去年の秋から、アダチル本執筆に取りかかった私は、改めて思想とは何かということを考えながらこの数ヶ月過ごしていました。
そして、分かったことがあります。
ここ数ヶ月、特に社会主義思想と共産主義思想について勉強を続けています。
私は元々幼い頃から哲学が好きで、人がどんな時に何を思い何を考えるのか考察するのも好きでしたし、そういった文献を読むのも好きでした。
しかし、ユングやフロイトが伝えたかったことは一体何だったのか、未だによく分かない部分があります。
ただし、この数ヶ月アダチルと向き合い、そして近現代史を読み解き、さらに社会主義思想や共産主義思想の思惑には何があったのかを一つずつ読み解いていく作業を続ける中で、思想が生まれる瞬間や人がそれを求める瞬間には、同一的な欲求があることが見えてきました。
思想というのは、人に希望を与えるために存在していたんだなということが、急に理解できてきてしまいました。
ではなぜ人に希望が必要なのかと言えば、失望や絶望が心を支配しているからなのだろうと思いました。
つまり思想というものは、失望や絶望が支配する社会の中であればあるほど花開き、そして浸透しやすいのだとも思いました。
今目の前に蔓延る社会に対する不満や不遇感が無ければ、思想というものは生まれないんだなとも思いました。
この事実は、私を切なくさせました。
なぜなら、思想家と呼ばれる人のほとんどは特に現代に現われた思想家は、自ら背負った不幸のコンプレックスやレッテルを自身の努力で昇華できなかったのだろうなぁと思うのです。
自身の日常が満ち足りて満足していたのなら、社会の変革をせねばならないと思うほど気持ちまで駆り立てられるものはないからです。
だからこそ、思想というものは、不満に満ち溢れた状況があってこそ生まれるものなのだなぁと、気がつくに至ったのです。
逆に言えば、社会が大凡円満で、幸福に満ち足りている状態で循環しているのであれば、思想たるものの必要性などこの世には必要ないのです。
人としてあるべき道理を理解して、その枠の中で、それぞれが生き死ぬだけのことなのです。
そこには喜びもあれば悲しみもあることでしょう。
笑いもあれば涙もあることでしょう。
あーしたら、こーしたらというような論調に踊らされることなく、与えられた今日を切々と丁寧に生きるだけで、人生は素晴らしいものになるでしょう。
多くの日本人はこの環境で長らく生きていきたのになぁとも思いました。
しかしながら、明治の開国を機に、様々な考え方を勉強しようと躍起になっていた日本は、その背景にある不遇感に気がつかないまま、西洋の考え方は進んでいるものだと思い込んで崇めた扱いをしてしまいます。
っていうかざっくり1500年程前、仏教が流入してきた混乱もこんなような状況だっただろうなぁと思っています。
お釈迦様は凄い人だと私は思っていますが、そもそもお釈迦様が思想を切り開いた理由も「不幸」だったということを、私たちは忘れてはいけないと思います。
そして、思想の混乱が大いに起こり続けているこの160年間は、敢えて不幸を勉強しに行く160年だったのかもしれないなぁと思っています。
世界中には紀元前の時代から思想家が沢山いるのに、日本には哲学的思想が少ないということをちょいちょい言われているように思うのですが、それは紀元前の時代から世界はずっと不幸だった証に過ぎないんじゃ無いかと、今の私は思っています。
そこに憧れ、そこを学ぶなんて、どんだけ馬鹿馬鹿しい作業をしているのだろう思い始めています。
一方で、幸せの国に思想は必要ではありません。
なぜなら、既にもう幸せなので、希望を持たせるための思想など不必要なのです。
今ある慣習にそって今を生きるだけで、満ち溢れた生活は維持できるのです。
私たちの住むこの国は、そういった信仰と習慣、そして慣習が沢山ありました。
しかし、海外の脅威が迫り開国すると供に、それは徐々に忘れ去れて軽視されてしまいまいた。
溢れ出る向上心を持つ海外の人たちの方が優れているんじゃないかという錯覚があったのかもしれません。
そもそも向上心というものも、不満に満ちている時の方が強烈に現われるということに気がつかなかったんだろうなと思います。
思想の混乱によって引き起こされた歴史の検証をしたことによって、ようやく私もそこに気がつけたのですから、その思想によって引き起こされるその後の悲劇など、明治の時代に生きた人が気がつくはずはないだろうなと思います。
でも、思想によって引き起こされたものは悲劇しかないということに、あれから100年近く後に生まれた私たちは、そろそろ気がついて良いのではないのでしょうかと思います。
ここ数年スピ系思想が花開きましたが、思想が花開く時と社会不安は必ずセットになっているということも、今回じっくり歴史を紐解いて見て気がつきました。
人は不安定な時ほど、性急で狂気で現実逃避させるほどの危険性を帯びた思想に飛びつきやすくなるそうです。
