昨日もこちらの記事でお伝えした山村明義先生の本の話。
今日は視点を変えて、「スピリチュアルに没頭する人とリベラルの共通点」を山村先生の本から拾ってみたいと思います。
先にお伝えしておいた方が良いなと思うのが、リベラル(自由主義)という言語について。
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リベラルという言葉は、スピリチュアルという言葉と同様に、かなり大ざっぱで広い領域を示す言葉になりつつあります。
というのも、所謂リベラルな方々が、本来の意味をはき違えた言動を繰り返すがために、本来の意味を持ち合わせないほど、明後日な方向に突進しているのがリベラルの実情です。
山村先生は、一般的に世の中で言われているリベラル(左派系、パヨク系)の意味に準じて言葉を使われています。
私がブログの中でリベラルを使う時、できるだけ本質的な意味合いで使いたいと思っているので、政治思想においては中道である時にリベラルという言葉を用いるようにしています。
↓参考記事↓
つまり山村先生のリベラルは左派系を示しており、私が使うリベラルは中道を指します。
どちらが正しくてどちらが間違っているということはなく、言葉の使い方の違いという風に考えてもらえれば良いかなと思います。
スピリチュアルと言っても、使う人によってその定義が大きく異なってしまう現代と同様にね。
ということで、ここでは山村先生のリベラル(左派)という意味で使いますので、混乱しないようにしてくださいね。
私は以前より、リベラル(左派系)の人たちとスピリチュアル(偽)の人たちは、とても言動パターンが似ているとお伝えしてきました。
私の場合、その根拠となるのは波動領域帯とそれに伴う我欲指数です。
山村先生は、政治的思想にある背景(歴史・宗教)を軸にリベラルな人の行動パターンを書いてくださいましたが、これがやっぱり驚く程スピリチュアル(偽)な人々とそっくりな言動パターンだったんですよね。
本当に驚いちゃいました。
だから、スピリチュアル(偽)の人々とそっくりだなぁと思う部分に付箋をはりましたので、該当しているなぁと思う部分を引用させて頂きますね。
ここからどっさり、山村先生の本からそっくりだなと箇所を引用致します。先生の本から引用させて頂いた内容は、全て太文字にしています。
●リベラルの人たちの持つ特性としては、自ら言っていることと、やっていることが明らかに違う、という「二重基準性」があります。
●自分の言動に責任を持たず、自分の足元に気がつかないのが「リベラリスト」
●思想的な「左翼」や、「平等主義」あるいは「寛容主義」的な「リベラル」を標榜する人たちは、「中立」を謳いながら気に入らない相手を攻撃したり、批判したりするのです。
●「事実ではない」のに「事実である」と言い張り、一般の読者に「嘘も100回言えば本当になる」と言わんばかりの言説を喧伝することも多いのです。
●日本でも世界でも「リベラル」という思想は、自分に都合良く使いすぎて完全に矛盾を起こしているか、どう考えても「歪んでしまっている」としか思えないのです。
●「自由」と「平等」を両立させるのは、難しいどころか、もともとまったく不可能に近いアクロバティックな思想だということを現わしています。
●欧米社会のリベラル派が「平等主義」と「民主主義」とをはき違えてしまい、アメリカの「自由主義」は、国内のリベラル勢力によって、いまや世界各国は閉塞感ばかりの「平等主義」へと移行し、それが自らの国家の首を絞めてきました。
●もう一度整理してみると、「リベラル思想」とは、「自由」のほかに「平等」「博愛(友愛)」「公正」「正義」「平和」といった実に多くの思想概念で成り立っています。この全ての理想を人類が実現すれば素晴らしい、という理想的な映像をみせられたのが、私は民主党政権の姿だと思います。
●実はマルクス主義を信奉した左翼主義者の常套手段として、「事実をひっくり返して見せる」という手法があります。たとえば、「安保関連法=戦争法」などと呼ぶのもその一つです。
●建前では「命を救う」「命を守る」と言いながら、有事や緊急事態に思考停止となるのがリベラルです。だとすれば、「リベラル」とは、究極的に「日本人にとって百害あって一利なしの思想である」ということになります。
●「要するに、彼らは一貫して、自分たちの今までの主張を整理したり、どこが間違っていたかを分析したりしない。一切の責任を取りません」(本文に出てきた石平氏の言葉)
●彼らは常に何かを「啓蒙」し続けなければなりません。「啓蒙なきところにリベラルなし」だからです。啓蒙のために人を導いてさせいれば、たとえ間違っていようが、人の道を誤らせていようが関係ないのです。
●しかし、これは明らかに論理矛盾です。リベラル派が標榜している「多文化主義」や「他民族主義」という思想が、いつの間にか統一された「世界市民」になっているわけですから、リベラル派自身がどこかおかしいと感じなければならないはずです。
●彼らの大きな論理矛盾の一つは、「あらゆる民族や文化の同化を認めない」と言いながら、実は同化を認めているところです。
びっくりするほど似ていると思いませんか?
ちなみに私は波動を中心に見てきたので、彼らの矛盾は波動で括れば理解できると思っていたのですが、言論界ではそうではなかったようです。
国内外問わず、リベラルの言動は、なぜ常に巨大なブーメランになって返ってくるのでしょうか。それはこれまで、日本の政治や言論マスコミにとっても大きな謎でした。
大きな謎だったのですね。
もっと波動の情報が浸透するようになれば、不可解極まりないことがもっと理解しやすくなるかもしれませんね。
ちなみに既に皆さんもご存じの通り、現在リベラル思想は嫌われる傾向にあります。
先生もこう書いています。
それでは、どういう事情で、このようにリベラルとは、いま多くの日本人の「不快感」を催してしまうのでしょう。それは、一つにはリベラルが「流行」取り遅れているからです。
そうなのです。単純に流行遅れなのです。世界のトレンドは地球平等から自国を守ることにシフトしています。
戦後教育によって国という存在が形骸化してしまった日本でもトレンドは愛国に移り、日本を再発掘していく方が受け入られる時代になっています。
だからこそ、スピリチュアルな方々も神社や龍神など、日本の神々を軸に新たな金儲けを始められておられますが、彼らのやっていることが神道と決定的に違うと思わされる部分はここです。
日本と日本人の考え方の基本にある「神道」が世界中で受けているわけです。しかし、リベラルな人の考え方は、これとは異なります。人はあくまで「個人」であり、それぞれ「人権」を持った「他人」です。さらに人と人はあくまで「平等」であり、つながったり、結ばれたりすることにはあまり価値を見いだしません。
神道という場においても、個人を主張した価値観で通すのですから、おかしくなって当然ですよね。
是非興味を持った方は、山村先生の本を読んでね。
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超面白いよ♪
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