「お金を沢山使ったら、お金が戻ってくるよ!」
という言葉には、時と場合に応じて確かに一理あると思っている人が多いと思いますが……、
所謂スピ系の皆様が張り切ってやってらっしゃる行動には、普通に生きている人ならみんな、「そりゃねぇわ!返ってくるはずもねぇわ!」と思っていると思います。
POD出版と向き合ってたら、所謂スピ系の人が何を捉え違いしているのか急に分かってきたので、そこについて書きます。
今回POD出版をやってみたことによって、もの凄く久しぶりに「予算」や「損益分岐点」というものを真剣に私は考えていました(笑)
私は「損益分岐点」の感覚がはっきりしない事業は、長続きしないものだと思っています。
そして、事業を長続きさせたいと自分自身が思うのなら、事業が軌道に乗ると判断できるまでは経費を極力使わずに、「損益分岐点」のハードルをなるべく低く設定できるような事業運営ができるように試行錯誤してく必要があると考えます。
今回、私がPOD出版をしてみようと思ったのは、読者様の要望と私ができることの狭間で唯一合点できる着地点だったに過ぎないのですが、読者様のおかげですっかりPOD出版業界に興味をもってしまった私は、今や単純な書籍制作とは違う部分への興味が存分に増えております。
POD出版というものは、今まで先行投資が必要だった出版産業において、投資の必要がなく無料で発売までこじつけれるというのが著者側にとっての最大のメリットなのですが、それは全て自分でやって無料なのですね。
表紙、原稿、構成、編集など、本を作るためにはいくつかの工程が必要で、その全て自分で作る事ができない人の方が、世の中には多いと思います。だから、専門性が必要とされる部分に関して、お手伝いしてくださる有料サービスはもちろんあります。
ただし、私が自分の労力も含めた「損益分岐点」を考えた時に、そこに到達するためには、どう考えたって1円の経費も算出できない事業だけが目の前にありました。
だから、私は全部を自分でやっただけのことなのですが……
全てのことにつけおいて
「お金を沢山使ったら、お金が戻ってくるよ!」
と思い込んでいる所謂スピ系の人は、ここでめっちゃ経費使うんだろうなってつくづく思いながら、実は書籍制作していたのですね。
そして、作りながらずっと、いちいちそんな事が頭かすめながら仕事してたんで、何をあの人たちが捉え違いしているのかすっごく分かってきたんです。
引き寄せの法則に嵌まっている人たちが大いなる勘違いしていることは、
多分
「沢山お金を使ったら、お金が返ってくる」
という部分なのだと私は推察します。
これには一理あり、全て間違っていないと私も思うのは、
これはビジネスというシーンであったにせよ、労働対価という枠組みが外れた部分でこれを施せば、結構功を奏すと思うからです。
たとえば、仕事の打ち上げでおごるなど、自分と一緒に働いてくれた人の労いに対して、それ以上の対価を与えることによって、後にそれが返ってきたと思う気持ちを持ち合わせる人も沢山いるでしょう。
だからこそ「沢山お金を使ったら、お金が返ってくる」という定義が成り立っているのだろうと思いますが、
もちろん、そこに下心があれば返ってくるはずもなく、出しただけの結果に陥っていきますが…スピ系に嵌まっている人たちは、多分そういう形(打ち上げを全部おごるなど)でお金は使ってないだろうなって思います。
どこにお金を使っているかと言えば、対価として発生する場面において、沢山お金を使えばお金が返ってくるっていう勘違いしてるんじゃないかなって思ったんですよね。
たとえば、「沢山お金を使ったら、沢山のお金が返ってくるよ」っていう感じで、引き寄せの法則を考えている人たちは、
無料で出版までできるはずのPOD出版でも、めちゃくちゃ経費使いまくるんだろうなって、思ったんですよね。
経費となるようなものは、使った時点で引き寄せの法則は既に成立して過去のものになっています。
なぜなら、私たちというのは、労働に対する対価をお金としてやり取りしているからです。
たとえば、表紙とかもプロに作ってもらえば5万以上のお金が普通にかかります。
少しでも良い本にするためにプロに頼むことは悪いことではなく普通のことなのですが、5万の経費を使ったら、5万円分の売上があがるわけではありません。
表紙を作るための労働対価を渡して、物事は成立しているので、表紙を作ってくれたお金を渡さなければバランスが崩れます。だから、お金を渡すことで、ようやく均衡が取れる状態になっているだけなのですが、ここをすごく勘違いしているんだろうなぁと、ひしひしと思うようになってしまいましてね、今こんな記事を書いてます。
経費というのは、期待や見込み値を算出することなく、客観視で見積る売上に対してのバランスでみるべきだと私は考えます。