今のままではダメだ!と思う心が、今の思想とはかけ離れた場所に見える思想に希望と活路を見い出そうとするのだそうです。
それほどまでに心が追い詰められているからこそ、現実逃避できる最も安易な策に目が行くのかもしれませんが、スピの結果も既に今見えていますよね。
私たちがまず知るべきことは、それほどまでに心が追い詰められなくてはならない日常の理由はなんなのか?を探ることだと改めて思いました。
残念ながら、この日本にはそれほどまでに心が追い詰められなくてはならない日常など転がっていないのですが、祖先の皆様がビックリ仰天せねばならないほど、心が追い詰められてしまう現代人は多数います。
私たちがせねばならないことは幸せになることではなく、こんなに安心安全を意識した生活をした結果、心が追い詰められる事態になった自分たちの理由を探ることだろうと思いました。
その理由には、無意味に浸透した要らない思想の存在もあります。
そして、道理に基づいて行われていた信仰と習慣と慣習を軽視してしまったこともあります。
必要なものを吸収せずに、不必要なものを吸収しすぎてどうやら私たちはおかしくなってしまったようです。
そこに気がつけたらいいですね。
追記
休憩時間に本を読む度に、社会主義思想と共産主義思想の理解が足らなかったと思わされます。
そのため、本を読む度にアダチル本を書き直す生活が続いており、これはまだまだ続きそうですが、納得するまでやり続けたいと思います。
アダチルと社会主義思想や共産主義思想に何の因果がと思う人がほとんどでしょうが、この無駄な思想のマインドスイッチによって、現代にひしめくほとんどの問題は起きていると言っても過言ではないと私は思っています。
ではではまったね~。
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ゆりさんお久しぶりです。
いつも楽しみにしております。共産主義や社会主義を哲学を含めて易しく読める良書があるのでおススメ致します。
https://www.amazon.co.jp/経済学はこう考える-
根井 雅弘
経済学はこう考える (ちくまプリマー新書
アダチル本のお役に立つと嬉しいです。
お時間あればお目通し下さい。
なかなか根深い問題ですが、応援しております。頑張って下さい。
おはようございます。
教えてくださりありがとうございます!
近所の図書館に用意されていたので、早速予約しました。
三歩進んで二歩下がる毎日ですが、一つずつ理解できることが増えてきました。
この本でもまた理解できることが増えそうで楽しみです。
これからも宜しくお願い致します。
不幸な人が立ち上がるのは、素晴らしい事なんですが
一人一人、今回の人生の課題は違うから押し付けるなと言いたいですね。
例えば、宗教の英語は、リリジョンですが、もともとは縛り付けるという意味があります。
我が国に、神道がありますが、もともとは、古道と呼ばれてました。神道は、教祖も教義もありません。あるのは、天地自然
への感謝と先祖崇拝でした。
言葉は、感覚と違って誰でも使えますが、悪用すると違和感が半端ないですよね。違和感が集まる大変なことになりますね。
おはようございます。
宗教と言う言葉自体が明治以前の日本には無かったということからも、そもそもの日本の概念として押しつけ型の教えは不必要だったのだなぁと最近よく思います。
しかしながら、この160年間は海外を学んでいくうちに押しつけることが当り前になってしまいましたよね。
それぞれが抱えることになった心癖を乗り越えるのは大変でしょうが、それぞれが持ち合わせてしまった押しつけを取り外すことが世界を変えていくことに繋がるだろうなと思ってます。
また思想の多くは言葉を曲解し自己都合にあった解釈で流布するのが常套手段となっていますよね。
このせいでさらなる混乱が生まれていることをよく認識していかなくてはならないなと思います。
それでは今日も一日感謝を軸に生きていきましょう♪
向上心というのは、純粋に「自分を磨く」とか
「切磋琢磨」とか、本来はそういう意味で使われるものでしょうけど、いつのまにやら
(生活が)向上する→豊かになる→ゼニ
みたいな図式になってしまってますよね
特にスピ業界。
アダチル本をアダチミツル(あだち充)本と読み間違えて
「なんのこっちゃ?」と思ってしまいましたw
失礼いたしました(>人<;)
確かに生活の向上と言うことが、全て金銭の取得になっていますよね。
それがより人の心を荒廃させていく要因になるのに、なんでスピ系の人たちって気がつかないんでしょうねwwww
あだち充本と間違えてたなんて(笑)、私が吹きました(笑)
世代ならではな感じがします。
個人的には「みゆき」が一番好きですね~っていうか、最後まで全部ちゃんと読んだの「みゆき」しかないかも?
