私たちは、やっぱりサファリパークの中に生きているんだなと改めて思っています。
先週の今頃、日本は大雨に見舞われていました。
誰もが予期していなかったその大雨によって、多くの方が亡くなりました。そして、今も沢山の方が避難所で生活することを余儀なくされています。
こんな時にこんな事を書くのがどうなのかと思わなくはないのですが、こんな時だからこそ書きますね。
日本が大雨の事態に慌てていた先週、そして今週、私の頭の中は、ずっとこの国の再教育のことばかりを考えていました。
そして、私たちが本来の「生きる」とはかけ離れた無駄なことばかりをして、誰かが誰かの足を引っ張り、そして何とか今あるフィクションな環境を真実であると定義するために、無自覚にその努力を続けていることをひしひしと感じてしまいました。
ここの所の日本は未曾有の災害が続いています。
7年前、東日本大震災があった時、私は都心でその揺れと被害を経験しました。
人は無力であることを痛感し、そして自分のしている仕事が、「生きる」ための役立たずでありながらも、自分の生活を守るために必死に頑張っていることを自覚して、どうしようもない気持ちが繰り返し起こりました。
あの頃、何かが違う、何かを間違っていた、そう心の中が響いたからこそ、私は生き方が変わってしまったのだろうと今は思います。
それでも私たちは、私たちが作り上げたフィクションな社会をどうしても真実だと思っています。
だからこそ、「それは違う」と天が必死に訴えているのではないかと思ってしまうのです。
私たちが日夜一生懸命にしていることは、「自然の一分」であるはずの自分たちを無視して、自然と乖離したサファリパークを作り上げているだけのように感じています。
それを真実の世界だと勘違いしているだけで、それは本来の世界とは全く異なる世界なはずです。
今立て続けに起こっているあれやこれやは、「もうその世界のお話は終わりなんだよ」と教えてくださっていることに気がつかずに、私たちが間違った方向に舵を切りまくっているからこそ起きているのではないのでしょうか。
サファリパークの時代は終わったはずなのに、それでも壁を作ろうとするから、壊される。
それを繰り返しているようにどうも思えて仕方ないのです。
しかも、日本人は特別な役割を持った民族だと、私は思っています。
地球にとって、日本は松果体なんじゃないかな?って思ってます。
地球にとって大事な器官だからこそ、試練を与えられることになっているそんな気がしてならないのです。
「サファリーパークは本当の自然ではない」、「僕らは檻の中に閉じ込められている」と感じている動物なのなら、サファリーパークの檻が壊されて外に出て行ける開放感は味わえるでしょう。
しかし、外に行ってみたら、全く知らないもっと激しい人間世界が存在しているがために、そこはある種の地獄とも言えるかもしれません。
でも、サファリパークが本当に壊れたのなら、もう餌を与えてくれる人はいなくなり、檻から出ずとも飢え死ぬことになるでしょう。
どちらの選択肢も過酷です。
私たちに与えられる選択肢も同じようなものかもしれません。
このサファリーパークの外は本気の自然です。私たちはその場では無力です。
それでも、私たちは本来あるべき人間の姿の方面へ舵を切った方が良いと思います。
私たちが持ち合わせたテクノロジーは私たちのために使うためではなかったはずのものを、壁を作り私たちだけのために使っているからバランスが崩れているだけなのではないのでしょうか。
だから、今までの考えを改めながらテクノロジーを使う努力をし始めた方が良いのではないのでしょうか。
だってもう、私たちが真実だとしていた幻想の世界は、あちらもこちらもどんどん壊れていっているのですから。
本来の「活きる」世界へ、「人として活きる」世界へ。
戻るべき時が来ているのだと、私には思えてしかたないのです。
今が苦しい人は沢山いると思います。
人命救助のために働いてくださっている方がいます。
こんな時に、こんな事を書いて申し訳ないです。
でも、こんな時だからこそどうしても言いたかったのです。
空気が読めなくてごめんなさい。
そして、それでも今を生きましょう。供に。
【縦書き】
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本の内容一部を公開してます。
本の紹介ページはこちら↓
地球にとって、日本は松果体なんじゃないかな?って思ってます。
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自然も人間社会も、大変な変化の時期なんだと思います。
