スピ系教祖さまたちがあまりに信仰心のないことをしている事実を書いた記事が
↓これ↓
自分の知らないうちに新たな展開を生んでいてビビりました。
数日前、私が「【ドン引き】偽スピ教祖さまたちの信仰心のなさ」という記事を書く動機となったコメントをくださったでいごさんからこんなコメントがありました。
こんにちは
ゆり子様 このような 案件を抱えながらも こちらまで 取り上げていただきましたことは大変恐縮です。
おかげ様で 皆さまの目に触れましたので これ以上は あのように おかしな事はしでかさないと一安心です。
皆さまに関心を持たれ ついには でいごと同じ名前でのコメント書き込みまであるようですが 私はこちらのブログだけで
でいごを名乗らせていただいてます。
ゆり子様の関係者各位にご迷惑がなければと思い またコメントしました。
アメブロの歴史的なお話も 分かりやすくて楽しいです。
これからも どうぞよろしくお願い致します。
あの記事を沖縄の人が読んだら、誰もが普通に戦慄が走るであろうことは私自身も予測していたことでしたが、どういう理由でわざわざでいごさんの名前を名乗る人まで出てきているのかが正直こちらとしてはさっぱり分かっていなかったのですが……
今日山野本さんのブログをよんであぁぁぁなるほどと思いました。
そして、でいごさんが危惧してわざわざこちらにコメントをお寄せくださった理由も分かりました。
超個人的な意見としては、形はどうであれ、発信の方法がどうであれ、
御嶽(ウタキ)は近隣住民以外立ち入り禁止が日本人としての心得
聖地にあるものは勝手に触ったり、動かしてはならない
という、日本人にとっては当たり前であったはずのことが
どうやら現代日本人、特にはスピ系の人にはすっかり忘れ去られていると思われるので……
人として当たり前のことが伝わっていることは有難いなと思います。
ですがね……まさかこれが、新たな別のスピ系教祖さまたちのカリスマ性を際立たせる為のツールとして利用されているとは思いもしませんでした(笑)
私、これまた職業病で、情報がどのように浸透していくのか速度と流通経路を辿るのがやたら好きなので、エゴサーチではないのですが、自分の発信している情報がどういう風に広がっているのか日常的に確認する癖があります。
それで、山野本さんのTwitterで取り上げられていたお名前の方の記事も、山野本さんのブログを見る前に目は通していたんですよね。
その時に思っていたのは、
なぜ神に繋がっているのに、彼らが行動起こした時すぐにそれには気がつかなかったんだろう
ということでした(笑)
彼らが御嶽を荒らしたのは、11ヶ月前、いやざっくり言えば一年前の出来事です。
ですが、私の記事を経由して彼らの心ない行動の写真を見た瞬間に、神の思し召しを受けるってなんか変じゃないかな?と私は思ってました。
ですが、いわゆる夢見あるあるな話なので、特にそこには突っ込まないでおこうと思ったのですが……
山野本さんのブログを読んで、夢見ビジネスされている方だったのだなと思いました。
夢見の人たちは、自分たちが「善いことをしている」という確信に満ちた行動をされるのが特徴で、だからこそ本人たちに悪気はないのですが、だからこそ質が悪いのです。
現実的に何があったのかではなく、いちいち問題の理由をチャネリングなどで答えを引き出すのは夢見ならではの作業だと思っておいた方がいいと思います。
そして、教祖さまがそれをいちいち人に伝えたがるのは、単なる恍惚の魔術にうっとりしているだけのことなので、それでは本質から逸れていくことを多くの人は気がついた方が良いと思います。
もちろん時として、何か声が聞こえたり啓示を受けるような事は人間として生まれた以上、誰もが経験することだと思います。
ですが、そんなこと超たまにでも珍しいことで、本来は人生一度や二度くらいの出来事だと思います。
チャネリングできると言いたがる人はいたこなみに、チャネリングメッセージを公開したがりますが、よくよく現実を見合わせると、チャネリングできるならこそ、おかしなことは多々現実面として溢れています。(今回の御嶽のように一年経って急に啓示が降りる的な不可思議(笑))
もちろん、突如何かに導かれるような感覚に襲われたりすることは誰にでもあることです。でもそれが日常になる人はほとんどありません。
とはいえ、稀に日常的に超能力を発揮する人はいます。ただし、特別な能力を持ち合わせている人は、ブログでそんなことアピったりしません。みんなこっそりしてます。
そこを読者は冷静に見極めた方が良いと思います。
それから確かに、山野本さんが仰る通り、私も該当するブログを読んでいて
それは竹久さんや僕、僕の知り合いの報道記者などが苦労して取材や検証をし、
