈してるのではないかなと思いますけど。

    個人的には、あくまで「神性」(神聖)なる精神が宿るのであって
    「神」そのものが宿るという意味ではないと思うのですよね。

    機動戦士ガンダムUCの
    「人間だけが神を持つ、可能性という名の内なる神を」
    という台詞は大好きです(笑)

    • おはようございます。
      私もそうだと思ってます。
      神の御心に触れて、その気持ちと同化させて生きるのと、自分が神そのものだと思うのは全く別物です。
      この分かり易い違いが分からないスピ系の人って多いですよね。
      韓国人が弱いと優しいが分からないのと同質的な区別のつかなさを彼らには感じます。
      自分が好きすぎると繊細さを失うのでしょうかね……。

  • こんにちは^^
    いつも素適な記事をありがとうございます♪

    ちょっと気になったことがあったので、コメントいたします。

    『スピリチュアルにどっぷり嵌まっている人たち』

    この表現ですと、少し語弊があるかと思うのですが・・・
    いかがでしょうか?

    ただでさえ「スピリチュアル」というと偏見の目があると思いますので、それを変に冗長してしまう恐れがあるのではないかと?

    単にスピリチュアルといえども、イロイロな見方や側面や方法論があると思います。
    それゆえに、ひとくくりで表現してしまうことは危険に思えました。

    ゆりさんが表現したいのは・・・
    「歪んだスピリチュアル」ではないかなと文章を読ませていただいて受け取りました。

    「歪んだスピリチュアル」・・・
    そういう面で見てみれば、教祖様が自らを「創造神」と言っているわけが見えてきます。

    本来、たくさんの人がいることで、この世界が成り立っていることだと思います。
    それをフラクタルな世界観で見れば、その人々それぞれ一個体が「ひとつの世界」であるとも言えます。

    そのことから紐解けば、教祖様が内面の「自分の世界」だけを見ていて『自身』を『自神』とし、その内面の世界は自分で造り出す事ができると説いているのだと思います。

    ただ、それを自分を中心にしたまま外の世界にまで強要していることが、外界から見た場合の 内面が外側にまで漏れ出した『神性』であり、「歪んだスピリチュアル」そのものなのかと。

    • こんにちは!こちらこそいつもお読みくださりありがとうございます。
      ご指摘頂いた件、充分理解しております。
      「歪んだスピリチュアル」という風にお伝えした方のが適切だったのかもしれません。
      ただ、前にも書いたのですが、スピリチュアルという言葉自体が曖昧過ぎて大ざっぱ過ぎてさらに都合が良すぎるから、いろいろおかしな解釈が増えている実情ふまえると、スピリチュアル全体として捉えてもらっていいんじゃないかなって思ってます。
      スピリチュアルという概念がなければ、見えない世界という物を私たちは認識できないのではなく、それこそ何千年前からその見せない世界と当り前に付き合ってきてその教えは信仰の中にも、日本の言葉の中にも残っています。
      それに、そもそも日本語のスピリチュアルという言葉は、英語の意味合いとはかなり違う解釈で広がっているのも事実ですし、そういう点を踏まえてみても、スピリチュアルという言葉が世の中で敬遠される傾向が強まった方がいいのではないかと個人的には考えています。
      この言葉は宗教であり、精神であり、魂であったりして……つまり、様々な事が下手に融合しやすく、それを安易に扱うからこそ様々なトラブルが起きているとも思ってます。

      じょうじろうさんが捉えている感覚と私の感覚は多分よく似ていて、じょうじろうさんが説明してくれた内容と私が思っていることは同じです。

      それではこれからもどうぞ宜しくお願い致します。

  • おはようございます。

    >とはいえ、確かに私たちは、自己の気持ちをきちんと整えることができれば、私たちを作ってくださった>源である「創造神」と意識の上で似た気持ちになれることはあるかもしれません。

    今回の記事は何度も読み返させて頂きましたが、特にこの文章が心に残りました。

    私見です。
    自分の軸を持つことは大切です。
    さらに軸を見る目を内から外、外から内のどちらに持つかによって考え方も異なると思います。
    教祖様や仙人様は、その点を自らが解きながら、背反する意見を自己弁護に使いますね。

    節分も近いので、鬼は外。
    でしょうか。

    • おはようございます。
      全てのことは自然の一分だと思うのか、自然を我のためにあるものと思うのかで解釈が変わってきます。
      きっと多くの覚醒者は自然を我のためにあるものという解釈で成り立っているのでしょうね。
      気をつけていきたいですね。

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