売上の見込の立たない事業であれば、まずは経費を使わないことが普通だと思うのですが、結局彼らは「経費を沢山使ったら、沢山お金が戻ってくるっていう」という考え方を信じて、湯水のように無駄な経費を使って制作をしているんだろうなぁと思えてきてしまったのです。
だからこそ、パッケージだけがどんどんお洒落になって、中身のない商品を売りつけることにも繋がっているんだろうなぁって思いました。
↓そのことについて書いた記事↓
「沢山お金を使ったら、お金が返ってくる」のは、ビジネスの中で労働対価として成立する場所では功を奏すはずもないと思います。
このメソッドを勘違いして、事業としては経費として算出するしかないお金を湯水のように使えば、もちろん事業としては救いようがないほどの赤字からスタートするだけで、損益分岐点のハードルも限りなく高いものとなるだけでしょう。
「経費を沢山使ったら、沢山お金が戻ってくるっていう」、言い方に変えれば、
ほぼほぼ全員が「そんなわけないだろ」で話が終わるようなことが
「沢山お金を使ったら、お金が返ってくる」という、大ざっぱに捉えれば一理あるというような教えに変わると、
知らず知らずのうちに「経費を沢山使ったら、沢山お金が戻ってくるっていう」考え方に染まっていくんだなぁと、思って見ています。
気をつけていきたいですね。
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【新刊発売】生きやすさを手に入れるための波動とエゴの法則を書いた本
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こんにちは。
「お金」って、実生活とは切っても切り離せないものなので、そこにこだわるスピ系、自己啓発セミナー、カウンセラー、なんちゃってコンサルは多いですよね。
ちょうど、1年ほど前に、私も自分のブログで「自然は真空を嫌う」というタイトルでお金についてのこと、「使うほど入ってくる」ということの意味について書いています。ぶっちゃけ、そういうことを言っているスピ系のほとんどはインチキという結論なんですけどね(笑)。
世の中、投資と経費の違いもよくわからず、表面的なことだけ言っている人も多いと思います。
まあ、取り敢えず、事業計画立てなさい。そして、お金が欲しければ、僕にコンサルを頼みなさいというのが結論です(笑)(←最後は冗談ですよw)
こちらこそいつもお世話になっております。
早速、「自然は真空を嫌う」読みました。
私もひでぽんさんと同じ事を伝えたかったです。ですが、ひでぽんさんの読んで言葉が足りないことを痛切に感じました。
だから、ひでぽんさんの記事リンク貼っときます。
http://www.qdech-labo.space/philosophy/2017/11/01/post-44/
私の書いた記事より、こっちの方が分かりやすいので(^^;)。
本当に、投資と経費の違いが分かってない人多いと思います。スピ系調査し始めて愕然とするほど知らない人が多い人がいるんだなと思いました。
事業計画もポエム売りなコンサルについてやってる女子たち、みんな絶対に儲からない方向に舵きってますものね。
ちゃんと事業が分かってるコンサルさんは、実直なことしか指導しないので、ポエムなポピュリズムなコンサルの人の方が楽できて自分のことを分かってくれるような錯覚に陥るのでしょうが、そもそも誰かの指導なしに起業できないと思っている時点で、起業家にはなれないって気がついた方が良いと思うのですよね。
まずは自分でやってみて、分からない部分に対してコンサルさんに頼るのは意味があると思うのですが、スピ系の人たち全て丸投げっぽいですものね。
そこに甘えがあり、その甘えにつけ込まれているだけなんですよね。
商品買ったりサービス受けた時点で、お金は釣り合っててトントンってことですね。
本当に引き寄せ実感したかったら見返り求めずに寄付でもしてみなよと思います。
私は現金じゃないけど120万円分の商品を思い切って寄付したら、
それキッカケでお金の価値以上の人脈を得ることができました。
今にして思えば引き寄せだったなあと思います。
我ながらなかなかクレイジーなので、あまりオススメしませんがw
こんにちは。
そうなんですよ。金のやり取りが成立した時点で全てはトントンです。
すごい!120万円分の寄付って、かなり思いきりましたね。
私はそのリスキーは避けるタイプです(笑)
それではこれからも宜しく願い致します。
「沢山お金を使ったら、お金が返ってくる」という、大ざっぱに捉えれば一理ある
っていうところが、たち悪いですよね(笑)。
本当に、彼ら彼女らは、正しいことに織り交ぜて、間違ったことを吹聴していますから。
本当に全部っていうくらい、大ざっぱに捉えれば一理あることを都合良く解釈し直して流布していることばっかですよね。
未来に過度な期待などせず、実直に生きるのが一番だなって思います(笑)
ゆりさん、こんにちは!