こんにちは。
もしかしたら参考になるかも…と思いつつコメントさせていただきます。
まず、フロイトについて。
岸田秀さんの著書を読まれると少し参考になる部分があると思います。
もしもう読まれていらしたらごめんなさいね。
ちなみに私が読んだ中でのお勧めは『母親幻想』です。
ユングはフロイトを踏まえつつ、
そこにざっくりと東洋思想の影響を受けたと
考えると理解しやすいかと思われます。
東洋思想と言っても日本よりじゃなくて
どちらかというとインド、中国あたり。
もしもうご存知でしたら申し訳ありません。
何か参考になれば幸いです。
教えてくださりありがとうございます!!!!!!
全然知りませんでした。
しかも「母親幻想」って今読むべきタイトルっぽいじゃないですか!!早速図書館で検索したら図書館にあったので、今予約しました。
早速読みます。教えてくださりありがとうございます。
さとみさんのおかげで、ずっと理解できなかったユングとフロイトのことが少し理解できそうで嬉しいです。
それではこれからも宜しくお願い致します。
お役に立てて嬉しいです。
岸田秀さんは精神分析からみた歴史考察もされていらっしゃいます。
もしかしたらここにも何かヒントがあるかもしれません。
私も久しぶりに読み返したくなりました。
こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。
いえいえ、本当にこちらこそ教えてくれてありがとうございます。
早速あした図書館に行ってきます♪
これからもどうぞ宜しくお願い致します。
こんばんは!!
>人は不安定な時ほど、性急で狂気で現実逃避させるほどの危険性を帯びた思想に飛びつきやすくなるそうです。
>残念ながら、この日本にはそれほどまでに心が追い詰められなくてはならない日常など転がっていないのですが
思い当たることがあるので、コメントさせて頂きます。
私は関西にくるまでは、とても災害の少ない地域で生活をしておりました。
そのため、昨年の大阪地震では体験したことのない震度(私のところは5強地域です)で、実際家にヒビも入り物が倒れたりして本当に怖かったのです。台風はいろんな物が飛んできたり、近所の古い物置が建物ごと倒れているを見たりしてましたがそこまで恐怖はなかったのですが、地震の時は本当に恐ろしくてしばらくPTSDに近かったと思います。
小さな車の音ですら、迫ってくる地震の音に似ていて心臓がバクバクして手足が硬直してしまったりしていました。眠れない毎日を2週間ほどすごして、落ち着いてきたころからようやく眠れるようになりました。
もともとスピ系も読み漁ってはいましたが、拍車がかかったのはこの時です。
怖くて眠れないのでスピ系の本を読むのです。頭の中では完全に現実逃避でした。
とにかく「心を落ち着ける方法を探す」「地震が来ないように祈る」「自分が思ったことが引き寄せる」だから地震のサイトとかみてたから引き寄せてしまったのでは!?とすらさらに思いつめてました。
なんていうか、私生活ではよほどのことが無い限り追い詰められないんですが、地震という不可抗力の前では命に直結する恐怖はとてつもないものがありまして、たぶん、ここ数年日本は災害も多くて、大地震も来る来ると言うようになりました。また災害が増えたことで、災害に有ったことがある人もかなり増えたと思うのです。そういう部分も少なからず影響してるんじゃないかなぁと思います。
ゆりこさんのエゴの記事にもあるように、命に直結しているからこそエゴがあるというバリアの部分に当たると思うのですが、経験しなければやはり解らないことですし、自分が自然の一部だと思えたとしても、突然やってくる地震などははやり何度起こってもなかなか慣れるものじゃないですし、恐怖が先行してしまいますよね。でも中には、そんな時でも冷静に対処できる方もいらっしゃるので、やはり経験のその後が大事なんだなと今は思えます。
不思議と1カ月もすれば眠れるように私はなりましたし、人間は生きるために忘れるようにもできていると思いました。
ただ、あの時スピ系にどっぷり行った理由も今は解りますし、その後ゆりこさんのブログに出会えたので、あの頃よりは冷静になれたと思ってます。
だって本当に「思考は現実化する」っていう部分で自分が地震を引き起こしたんじゃないかって思ってしまってたんですからww1人よがりもいいところですほんとww笑ってやってください。
こんばんは!