その事実を元に1つ1つ確認をしながら1つの情報という形にしたものを、
これまた怪しいスピ系の活動をしている連中が自らの知名度アップのために便乗して
あたかも以前から知っていた、あたかも自分が調べて考えて情報発信したかのような
劣化版コピーの卑しいバッタモン根性で
中途半端な知識、情報のまま本人たちのブログを使って拡散している点です。
太文字にした部分は同様に気になってました。
彼らの活動は既に11ヶ月前の話です。知ってたのなら、もっと早く記事になっても良かったのになぁと思ってはいました(笑)
私が個人的に山野本さんと自分が似ているなぁと思うのは、単純に同い年ということ以外に、マスメディアに携わる仕事をしていたことです。
山野本さんはアナウンサーという職業柄、自分の言葉の重みということを沢山経験されてきたのだろうと思います。
私は、マーケティングという仕事を通して、様々な企業の商品開発やプロモーションのお手伝いをしてきました。私は外部者でありながら専門家という立場で仕事をしていたため、私が発する言葉の影響力を強く認識した上で行動しなくてはならない経験を沢山してきました。
それから私が働いていた会社は広告代理店とレーベルと芸能事務所を兼ね備えてたので、マスメディア業界の思惑と情報発信の方法は自然と心得るようになったり、身についてしまいました。
ですから、誰が言ったのか、そしてどのように伝えたのかということは自分を含めて全ての事に対して非常に気になります。
そして、世の中は一番敏感にならなくてはならない部分に無頓着で、自己都合甚だしく情報を利用しようとするから、結局みんな最終的にはドツボに陥るのではないのかなと思ってます。
7年前にブログを始めて、実はずっと気になっていたけれど、ずっと言わずに来たことがあります。
それは、多くの人がプロモーションとしてブログを利用する際には、二言目に自分の名前を言いたがることです。
こんにちは!○○アドバイザーのY田K子です!今日も読んでくれてありがとうございます!
みたいな文言はどこかでみんな必ず触れあってきているんじゃないかなって思うんです。
だいたいこういうブログは、ブログ名もブログ主名もキャッチフレーズのオンパレード。
そして、ちょっとでも自分を知ってもらおうという躍起に満ち溢れているので、キャッチフレーズみたいな職業名と自分の名前をセットにして、最初にもってきたがる。
さらにこういう人の場合、たいがい自撮り写真を沢山撮って、まるで政治家の選挙ポスターよろしく自分の顔と名前を売りたがります。
これが後々デジタルタトゥーとしてイタイ人生の遺産となることは気がつかないままに、張り切るんですよね。
自分がブログをやり始める前までは、世の中のこういう傾向がもたらす根本的な矛盾に気がついていなかったのですが、自分もブロガーとなって世の中を観察してたら、これが多くの人を苦しめる要因になっているのだなぁと言うことがよく分かってきました。
自分がブログをやるようになってつくづく思うようになったのは、多くの人はお金を得ようとする時には、自分を一生懸命アピールして、顔と名前を覚えてもらおうと必死になるということでした。
お金を得るための道具として登場させる自分は、人にどんな風に見られても良い自分だけを演出しているからこそ、顔と名前を潔くアピールできるんだろうなと思います。
一方で、私や山野本さんがされているような正直な意見を言う時には、なぜか皆さん自分の顔と名前を隠したがります。
結局、こういう事をするのはお金にならない裏返しなのだろうなと、時たま思います。
そして、お金を得る事を目的に、自分をアピールする人というのは、言論の軸が常に「お金になるか、ならないか?」ということになります。
ですから、端から見ていると昨日と今日と全く違うことを言っていたり、それってブーメランだろ?とか、おまいう?としか思えない言葉が並ぶことが多々あります。
ですが、彼らの言論の軸が「お金になるか、ならないか?」にある、もしくは「自分のポジションを向上させたり保持するものか、そうでないか?」にあるということを理解して見ていくと、実はこの軸においては彼らはぶれていないということがよく分かります。
ブログというツールが生まれたことによって、素人であっても自分に商品価値をつけて、自己プロデュースでお金稼ぎをする人が増えました。
それは一つの時代の流れに沿ったビジネスなので、とやかく言う必要もないですし、
またネットというツールを使って個人間の商売が可能になったことは、一個人事業主としては大変ありがたいことだと思っています。
