週末、自然に埋もれてみたら、もう一つ大事な事に改めて気がついたので記事にしておきます。
先週、親友もも家族と馴染みの茨城の海でキャンプしてました。
最近ももの家は、夫婦の趣味であるサーフィンが講じて、週末にいい波で遊ぶ為に、全てがアウトドア仕様。
で、とにかくいい波の場所でキャンプしながら週末を過ごすという極上の生き方に辿り着いておりまして、私も東京に行きがてら、そのイケテル大人の楽しい遊びにまじってきました。
普段は、家族でテントで寝るらしいのだけれども、私が来たので、家族は車中で寝て、私一人のためにテントを与えてくれたのね。
でね、その時に気がついたの。
こんな無防備な場所で一人で寝るのは初めてだって。
テントで寝るのが初めてじゃないんだけれども、テントで寝たのはキャンプ場かフェス会場ばっか。
よく考えたら、人間が作った自然だった。
ここは横は海の路上。
寝ている場所は少し人工かもしれないけれど、キャンプ場やフェス会場みたいに守られているわけではなくて、いつ誰かに襲われるか分からない場所なんだよね。
10メートルくらい先に友達の家族が寝てる車はあるんだけれどもさ、それでもこれって結構怖いもんなんだなって思った。
まぁ思っただけで、結局最高気持ち良い潮風の音色に合わせて爆睡したんだけれども。
自然が好きとか言いながら、結局やっぱり自分は自然から離れた隔離された環境の中で生きてるだけだなって気がつかされたよ。
そして、今一度自然と向き合ってみたら、超当たり前の事を痛感することになったんだ。
私たちの顔は必ず違う。
似ている顔はあったとしても、体格、骨格、全てが一致することはあり得ない。
それと同じように、自然に存在するものに画一という文字は見当たらない。
雪の結晶一つだって、同じものは存在しない。
それと真逆のように、人間は全て別のものを作り出さない。
大量生産して画一的に同じものを作ることに躍起になってる。
同じものしか作り出せない人間が、そして同じものばかりを作れることにいきがってる人間が、地球の頂点にいるだなんておかしなことだ。
自然が作り出した物は当たり前に形を変える。
植物も動物も人間も、当たり前に形を変えていく。
だけれども、人間が作り出した物は形を変えない。
自然は形を変えて進化できる。
発生した後に自らの力で完成を作り出すことができる。
人間が作り出した物は、作り出した瞬間が完成で、そこから朽ち落ちるだけだ。
人間は一体何を勘違いしたのだろう。
初めて路上で一人でテントに寝た次の朝から、こんな言葉が頭を回るようになった。
私たちは、自然に対抗できるような物を生み出すことなど何もできないのに、どうして進化したなんて思えたのだろう。
同じものしか作れないのに、同じものばかりを作って、どうしていきがることができたのだろう。
作った瞬間に完成のものしか作れないのに、どうしていきがることができたのだろう。
そんな事ばかりが頭を蠢き、そして今も蠢いている。
そして辿り着いた結論は、人間は自分たちで思い込んでいるほどたいしたものではないということだ。
私たちの目の前には、私たちの能力では絶対に作り出すことのできない自然が広がっているのに、どうしてそれと自分たちと区別し、その支配者になろうとしたのだろう。
これが、たいした能力もない馬鹿のあがきに思えてきたんだ。
与えられたものを、そしてその設定を理解して、ただ楽しめばいいだけなのに、どうして人間はわざわざ苦しむ方向に自らを誘導していくのだろう。
そして、どうしてこんなに傲慢なんだろう。
そんなことを思ったんだ。
そして、
同じものは何一つない
この当たり前のことを今一度しっかりと噛みしめて生き直そうって思ったんだ。
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