天災における現代人の心持ちに関しては、私も思うことがあるので、呼応するような文書にならないとは思いつつも素直な私の気持ちを書きますね。
私は東日本大震災の時は東京に住んでいて、丁度その日は東京の中野にある自社ビルの1Fで働いていました。自社ビルと言いつつも、そこは本社機能が移転したビルだったので抜け殻で、広いオフィスであらちゃんという同僚と二人だけで作業をしていました。
私たちが働いていたビルは地下一階、地上三階のしっかりとしたビルの1階だったこともあって、たまたまさほど揺れなかったんですよね。ただ、1階だけが揺れなくて2階のスタジオは尋常じゃ無いぐらい揺れたそうです。
さらに、本社の移動に伴い、渋谷のビルの9階で働いていた同僚たちは、中野の住人たちとは全く違うもっと強烈な恐怖をみんな味わっていました。
yukikoさんが仰る通り、その時味わった揺れの恐怖によって、天災の捉え方は大きく異なるものだと思います。
ただ、私はその時よりも、その後の報道による事後洗脳の方が怖いと思っています。
その時に私は、都内いながら都民的な揺れの恐怖を味合わなかったために、よりそれを冷静に観察してしまっていたのもあると思うのですが、「怖いと思わなければいけない」、「災害が起きたらライフラインが閉ざされて生きていけない」的な情報が繰り返されるために、恐怖を感じなかった自分を繰り返し反省してしまう自分がどこかにいました。そして、そういうメディアの論調に自分も合わせていかなければいけないと思う自分もいて、そのずれ感を合わせる感じがどこか辛かったです。
そして、いよいよ私が「メディアの論調」こそが災害を大きくしていると思うことが起きました。それは、会社を辞めて石垣島に移住してのことです。
ここで思い知らされました。
私は石垣島に移住してから、体験したことのない台風ばかりを体験し続けたのですが、メディアはそれを全く取り上げませんでした。
もちろん石垣島の人たちもそれが慣れっこだから当り前として、台風は過ぎ去り修復だけをしていきます。
島の人に恐怖などなく、受け容れなければならないし、ライフラインが途絶えたくらいで人が死ぬはずも無いということに気がついてしまいました。
そのことについて昔書いた記事
https://ameblo.jp/yuriyuriko28/entry-11582215647.html
そこで私が思ったことは、恐怖というのは周囲の影響がもの凄く大きいとということです。
私にとって東日本大震災は、東京にいながらもたまたまたいしたことない地震でしたが、周囲の環境によって甚大だと思わなくてはならないという刷り込みが行われます。
一方で、石垣島で体感した台風は、私にとっては甚大なることばかりでしたが、周囲の環境によって普通だと思うようになりました。
私は災害一つとっても周囲の影響によって、その後の捉え方と自分に対する影響が変わるものだと思いました。
そして、島に住んだことによって、自然を脅威に思いすぎるこの現代的価値観をどうにかしたいなぁと思うようになりました。
大阪のような都会的な場所で天災に遭遇した時に感じたyukikoさんの恐怖は、素直な感覚だと思います。
ただその感覚はきっと同じように都会的な感覚の住人によって増大しているはずだと、今の私は思っています。
だからこそ、yukikoさんが今思い返せば笑うしかないほどの、突飛な発想に着想せざるを得ない環境が作られているんじゃないのかなって、私は思うんです。
なんだか私の方が思う気持ちが溢れてしまって(>_
ゆりこさんこんにちは!
丁寧なお返事本当にありがとうございます!