ですが、このツールを利用してとにかくお金稼ぎだけをしたいと思っている人や、ビジネスのためのプロモーションツールと捉えている人たちは、「お金をもらうに相応しい自分」という部分だけをアピールする傾向が強いということは、読者側はきちんと見ておかないといけないなと思ってます。
私はブログの読者様にも常に、「ブログはやった方がいいよ」とオススメしてます。
それは単に自分を確認する日記帳としてこれほど良い物はないと思うからです。
自分に起きた出来事だけではなく、私のように今日思ったことをただそのまま書くだけでも、過去の自分との違いを発見をすることもできますし、自分の成長を確認できるツールにもなります。
それから、ネットというのは自分だけのものではなく、公共に対して発信するものなので、必ず他者の目というものが介在します。
ネットというものをお金儲けの道具と勘違いしていくと、先述した通り厄介なことが起こるのですが、等身大の自分を外さないように書く事を心がければ、自分を客観視するためにものすごく便利な道具になります。
人に何かを伝えたいという思いをのせるよりも、素直に自分が思ったことだけを書く方がブログは適していると思います。
なぜなら、情報や思いというのは人が勝手に受け取ってくれるもので、自分でコントロールできるものではないからです。
そこを理解していくのにも、ブログはとても良いツールだと思いますよ。
そこら辺をきちんと理解して使ってみるのが良いかなと思います。
みんなで普通のブロガーになろうぜ(^_^)
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自分の発言に責任を持つのと同様に
Facebookでのシェア、いいね、コメント等
発信者に賛同するという行動。
そういう行動にも責任が生じていると肝に命じて欲しいものです。
天網恢恢疎にして漏らさず。
知らなかったでは済まされないこともありますし。
本当にその通りですよね。
最近特に
天網恢恢疎にして漏らさず。
な時代になったなぁと思えて仕方ないことが多発しています。
いいねやシェア一つで教養の無さが露呈されることもあるのですから、気をつけたいですよね。
大人のコメント、とても勉強になりました。
未熟な私ならすぐに沸騰してしまい、客観的な意見とは取れません。
難しい言葉を引用する部分が仙台のカリスマに似てるような…。
確かマジシャン時代も「想一郎」。
本人どうかは分かりませんが、過去に影響を受けたので過敏に反応してしまいました。
ブログ汚し、お許し下さい。
(話題を変えて「三枚おろし」好きです)
いえいえ、どうぞこれからも宜しくお願い致します。
三枚おろしいいですよね!
最近まで、「シンクロきたー!」「ゾロ目きたー!」みたいな記事ばっかりの夢見ブログを書いてました。 不思議体験ばかりに意識をフォーカスするうちに魔界に迷い込んでしまったみたいな現象がつづくようになって怖くなってブログやめました。 こうやって、人様のブログにしょっちゅうお邪魔するような人間は自分のブログ作れって話ですよね。 世の中に向けて書くブログじゃなくて、 自分を記録して客観視する普通のブログを始めようと思います。 Yurikoさんのブログに出会えて良かったです。Yurikoさんに、コメントしてもらえるような普通のブログ書きたいと思います!
おはようござまいます☆
「シンクロきたー!」「ゾロ目きたー!」って興奮してたのは私も一緒ですよ。
それくらい私たちは、見えない世界を否定して唯物史観に埋め込まれていた反動だと思います。
昔の私の記事を見てもらえれば、みんな通る道なんだなって言うのが分かって安心してもらえると思います(笑)
知らない誰かに発信するよりも、身近な友達に見てもらうことを前提にブログを書かれるといいかもなって自分の経験上思います。
そもそも私のブログって友達とのやり取りが目的で始めたので、普段友達に見せてる自分と違う思いとかを書くだけでも勇気がいったし、特にスピ系の話とかは友達無くすかも……っていう気持ちが沢山あったので、書くのには覚悟や勇気が必要でした。
でも今思えば、それが良いストッパーになっていたなと思います(^_^)
やっぱり現実世界の友達が何より大事だなって思います。
それではこれからも宜しくお願い致します♪
どーも、あなたと同じ他人の粗探しが好きで好きでたまらないク○傲慢なメンヘラ暇人です。
ブログ見て
プライドが高くて、わたしの方が凄いのよ!アピールしたいだけの、劣等感と嫉妬まみれの我の強いイタイ女ってことが理解できました。これからも、他人のことを引きずり下ろすことだけ考えて、人生を何も役にも立たないくだらないもののためだけに費やして棒に振るえばいいのになぁと願っておりやす(^◇^)
あと1つだけ質問ね。
まさか自分だけはメンヘラではない、まともな人間だとでもお思いですか???!!
