【心して】支配の道具に使われるスピリチュアル

前から「宗教は支配者に都合良い世界をつくるための、支配の道具として使われ続けてきたよ」と書いていました。

第四章 支配のゲームから脱出する ~宗教思想によって起こっていること~

こういうことを書くと信仰そのものを否定しているように受け止められがちですが、そうではありません。

今目の前で起きていることに着目して、宗教やスピリチュアルが支配の道具であるとはどういう意味か知ってほしいなと思います。

では始めます。

山村先生の本にもやっぱり書かれてました。

先ほどの記事でも紹介した山村先生の本

ここにはこんな記載もありました。

「事実ではない」のに「事実である」と言い張り、一般の読者に「嘘も100回言えば本当になる」と言わんばかりの言説を喧伝することも多いのです。

実はこれは「印象操作」というキリスト教カトリックが始め、戦後GHQが日本人に徹底的に植え込んだ典型的な「洗脳」の手法と同じです。

相手を批判しながら、自分たちの組織や人がいかに優れているかを説き、仲間に加えていくというやり方です。

宗教が支配の道具である事を裏付ける一文です。

私は宗教や信仰そのものを否定することはないのですが、そこにひっそりと隠されている「洗脳」や「支配」の構図に気が付かずに鵜呑みにすることは、大変危険だなと常々思っています。

日本人が宗教を敬遠するのは、言葉にしなくともそこに「洗脳」や「支配」を感じる構図があるからでしょう。

↓参考記事↓

【どうして?】宗教にはまると不幸せになるの?

しかしスピリチュアルはなぜか敬遠されずに素直に受け取られているように思います。

それは、そもそもスピリチュアルというものが、日本的信仰が逆輸入されて帰ってきただけということが要因の一つに挙げられます。

レクサスな会話が多い、スピリチュアルからそろそろ抜けよう♪

宗教と聞くとやや敬遠しがちな対応ができるのに、スピリチュアルは日本人に馴染みやすい信仰がベースであったため、多くの日本人に受け入れられました。

しかし、スピリチュアルな場でも、結局宗教が支配の道具化されていったのと同じ事が今目の前で起きているのですよね。

スピリチュアルを支配ツールに変換する教祖さま

スピリチュアルという分野には、様々な教義がありますよね。

そもそも神道をベースとした信仰なのですから、教義など必要ないようにも思いますが、日本的信仰とはいえ西洋からやってきたものなので教義ベースになってしまう面は否めないでしょうし、すっかり西欧主義に馴染んだ私たちは教義があった方が馴染みやすくなってしまう一面もあると言えるでしょう。

ただし、西洋から真理が届けられたとしても、それを媒介する教祖さまたちによって解釈が大きく変化していきますよね。

ここ数年ブームとなっている引き寄せの法則なんてまさにその象徴と言えるものでしょう。

そして、この引き寄せの法則を真理から逸脱して、自己都合良く書き換えて利用している教祖さまたちが沢山いますよね。

結果は分かりやすく、多くの人たちは、教祖に従ったがために不幸になっているでしょう。

教祖さまたちはそれは私のせいじゃないと言いますが、山村先生の言葉を借りれば

彼らは常に何かを「啓蒙」し続けなければなりません。

「啓蒙なきところにスピリチュアルなし」だからです。

啓蒙のために人を導いてさせいれば、たとえ間違っていようが、人の道を誤らせていようが関係ないのです。

こういうことになるでしょう。(文章の原文の「リベラル」の部分を「スピリチュアル」に書き換えました。)

本来のスピリチュアルは、日本的信仰が海外輸入されて帰ってきただけなので、単純に神道なのです。だから、本来啓蒙という活動は必要ないのに、「嘘も100回言えば本当になる」と言わんばかりの言説を喧伝することで、「事実ではない」のに「事実である」ことにしています。