ゆりこさんのお返事読んでて思いだしました!私は雪国出身なのですが大阪に来た時に、たかだか1センチ程度の積雪で中心部が渋滞や事故が増えて電車遅延してってやっているのを見たときに「いちいちこの程度の雪であわててんじゃねぇよ!」ってそういえば思っておりましたw
でも除雪車なんて常備されてないからしかたないですよね・・w
地震は突然ですし、身動きとれなくなるからどうしても慌てちゃうんですよね。
一時、関東で震度4以上がけっこう多かったときに知人に連絡たら「最近慣れてきたから、けっこう早く行動できてるw」って言ってました。
あと、大阪北部地震のすぐ後に西日本豪雨があり、大阪台風の後に北海道地震がすぐに起こったので、本当にすぐに大阪のニュースってやらなくなっちゃって。そこまで被害がでなかったので被害が大きいほうが報道されるのは当たり前なんですが、社内では「なんか取り残されてる感あるよなぁ」って話していました。まぁそれでも、修復作業にかかわる経済なんかはちゃんと動いているわけですよね。【現場】ではいろんな事がちゃんと進んでいくんですよね。
めちゃめちゃになった現場を修復していくのは、そこにいる自分達しかいませんしね。
心臓バクバクしながらも、「あ~会社めちゃめちゃになっててめんどうだなぁ~仕事止まるなぁ~荷物届かないどうしようかなぁ~めんどうだなぁ~~~~」って思えてたのは間違いじゃなかったと、ゆりこさんのお返事で納得できました。
そう、「めんどくさい」んですよ。災害の後って。色々なことがめんどくさいんです。
でも、余裕があればめんどくさいなんて思わないかもしれないと、お返事読んでて気付きました。
都会って時間にも空間にも余裕がない事が集中してるんですよね。
我が家は幸いけっこう耐震対策してたので大物家具は全部無事だったんですよ。倒れたのはなんにもしてなかった小さな棚くらいで。このときにちゃんと防災してて良かったと思いましたし、こういうのも「余裕」の一つなんだと気付きました。
「大丈夫だ」って思えるように対策をしていれば、「余裕」ができるので次の行動に出れますし、自然の脅威も冷静に見れたりするのかなって今なら思えます。
また長くなっちゃいそうなのでこの辺で。
改めて当時を振り返りながらゆりこさんのコメントを読んで気付けること沢山ありました!これからも宜しくお願いします!
昔はみんな台風の前になると窓にベニヤ板をはったりしてましたよね~~。
おはようございます。お返事遅くなりました。
そうそうそう!!!
来るものは来るという心構えで普通のこととして受け止めれば、日本に住んでる以上当り前の事の一つになることは沢山あるのに、いちいちそれを恐怖やストレスそして怒りに感じさせる報道の方向性が問題をこじらせてるんですよね。
石垣島で、何度も本土では体験したことのない台風を経験してからは、台風のリレー中継ほど馬鹿馬鹿しい煽りはないなと思うようになりました。
本当に風が強かったら、誰も外に出れないし(笑)実際沖縄の台風の時、ガチで外なんかに出たら危ないし、出れる時点でたいしたことないのに、すごく大変そうに報道するのがバラエティにしか思えなくなってしまいました。
しかも石垣島とかでめっちゃ風吹いてる時は、誰一人ここに興味を持たないのに、本土に近付いてからめっちゃ報道が増えるんですよ。
私もその報道に触れあうたびに「なんか取り残されてる感あるよなぁ」って思いましたが、この感覚を持ち合わせたことによって報道の本音がもの凄く分かったように思えて今は良かったなと思ってます。
都会って時間にも空間にも余裕がない上に、人間の都合に合わせることが当り前だと思う意識空間が強いように思います。
だからこそ、混乱が大きくなっていることにみんなで気がついて、天候に合わせて生きることがもっと普通になっていったら良いなと思います。
それではこれからも宜しくお願い致します。
はじめまして、いつも興味深く拝見させて
頂いております。
よろしければ
弁証法的行動療法についての本を
おススメします。
https://www.amazon.co.jp/dp/4791108167/ref=asc_df_47911081672567960/?tag=jpgo-22&creative=9303&creativeASIN=4791108167&linkCode=df0&hvadid=296139104318&hvpos=1o1&hvnetw=g&hvrand=9126758715624943652&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=m&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009507&hvtargid=pla-581049781567&th=1&psc=1
境界線パーソナリティ障害の為の本ですが
ある種の禅に通じるものがあります。
どんな障害や問題があっても
それを乗り越えた素晴らしい景色が
あると良いなぁと思います。
こんばんは!いつもお読み下さりありがとうございます。
弁証法というものがどんなものかまだ分からないのですが、まずはそこから調べてみますね。
それから、ご紹介してくださった本は私のが通う図書館にはなかったのですが、マシュー・マッケイさんの本はあったのでまずはそこから読んでみようと思います。
教えてくださりありがとうございます。
どうぞこれからも宜しくお願い致します☆