「人権!平和!」と叫んで新聞テレビを抑えてさえいれば好き放題できた勢力がどんどん弱まってきているのはその一つの現れでしょう。
と同時に、「バカ左翼w」「中韓朝日涙目w」と罵り「私は右翼ではなく中立の愛国者だ!」とふんぞり返ってさえいればいっぱしの志士を気取れたような人たちにも変化は迫ってくるでしょう。
自称保守愛国の大多数の論客さまたちは、保守の大物たちの無様な言動にたいしては全く批判をしようとしませんね。(例えば、石原元都知事の公私混同の数々や、銀行税やパチンコ税の戦いを説明なしに投げ出したこと、TBSサンデーモーニングのねつ造に対してご子息がお天気キャスターに採用されたらあっさりと和解したことなど)
それは、左翼の人たちが「人権平和」から外れた言動を反省しようとせず正当化してわめき続けるのと同レベルではないでしょうか。
「タカ派」は国家にとって必要だと思います。でも、「タカ気取りのバカ」は淘汰されていかねばなりません。
例えば、何でもかんでも「セクハラよ!」と騒ぎ立てる人たちをたしなめるのは大事ですが、勇気をもって告発しようとした人たちにまで一緒くたにして「甘えたバカ女w」とレッテルを貼って罵倒し、「私って本質のわかる愛国者」と悦に入っている手合いは、保守の人たちで叱りつけなければなりません。
自称保守の人たちが、「バカ左翼」と罵ってうっぷんを晴らす正当性を求めているだけではなく、本当の保守であるならばですが。
今回の豪雨の最中に「国会議員を6増やす」なんて、自分たちの党利党略しか考えない自公政権についても、「私は右翼ではなく中立」と自称しているブログ主さまのような方々にはしっかりと批判してほしいところです。
無理かww
叱咤激励ありがとうございます。
仰る通り、保守だから良いということはなく、自民党だから良いという訳でもありません。
ギャンブル依存が叫ばれる昨今パチンコをここまで拡大させてしまってきたのは、自民党と警察だと思っています。
ただ、私は物事には順番があると思います。今の段階であっちもこっちもただただ批判してては、何も進まないと思っているので、この論調です。
まずは多くの人の思想が自虐史観の中にある上で成り立っていることを自覚し、まずはそこから脱却せねば、宇城さんが危機と感じている部分には辿り着けないと思うのです。
どうぞこれからも宜しくお願い致します。
波動も変わってきてるのかなと思えますね。
気付いてる人は気付き始めていてそんなに流されてないように見えます。
メディアは災害時ほど伝えるのが仕事だと言わんばかりに行動してるけど、結構邪魔しててSNSとかでは内容を叩かれてますね。
スマホの充電がないのにメッセージでやり取りとか送ってくるなとか。特にフジテレビ系は許可なく勝手に使いますねとか言って強引に使い始めるとか。
結局大義名分でメディアは独占とか、他局にないようなものが欲しいんだけなんだと取れます。
よく災害では人の選別をされていると思う人がいるようですけど、あれって天から試されてると思うところもありますね。
こうなった時にどう動くのかとか、人の行動を見たいように感じています。
今回はユーチューバーのヒカキンが動画で募金をする様子があったのですが、ああいう行動をすることによって人を動かして行動させたいのと、今まで応援と支えてくれた人に対してのお返しとも取れるけど、人によっては人から得た金で寄付とかふざけるなとか結構な反発で叩く人の二極化でありました。
その行動自体が反発要素なのかもしれませんね。といっても、結局ユーチューバーという職業が生まれたのも今の時代の流れとしてだと思うところもあり、概念破壊が進んだのかなと。
この辺りから生きてる世界が選別されているように線引きがあるように見えました。
「人の為に」
そう思う人と自分が大事だしショーのようなもので金を集めて募金とかふざけるなという人もいれば、金持ち自体が許せない!そんな人間が徐々に浮き彫りになってきているようにも見えます。
精神的に幸せか幸せでないか、たびたび災害時に現れる虚偽情報を出す人も後者でしょうし、この辺りも試されているんじゃないでしょうか。
そういう意味では天からの選別はこの辺りから、とも思えます。
仰る通りで、全ての事象に対して、言動の二極化が凄まじいなと思っています。
前にブログでステージ2(日本を一つにする)の段階では、国内が揺れると書きましたが、不思議とその通りになっているなと思っています。
地に足をつけていきたいですね。