自由と平等と人権を主張する世の中が、殺伐化する理由がやっと分かりました。
これは、この間書いた話の関連記事っていうか、書き直しです。
↑この記事でも書いたけれど、この本(日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懴悔
私は、今までなんとなく思ってた事に実感を持つようになりました。
どうして、そう思うかという前に、この本に書かれていたことをこの記事ではざっくり説明したいと思います。
ユダヤ人が理想とする社会は、戦前の日本にありました。
ユダヤ人が理想とする社会とは、君民一体の社会であり、国です。
ですが、まさかそんな理想郷が日本にあったとは彼らは知りませんでした。
ユダヤ人たちは、自分たちの社会通念から、君民一体となった統治を行う君主など存在するはずもないと思っていました。
実際、日本以外の国の統治は、君民一体ではなく、常に搾取です。君主が民を支配し、搾取する統治方法をしてきました。
そんな暴君たちの行いによって、常にユダヤ人たちは迫害を受けてきました。ですから、彼らは彼らの理想を叶えるためには君主国を潰す必要性があると考えました。
日本は、そんな勘違いによって彼らの標的の一つとなっていきました。
人の思想に歪みを入れれば、人は孤立し、凶暴化していきます。
そして、民の思いががバラバラになっていけば、国と言う単位を国民が支えることはできなくなります。
特に迫害を受けたロシアやドイツに対して、さらにはアメリカに対して、ユダヤ人たちは、国家転覆を盛り込んだ思想の植え付けを行っていきます。
ちなみに「日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懴悔
日本国憲法の元となったワイマール憲法は、ユダヤ人が迫害されてきたヨーロッパでユダヤ人政府のワイマール共和国ができたときに、大多数のドイツ人の中に生きるユダヤ人が復権するために作った人民飼い殺し用の憲法らしく、どうせなので日本でもその写しを戦後の日本でも使ってやれ、と適用されたそうです。
(ちなみにドイツではその危機にドイツ人が感づき、反発でナチズムが横行してユダヤ人が迫害された)
で結果、日本では物質的豊かさと反比例して、日本人の精神・家族・国家をここまでぐちゃぐちゃにしてしまった。
で、このユダヤ人の老人モルデカイ・モーセさんは日本人にはいろいろよくしてもらったのに申し訳ない…最後に謝りたい、とこの告白をしたのがこの本というわけです。
憲法の内容とその効果、資本主義と共産主義をの両方を道具として生き残るための使ってきたユダヤの歴史などを詳しく紹介されています。
そもそも、今の日本国憲法は、ドイツの国家転覆を目論んで作ったワイマール憲法が下地となっています。
アメリカ人が主体となったGHQが作ったはずの日本国憲法なのに、なぜユダヤ人やワイマール憲法の話が出てくるのかと思う人もいるでしょうが、GHQの中枢には多くのユダヤ人が入り込んでいました。
また、トランプ大統領以前のアメリカの中枢は、長らくグローバルマネーを動かすことのできるユダヤ閥に収められていました。
戦後の世界秩序というものは、実はアメリカではなく、流浪の民であるユダヤ秩序の時代であったと言えます。
今時代が大きく動いているのは、トランプ大統領がグローバル資本家たちの仲間ではないからで、そこをトランプが壊し始めているからこそ、世の中の流れが大きく変化してきていると言えます。
話が飛んでしまいました。戻します。
ワイマール憲法は迫害を受けたユダヤ人がドイツの国家転覆を図るために制作実行されたものだそうです。
ですが、途中でこの理論の虚構性にドイツ人たちが気が付きました。
そして、この憲法の反対に大きく舵を切り生まれていったものがナチスドイツだそうです。
ドイツでユダヤ人たちがひどく虐げられた背景には、ワイマール憲法に対する恨みも十分あることでしょう。
ちなみに、ドイツ人たちが、ワイマール憲法の中にあったどの箇所に虚構を見破ったかと言えば、
それは
「自由と平等の併記」です。
自由という環境は、複数の答えが共存します。
平等という環境は、単一の答えしか存在しなくなります。
今まで私もブログで、手を変え品を変えといった感じで、自由と平等を一緒に語るとおかしくなるということを伝えてきていましたが、併記することがおかしいということまで頭が回っていませんでした。
しかし、ここで改めて併記のおかしさに気が付くことができました。
一方は無限大の答えが許される環境を望み、一方では単一の答えしか許されない環境を求めてることは、どう考えても虚構の理論でしょう。
さらに、ここに「人権」というフレーズを加えれば、当たり前に人は狂っていけます。
「日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懴悔
まず第一条の基本的人権問題について述べよう。
この「基本的人権」という言葉からまず読みとれることは、被害者意識から出発した概念ということである。長年、差別、迫害されてきたユダヤ人の血の出るような要求であったのだ。
第十二条の「自由の保障」と第十四条の「平等」については、これこそこの憲法作成者の種眼目であるので別に述べる。
第十三条における「個人として尊重される」というのは、個人主義思想の導入が目的であることは論を待たない。個人主義というものは国家崩壊の第一歩と考えられているものであり、特に君主制打倒の捷径(しょうけい=近道)であると考えられてる。
これは第十二条の「自由」と密接に関係ある問題である。
また第十一条の基本的人権とも関係あるものである。個人主義に自由をプラスし無限大にこれを追求させればどういう結果になるか、国家内部の不統一、混乱を助長するものであることは説明の要はあるまい。
ユダヤ人たちが私怨を用いて国家転覆を図るために制作されたワイマール憲法。
戦後の日本人たちは、それと同じような内容がふんだんに盛り込まれた日本国憲法の枠組みの中に押し込められてしまったからこそ、狂ってしまったと言えます。
問題がどんどん噴出するばかりの戦後日本の問題の本質がどこにあるか、この本を読んでありありと理解できるようになりました。
【戦後の日本】問題解決の為手段が、問題を増やすことに繋がってる
以前、アセンションというものは、「日本人にとって本来の日本人に戻るだけのこと」と意識に刻まれたことも、より深く腑に落ちました。
まだまだ言いたいことはあるのですが、長くなりそうなので、一旦ここで記事を切ります。
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