さっき、壱岐で行われた縄文祭の事をブログに上げたら、なぜか本文が全く見れないという不思議な事象がおきて、その記事はお蔵入りさせたのですが、
気分転換したいので、全く違う話書いてみます。
これは昨日の読んだ本の話の続きです。
↓昨日読んだ本↓
↓昨日書いた所感↓
この本を読んで分かったことは、「満たされていた」と勝手に勘違いしていた団塊世代は満たされていなかったということです。
彼らは、戦後教育によって大きな理想と期待を植え付けられ、また西洋的愛の価値観を真実だと思い込まされ少年青春時代の時を過ごしました。
しかし、思い描いていた理想とは違う現実に失望していき、そこに大きなストレスとフラストレーションを親である団塊世代は抱えていたということです。
結局、悩みの根源は同じ所に在り、そのストレスとフラストレーション、さらには子供を通して自分の無念を晴らしたいという期待が、さらに次の世代がおかしくなる要素に繋がっているんだなと気がつきました。
今まで私はこの視点は全くもって持ち合わせていませんでした。
これは、著者である信田さんが同時代を生きた人だからこそ分かることだと思う。
でも、これが分かったことは、私にとって大きな開眼でした。
結局理想や未来なんていうものはストレスを生み歪みを生むということに過ぎないんだと思います。
そして、その連鎖によって、歪みはもっと大きくなっているということなのだろうと思います。
そして、戦後教育というものは、エリートという名の紅衛兵を増産させていたに過ぎないんだなとも思いました。
紅衛兵というのは、毛沢東が起こした文化革命の際に先頭に立って戦った子供の兵たちのこと。
紅衛兵は、1966年から1968年にかけて実権派打倒に猛威を振るい、文化大革命期間中に出た死亡者、行方不明者(数百万人とも数千万人ともいわれる)の一部の虐殺に加担したとも言われている。
また、当時は中華人民共和国の成立に貢献した政治家や知識人も弾圧を受けた。その1人である彭徳懐も逮捕されて拷問を受け、それが原因で死亡している。
第二次世界大戦終了後の1949年に、中国人民共和国は誕生します。(つまり、中国と日本は戦っていないということです。日本が戦ったのは、台湾に逃げた中華民国の国民党です。)
初代主席である毛沢東が権力掌握していくために、中国共産党に都合の良い考え方を持ち合わせた子供たちを育成していきます。
どんな教育をしたかと言えば、ざっくり言えば「権力悪」です。
地方に蔓延る権力を持つ者はみんな悪だとして、それを打倒していけば、良い社会が生まれる理想を子供らにばらまき、子供らを兵にして、大人たちを殺戮していきました。
結果、もたらされたのは、3000万人以上が餓死するなどの悲惨な現実でした。
そして、戦後教育を真面目に受け入れて勉強していった学生ほど、盲目に権力と戦う構図に繋がっていった60年安保などの軌跡が、今さらになって紅衛兵のように見えてきたのです。
実際、戦後の日本はコミンテルン天国と呼べるもので、戦時中は絶滅に瀕していた共産党員(コミンテルン)たちがGHQの意向によって、街に飛び出していきました。
さらに、その人たちの考え方が推奨される考え方が教育として、一般化されていくことになりました。
結局、この教育を受けた第一世代のエリートたちが、60年安保へと突き進んでいきました。
教育に共産主義の考え方が軸にあった事をふまえ直すと、より「紅衛兵じゃん」と思えて仕方なくなったのです。
また、60年安保と70年安保もいわゆるエリートと呼ばれる学生層が中心になって行われたのですが、この人たちは、一流企業に就職できず、新聞社やマスコミに入社することになりました。
今となっては、新聞社やマスコミはエリート企業ですが、当時はそんな風には見られていませんでした。私たちの世代でこの状況を捉えるのなら、インターネットが始まった頃に、IT業界に就職した同級生の感覚で見るとイメージがしやすいと思います。
ですが、世の中はマスコミ支配がどんどん強くなっていくので、あぶれ者であった彼らの方が権力を掌握していくことになり、その世論が国全体を覆い続けています。
私たちは紅衛兵の亡霊や思想から見直す必要があるんだなと、昨日思いました。
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