今、日本の漁獲量が減っていたり、
一方で、小さな鯛が破格の値段で売られているのには訳がありました。
報道特注でお馴染みの築地の魚屋の生田さん。
彼が様々なメディアに出ていたのは、きっとこの事実(下記添付動画参照)を多くの人に知ってほしかったからだったのでしょう。
小池都知事のせいで、築地市場がしっちゃかめっちゃかになったと同時にテレビ出演が増えた生田さん。だから、築地問題のことがあってテレビに登場するようになったのかと勝手に私は勘違いしている部分がありました。
違ったんですね。
私たちが今直面している真実に気がついてほしいと、とにかく一生懸命頑張られていたのだなと改めて思いました。
上の動画を見て頂ければ、ある程度今日本の漁業が置かれている現状にお気づき頂けるかと思いますが、
「採れば儲かる」の精神で突き進む社会環境が大きくなり過ぎた結果、私たちは私たち自身で自分の首を絞めるようなことを日夜行っています。
ここ最近ずっとリカレントのことだけを考えてきた私も、同じような気持ちになっていました。
「教育が人の手足を縛ってどうすんじゃい!」って、このところずっと思っています。
水産庁は「親魚がなくても子魚は産まれる」というアクロバティック過ぎる見解を漁師さんたちにドヤ顔で訴えたそうですが、ありえないですよね。
私も、経産省の報告書を読んだ時に、そのアクロバティック過ぎるドヤ顔を感じましたから……エリートって、むかつく以上に現実を知らなすぎてガチで怖いなって心底思いましたから……。
ただね、エリートってぶっちゃけ閉ざされた空間の中で生きている人多いじゃない。だからね、根本的な循環のメカニズムや道理を無視しできる環境があると思うの。そして、そういう環境の中で自分の求める答えだけをなんとか導きだそうとすれば、大凡みんな同じようにアクロバティック理論に陥っていくのかなと思うようになりました。
だから、良いのではなく、全然良くないのですが!!!!
そしてこのようなタイプの理論の土壌にあるのはいつも「自分都合」ばかりです。
本来賢いはずの人がどうしてここに気がつけなくなるんだろうね。
結局自我が発達し過ぎるからだろうと、波動の見地での分析は済んでいるけれど、やっぱり不思議だし、悲しいなとは思います。
どんなにエリートが「人間都合」「自分都合」を押し通そうとしたとしても、残念ながら自然の循環は、「私たち都合」には出来上がっていません。
というより、そもそも私たちも「自然の一分」です。
私たち自身も、自然に持ち合わせているはずの循環を無視し続ければ、何事も上手く行かなくなり、八方塞がりとなって当然です。
でも、今やそれすらがなんたるかが分からない人がどうにもこうにも増えてしまいました。
地球は人間のためだけにあるような錯覚。
人間が特別であるような錯覚。
人間の世界は、自然とは切り離された世界の中にあるような錯覚。
どうもその感覚ばかりを私たちは積み重ねています。
だから、生田さんが熱弁されている漁業の危機のように、私たちは私たちの首を絞め続けているのです。
この感覚でなんとか生きられるのも、もう長くないでしょう。
どう考えたって、だって私たちは自然の摂理から乖離し過ぎて、いちいち自然を恐怖に感じるようになってしまったのですもの。
中国は大変広い国土を持った国ではありますが、その国土の多くは砂漠化が止まりません。
この砂漠化の一番大きい理由の一つに、循環を無視してきたことが挙げられます。
中国は何でも根こそぎ食べてしまう習性があるらしく、循環ができなくなってしまうそうです。
日本では都会でも鳥の鳴き声がどこからか届きますが、中国に行くと鳥をさっぱり見かけないと皆さん仰ります。
どうして、鳥を見かけないのか???
それは……全部食べてしまったからだそうです。
中国人のこのような行いは、あるものは全て取り尽くしてしまう習性なのか、空腹からきた危機感からなのは分かりませんが、取り尽くせるだけ採った挙げ句、中国は自分たちの食べるものを失うことになってしまっています。
砂漠化の理由もこの延長線上にあります。
中国のようなことは日本では起こりようもないと私は思っていたのですが、ところがどっこい実は今、日本もそれにどっぷり陥ってしまっていたのですね。
私たちは、明日生きるために、自分たちの寿命を減らすことを未来の寿命を減らすことを率先して行っているのかもしれません。
だから、心が苦しんでいるのかもしれません。
流れを止めるのは勇気もいるし、一時的には苦労もつきまといます。
でも、10年、20年、100年後の未来を考えた時、変わるなら今しかないのではないかと思います。
一人一人の意識がほんの少しでも「自分とは、自然の一分である」ということを思い出すだけで、変わることもあるのではないかと、切に思っています。
【縦書き】
【横書き】
本の内容一部を公開してます。
本の紹介ページはこちら↓
View Comments
知人が、ご主人の転勤に伴い、中国に移り住みました。
可愛がっていた犬(種類忘れたけど、大型でむくむくした毛の犬)を
連れてゆき、公園を散歩していたら何となく自分の周りに人だかり。
「いいな、犬か」とある男性。
「で、それはいつ食べるのか?」「食べる???」
冗談かと思っていたそうです、そういう話は聞いてはいても。
着任して約ひとつき。犬が行方不明になったそうです。
で、二度とお目にかかれなかったと。
連れて行かず誰かに預ければよかった、と泣いていました。
人のものですよ?泥棒ですよ?
それでも食べたいから、と盗んで、目的を多分果たしたのでしょう。
かの國は、他国から技術でも特許品でも何でも平気で盗んで
これはうちのオリジナルです、と言い張りますからね。
人の犬くらい盗んでも何でもない事なのでしょう。
美味しそうだったし、食べたかったから頂きました。
そういう理由がまかり通るのでしょう。
私の同僚に朝鮮族中国人の方がいましたが、「どうしようもなく犬は美味しそうに見えてしまう」と常に言ってました。
「どんなにそう思ったとしても、絶対に日本では口にしたらダメだよ!」ってみんなで言ってたんですが、どうしても美味しそうに見えるらしくって、犬を見ると「美味しそう」ってつい口にしちゃうのを思い出しました。
本当にいい人で、みんなから好かれていた人だったのですが、なんか犬に関しては、私たちには思いもよらない別センサーが働き出してしまうみたいです。
中国に犬は連れて行ってはいけませんよね。