私は少し前にうっかりスピ起業を考えるところでしたが
「いや、何の才能もないのに無理だろw」とすぐに現実に戻れて良かったです。
商売ではありませんが、若気の至りで同人誌作って在庫抱えてた経験が活かされました。
失敗は若い内にしておくもんですね(笑)
スピ系にハマると成功してるところだけにフォーカスしないといけないので
本当に目の前のひとつひとつを雑にしたり現実を見て見ぬフリになると思います。
〉〉スピ系に嵌まっている人たちは、多分そういう形(打ち上げを全部おごるなど)でお金は使ってないだろうなって思います。
そういえば心屋さんてスクールかなんかの打ち上げで「バンジーを飛ぶ」とか言って最後に
挙手した参加者の1人にお会計を全額払わさせているってブログで読んだことあります。
その時は50万円くらいだった記憶がありますが…。怖ろしいですね。
挙手する人も返って来るという下心があるし周りも「タダ飯!やった!」でしょうが…。
同じ穴の…にしてもやっぱり気持ち悪いです。
教祖様には労いの気持ちはないのでしょうか。
他人に感謝することや労いの気持ちは忘れずにいたいものです。
私も、前の会社で沢山の失敗を経験させておいてもらって良かったなと思うことが沢山あります(笑)
それから、経営は性に合わないのですが、経営に携わる仕事をさせてもらったのも良かったと思います。
在庫抱えるの本当に大変ですよね(笑)苦い経験はその時嫌だけれど、後になって役立つことが多いですよね。
心屋さんの話、私は単純に罰ゲームにしか思えないですが(笑)、引き寄せの練習なんでしょうね(笑)彼らの中では。
そんな下心ありありな罰ゲームのお金は罰ゲームで払っただけであって絶対戻ってこないと思いますが、出した側は戻したいという心理ははたらくはずなので、余計に沼から抜けられなくなるのでしょうね。
スピリチュアルという分野は主に、情報の価値を高めて当人の労働力や発信者の能力に見合わない情報料を請求するケースが目立ちます。
今や情報というのは幾らでも無料で引き出せる時代なのですから、情報という分野に価値を定めてビジネスするのではなく、
単純に労力に対する対価でのやり取りにした方が良いと私は思っています。
それではこれからも宜しくお願い致します♪
>そういえば心屋さんてスクールかなんかの打ち上げで「バンジーを飛ぶ」とか言って最後に
挙手した参加者の1人にお会計を全額払わさせているってブログで読んだことあります。
それは、投資じゃなくて、単なる浪費なので帰ってきません(笑)
同じようなことやっていれば、何回かに一回は、他の人が払ってくれるかもしれないので、多少、戻ってくるかもしれませんが、単に心屋氏に搾取されているだけですね(笑)
本当にその通りですよね。
ギャンブルでもそうですが、人って浪費と投資の区別がつかなくなるけれど、使ったお金は回収したいって思いが強くなりますよね。
莫大な金を支払わせる人は、支払わせることによって依存を強くさせる効果も知っていてやっているのかなって思ったりします。
ひでぽんさん、はじめまして!
いつも客観的で鋭い考察に敬服しつつひでぽんさんとゆりさんとのディスカッションを通して
私もさらに深く考えさせていただいております!
ひでぽんさんにコメントしていただいたのでうれしくて返信させていただきました!!
>それは、投資じゃなくて、単なる浪費なので帰ってきません(笑)
そうですよね!
バンジーと言うからには「チャレンジ」の意味で支払わせるのでしょうが、
何のチャレンジでもないし、全然社会の役に立ってませんよね…。
信者は心屋氏に搾取され、またゆりさんが書いておられる通り依存を強化され…。
心屋氏にとって受講生は仲間ではなく本当に搾取する対象でしかないのですね。
どのようにこういう手法を思いつくのかわかりませんが、本当に怖ろしいと思いました!
ちよさん、こんにちは(^^)。
>心屋氏にとって受講生は仲間ではなく本当に搾取する対象でしかないのですね。
ですねー。
自分のブログにも書いてありますが、「この壺を買えば~」なんていうのは、わかりやすくてかわいいものなんです。
一番、質の悪いのは、こんな風に、別のことでお金を浪費させることに慣れさせておいて、最終的に自分の方に貢がせるっていうやり方です。(多分、打ち上げで得するお金なんて、払う方は大変でしょうが、心屋氏の得する金額なんてタカが知れてますよね)
本当にこういうことを考え、実行に移すなんていうのは、唾棄すべき存在だと思います。
「沢山お金を使ったら、お金が返ってくる」
最近、スピ業界でも流行りの「予祝」も
これに該当してるのかな?と、ふと思いました。
「予祝」今度はそんなのが流行ってるんですか(笑)
何でもご都合良く自分の都合良い未来を引き寄せるために利用されるんですね。
彼らの「予祝」は「予祝」ではなく、単なるぬか喜びなのでは?と思ってしまいました。
いや、ぬか喜びでもなく、幻想に集う狂喜乱舞という言葉の方が相応しいでしょうね。
「予祝」って、豊作を祈る祈願行事だった気が…。
何でも、自分たちに都合良く使い出すんですね(笑)