真理というものは素晴らしいもので、それは大変大切にするべきものだと思いますが、結局この真理に群がっていった人によって、その真理がおかしくなっていくのですね。

結局、偽スピ教祖さまたちが行っていることは、時の支配者たちがキリストの言葉などを自分に都合良く書き換えたことと同じ事をしているのですね。

だからこそ、宗教は支配の道具になっていったのです。

同じように、スピリチュアルというものも今目の前で、千年以上も前の歴史と同じ事が我欲の強い教祖さまたちによって行われています。

ここに気がついて、宗教やスピリチュアルと付き合うことってとっても大事だなって思います。

宗教が支配の道具だったというと、大変残念な気持ちになる人も多いでしょうが、今目の前で起こっていることがかつての時代でも行われいただけと分かれば、このような情報の抵抗感も薄れるのではないでしょうか。

どうぞ、心して付き合っていきましょう。

 

追記:

今週は暇だったので、一杯書きました(笑)

来週からちゃんと仕事するので、更新が減ると思いますが、どうぞこれからも宜しくお願い致します♪

 

今日のリンク集

第四章 支配のゲームから脱出する ~宗教思想によって起こっていること~

【どうして?】宗教にはまると不幸せになるの?

レクサスな会話が多い、スピリチュアルからそろそろ抜けよう♪

4 件のコメント

  • 最近バンバン記事がUPされていたので、なんかスゴいペースだなと思ってました(笑)

    そして一昨日の記事、まさかの滝沢泰平さんご本人登場でビックリ!

    滝沢さんがコメント投稿された意図がイマイチわかりませんが。。

    紫紺大さんの件について本当に今まで実態を把握していなかったのでしたら、これ以上被害者を出さないためにも、早急に事実を確認して話し合いが必要となりそうですね。

    無事に問題解決へと至ることを願います。

    (ちなみに紫紺大さんには昔ギャラリーへ行った際に偶然お会したことがあります。高級ソファーに葉巻煙草がやたらと似合う伯父様でした(^^;;)

    また自分も八ヶ岳エリアに住んでいますので、周りには滝沢さんのブログに多大な影響を受けている人が相当数いることをよく知っています。(天下泰平ブログがキッカケで八ヶ岳に移住してくる方も少なくありません。)

    でもビジネスであるとはいっても、スピリチュアルを利用して恐怖心や特別意識、我良しの我欲を煽ることは、それなりのカルマを背負うことになるように思えてなりません。

    ある意味、精神的弱者から搾取していますし、精神世界に関心がある人ってそもそも心の傷とか深い人が多いですが、反対に搾取する側の人間も闇が深く危険な人が多くて、有名であれば紹介するのも大きな責任を伴うと思います。

    泰平さん、決して悪い人ではなくてむしろ良い人な印象なんですが、スピリチュアルかビジネスか、どっちか一本を取ってほしいです。

    もちろん、偽スピじゃ困りますが(笑)、このまま不動産のビジネスマンで上手くいくんじゃないですかね(^-^;

    • こんにちは♪♪コメントありがとう。
      今思えば、読者を八ヶ岳に呼び込んで不動産を売るっていうビジネススキームって、ある種賢いかもね。
      最近脱スピとかご本人が仰ってるのも、結局スピリチュアルでは生計が立てられず、不動産で儲けたいという意思表示なのかな。

      ちなみに滝沢さんが直接連絡してきたのは、「焦りと威嚇」なんだろうなって私は思ってます。
      それから、初めてブログを見たときから、この人の責任感のない空々しい感じがイラッとするなぁと思っていたけれど、ブログに頂いたコメントもFBのメッセンジャーに頂いたコメントも同様の天下一品の空々しさを感じて、やっぱり私が常々感じていた印象と同じ人なんだなって思いました。

      責任感の強い人であれば、やっぱりこーいう商売はできないだろうなって思います。それから精神世界と向き合っているのに、どうしてこうも彼らは自らカルマを背負い込むようなことをするのか、私も不思議なのですが、そもそも根付く意志というものを持ち合わせていないからなのかなって推察してます。

      それでは、今日も楽しく生きていきましょう♪

  • いつも楽しく勉強になる記事有難う御座います。

    まったく同感です。

    宗教をする、しないに関わらず、宗教のそういう経緯、歴史があったということを理解することは非常に大切だと思います。

    • こちらこそいつもお読みくださりありがとうございます。
      抑える所を抑えていないと現実が見えなくなりますものね。大事なことですよね。
      共感してくださり嬉しく思います。ありがとうございます。

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