だとしたら草すら生えないね。
とっても勉強になるコメントを投稿してくださりありがとうございます♪
このコメントで、人って自分の器の範疇でしか人を判断できないのだなという事が改めて理解できました。
私は、去年の今頃まであなたのような考えを持っている人の存在がよく理解できていませんでした。ですが、この一年間偽スピを中心に依存心の高い人の心持ちを学習してきて、そういう人たちは全く私の考えの範疇にない世界観の中に生きていらっしゃるという事が非常によく理解できましたし、今回のコメントで正にやっぱりそうなのだなと、確信めいた気持ちを持ちました。教えてくださりありがとうございます♪
期待に応えられなくて大変残念なのですが、私は大変恵まれた人生を送らせていただいたので、そもそも劣等感をあまり持ち合わせておらず、さらに精神世界を探求することによって些細な劣等感すら消えてしまいましたし、嫉妬という感情も今はもう持ち合わせていません。
あなたの世界観の中ではそういう人は存在せず、誰もが他人のことを引きずり降ろすことを考えているという風になるのしょうが、そういうタイプの人って実は世の中に少ないですよ。
私は学生時代も社会人人生でも、そういう人に出会ったことがありません。みんなで協力して切磋琢磨して人生を歩んできました。
きっとあなたにはそういう仲間との出会いが今までなかったから、コメントに書かれたような世界観に落ち着くのでしょうが、私達に与えられた世界がそんな貧相な形だと思い込まなきゃいけない人生は残念ですよ。
人と協力し、互いが互いを高め合う世界の住人にあなたもなれるように応援しています。
それではこれからも宜しくお願い致します☆
こんにちは!!横からすみません!
ゆりさん素敵!!
と思わずコメントしたい衝動に駆られました!!
〉〉誰もが他人のことを引きずり降ろすことを考えているという風になるのしょうが、そういうタイプの人って実は世の中に少ないですよ。
確かにその通り!
殺伐としたブラック企業もチラッと見てきましたが、私の人生にもそういう人は見当たらなかったです。
「人と協力し、互いが互いを高め合う世界の住人」に私もなれるように頑張ろうと思いました☆
ついつい嫉妬心にかられるみたいな事は誰しも起こりうるもので、そういった感情が殺伐とした環境を生み出すものだよなぁとは思ってましたが、
偽スピに没頭している人のような憎悪の塊のようなメンタルは、この調査をするまで出会ったことがありません。
だからこそ、精神世界の怖さを知ったとも言えますね。
それでは、午後も張り切って仕事してきましょう♪エイエイオー!!!
おはようございます。
私も横から済みません。
ゆりさんの大人の対応にとても敬服しております。
子供には大人の対応が必要ですね。
ゆりさんのコメントを読ませていただき、私にも心当たりがあることがありましたので投稿をさせていただきます。
人と比べること
劣等感を持つこと
私は全てにおいてこのことに悩まされていました。
ありもしない定規を自分に当ててみて、どちらが、どれだけ優れているのか比較して生きていく人生。
それが自分の生活の糧であったり、やり甲斐であったり、奮起の源であったいしていました。
でも客観的に考えると、そういうことは「自分だけの定規」であって、誰も同じ定規を持っている訳ではありませんでした。
つまり、自分が勝手に作り出した理想論という「定規」を、勝手に自分に押し当てていただけです。
そのことでかなり人生を遠回りしたと感じています。
一方で、良い意味での劣等感は、今年になって強くなりました。
良い意味とは、学ぶことで今の自分よりも豊かな自分になろうという気持ちです。
それは今の自分に現状満足することではなく、今の自分と比べて「劣っている部分を補完しよう!」という前向きな気持ちです。
あくまで比較対象は他人ではなく自分です。
自分の方がやり甲斐もあるし、成長も実感できます。
他人と比較することで自分を惨めに感じていた時期がありました。
お金、名誉、持ち物、待遇…。
でもそういうことは人の人生の中で本の一部のスポットライトに過ぎないことに気がつきました。
幸せの灯火は自分で灯す。
幸せだと感じたら、その幸せを他人とシェアする。
そういう自分に向けられたスポットライトの中で生きていくことが、自分らしいと思っています。
では引き続きのご指導をお願いいたします。
コメントありがとうございます。
知らず知らずのうちに現代人は比較でしか自分を判断できなくなってそれで苦しんでいると思います。
私も、お金、名誉、持ち物、待遇…など様々なことで比較しては、劣等感を覚えた時代はありました。
ただ、ぶっちゃけスピの世界に足を突っ込んで、あまりに被害妄想甚だしい彼らの現実に気がついた時に、私の抱いていた劣等感のばかばかしさに、申し訳ないながら気がつくことになってしまいました(^^;)
22歳の頃から一人で会社を任せられていた事もあり、誰かと自分を比較するのではなく、没頭できる環境を作った方が私らしくいられる事にも気がつきました。
ぶっちゃけ、日本人ってみんなヲタク気質な所があるはずだと私は思ってます。比較するのではなく、没頭する喜びを確保できる環境をそれぞれ持ち合わせれると良いですね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
おはようございます
世の中の不思議なカラクリに 驚きの連続です。
たまたま 目についた表記に違和感があった。
何気に見たものが度肝を抜く粗相であった。いらんもの 見てしまったなぁ・・ とやるせない思いが救われました。
判然としたものに感情論は何ともやるせなさを感じます。
ある程度に経験をしてきたら やろう やろうと思うほど思いは空回りをする事が理解でき 人が無理をしなくなると カモは 向こうからおいでなさるものかなと。
使い勝手がいい 黄金言葉 ‘見せられる’ につきるかなと 思う今日この頃です。
記事の中での こちらへの コアなお気遣いが ありがたいなと感じています。
おはようございます。
こちらこそ、コメントお寄せくださってありがとうございました。
私自身コメントを頂いていなければ、何が何だかよく分からないことが始まっちゃったなぁというだけで、根本にあることがよく理解できていなかったと思います。
本当に自然体でいられる環境を確保できた方が世の中がよく見えますよね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
たまに見てます。波動とか周波数とか参考になりました。私もこの一年で何かが確実に変わったと思う1人です。色々ざわついてますが無事冬至を超えたいですね(*^_^*)
ありがとうございます♪
去年から今年にかけてほど、人の心持ちに大きな変化があった年はないように思っています。
それぞれの心のざわつきが鎮まって、冬至を越し、新しい年を迎えたいですね。
どうぞこれからも宜しくお願い致します。
アウトプットの重要性は私も感じます。
特定の情報、例えば非常に陶酔しやすい意見やマインドは、第三者が客観的にコメントをすることで情報の核が見えてくると思います。
竹久さんのブログは、そういう「他の雑念」をクリアにしてくれる大きなパワーを感じます。
感じるというよりも、ありがたく頂戴をしております。
持論で済みません。
スピ系に関して私が思いますに、「べき論」にこだわった方ほど洗脳されやすのではないのでしょうか。
例えば私も話題になった「仙台の方」のブログはかなり興味深く拝読しました。
その時は「これが真実だ」や「このマインドを知ることで人生が深まった」と感じました。
それはその時の自分の感想なので、正誤はないと思っています。
問題はそれに荷担や依存してしまうことです。
冷静に見ますと、成功哲学はその昔から存在しています。
マーフィー、ナポレオンヒル、カーネギーらが提唱していた論理を現代風に翻訳すると、様々な教祖様が説いていた事に似ています。
似ていると言うよりも、そのものという感じですが。
そこに精神世界の内容を加味すると、教祖が誕生すると言うことでしょうか。
悲しいことに、それを鵜呑みにしてしまい、「このマインドのオリジンは何だろうか?」という次のステップに行かない方が多い気がします。
学びを深めていけば、たどり着く場所は同じなのに、なぜはそのマインドを教祖様のオリジナルだと思ってしまう。
学べば分かることを、初めから放棄して、安易な成功方法に飛びついてしまう。
個人的にも学びの大切さを老いてから感じた身としては、学びを放棄することは思考を停止させることだと感じています。
あくまで、自戒の念を込めてですが…。
コメントありがとうございます。
仰る通り、「べき論」に陥った瞬間から、信仰から宗教に変わると思っています。
つまり洗脳されやすくなるはずだと私も思っています。
私の中で信仰と宗教の一番の違いは、「信仰=自発的な自然想起、無自覚の行動パターンのようなもの」で、「宗教=ある目的を達成するために、無理に繰り返すことでそれの考えに馴染ませる」という行動の軸となる部分が内側からか外側からの違いになってくるように思っています。
そして、べき論に拘っていくと、自分の内側の思いをどんどん遮断していくことになるために、迷路に迷い込みやすくなると思います。
大人としての社会生活を生きる秩序を守るために「べき」を使用するシュチュエーションはもちろん沢山あるのですが、社会の秩序を維持する目的ではなく、自分の人生の向上のために「べき」を使うと色々おかしなことがおこるものだなと思って見ています。
それではこれからも宜しくお願い致します。