ちょっと自分の事を書きたい気持ちに駆られましたので、思うがままに書こうと思います。
七年前に、不思議なことが再び起きてしまってから、これこそが私が生まれてきた理由だったのではないかと思うようになった。
こんな事を書くためにブログを始めたわけじゃないけど、こんな事になって良かったと思ってる。その①
【私の場合③】不思議な体験を何度も重ねた後に、ようやくガチでどうしようもないのが降りてくるwwww
だから、今まで培ってきた常識やプライドをかなぐり捨てて、私は私が使命だと思い込んだ道に邁進することばかりを実践してきた。
私は自分が思い込んだ使命とさだめを、ただただ盲信して邁進していたら、七年もの月日が、気がついたら経過してしまっていた。
あの使命を受け入れると決意した時に、七年が経過しても、同じ道の最中にいるとは思いもしなかった。
もしもあの時に、このさだめを引き受けたら、七年後も同じ道の中で右往左往しながら、生き続けていると知らされていたのなら、飽きっぽい私は受け入れることすらしなかっただろう。
私は、その時知らされた役目が約1年半で方が付くと思い込んでいたからこそ、引き受けたにすぎない。
でも、一年半だけの道のりと思っていた使命は、一年半の道のりでは全く方が付くものではなく、気がついたら七年もの月日が経過していた。
あの頃の私と今の自分の心持ちは1260°くらい違う。ぐるぐる回って3周半して、結局、やっぱりあの頃の自分と今の自分は正反対に違うと思う心の持ちの中で生きている。
だけれども、現実的な社会的側面で見た時に、私に大きな変化があったかといったら、そんなにない。
唯一あったことと言えば、やたら自分のブログが人に見られるようになったくらいで、それ以外に変わりは無い。
そして、その数字が増えたからと言って、私の日常の生活における変化はやっぱりない。
一昨年から去年の今時期くらいまで、ヒプノセラピーの効能性に気がついて、やたら潜在意識を勉強していたことがあった。
その時、セラピストの先生に「未来のために今自分を変化させるべきものは?」と聞かれたことがある。
私は、「何も変わらないし、変えれない。ただ人が私を見る目が変わるだけだ」と答えて、先生はやたらびっくりしたことが印象として残っている。
十五年流行を眺めなくてはならない仕事をしていて私が痛感していたことは、その人は変わらないのに、社会の流行廃りによってその人を見る世の中の目が、著しく変化してしまうということだった。
本人は何も変わっていないのに、ある日突然持ち上げられるような世の中に変化することもある。一方で、本人は何も変わっていないのに、ある日社会がその人を拒絶することもある。
どちらに転んだとしても、その環境に溺れた人は、もれなく不遇に見舞われることも沢山見てきた。
私は、波動の事を広めると決めたからには、自分も有名になる必要があると去年くらいから思うようになって、社会的変化してしまう可能性を敢えて受け入れるようになった。
だからこそ、「変わらない」ようにしようと、敢えて思うようになった。
社会環境によって自分を見る人の目が変わるようなことがあったとしても、まずは自分が淡々としていることが大事だと、あの頃の観察によって痛感していたからだ。
さらに、有名になるとかの未来は、自分を変えなくとも、社会が自分の考えについてくるような環境下におかれた瞬間に変化することを、私は随分前から気がついていた。
それがいつ訪れるかは誰も分からない。
だけれども、その心持ちの準備が必要なのは、多くのタレントさんと触れあったことによって痛感している。
結局、前の会社での経験のおかげで、冷静に対処できる心持ちが与えられているのはありがたい。
「私は変わらない、周りの目が変わるだけ」
あの時、ヒプノの先生に伝えた言葉は間違いとないと実感している。
私の社会的現実は、七年前とほとんど変わることがない。だけれども、内面の変化は素晴らしく、私は今の自分の現実に不安も不遇感も持ち合わせていない。
前に後輩に会った時、「今の収入は以前の5分の1あるかないか」と伝えたら、後輩たちはびっくりするほど驚いていた。さらに、その現状を苦ともしていない私の存在に驚いてた。
昔の私があの場にいたら、やっぱり同じように驚いていたと思う。
でも、不思議なことに、誰に認められるのか分からないことをただひたすらに探求している時間は、私にとってこの上なく、社会で認められるかどうか以上に幸福な時間であることは間違いない。
何も変わらなくとも穏やかだし、周囲の私に対する目が変わったとしても、私が変わる必要性があるとは、やはり思えない。
そうは言いながらも私は自然と変化していく、それは7年前と今を比べたら1260°は違うと思えるくらいに。
でも根本的には変われないし、変えれない。
それで良いと思ってる。
いいや、それが良いと思ってる。
人は自然に変わる。でも軸は変われないし、軸を失ったら飲み込まれるだけだと思うから。
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「私は変わらない、周りの目が変わるだけ」
僕は、ずっと自分が変わらないといけないという恐怖観念に縛られていたような気がしています。
自分がこうなったのは自分の責任と思い、自分のことを責めすぎて、心がどんどん空っぽになりました。
感情を感じなくなり、良い悪いという判断もまともにできなくなりました。
あのときああしていれば僕はこうなっていないという思いの中で今を生きられなくなってます。
生きることが辛すぎて、死を切望して生きるという本末転倒な人生になってます(笑)
潜在意識だのスピリチュアルだのにハマり、何一つ変わらないのに意味もなく高額な講座にただお金を払うだけになったことも多々あります(._.)
その時も自分が教わった通りのことをできなかったから、変わることができなかったとより自分のことを責めてしまっています。
なぜ変わらないといけないという恐怖観念に縛られていたのでしょうか?
変わらないといけないということそのものが間違っていたことに気づいてしまったときから、何のためにこの長い時間をムダに過ごしてきたんだという強烈な後悔から抜けられなくなっています。
長々とコメントしてしまい、申し訳ありません。
コメント欄を汚してしまっているなら、削除してください。
いつもブログの更新楽しみにしています。
コメントありがとうございます。
現代人の多くは幼少期から「外界の変化によって、自分が変わる」という思想を与えられ続けられています。
あなたと同じように変えようとしながらも変えられない悩みを抱えた結果、不幸のループから逃れられなくなっている人は多くいるようにいますので、どうか自分を責めすぎないでください。
人とは変わろうとして、変わるものではなく、経験を積み重ねることによって、自分が気がつかぬうちに変化しているものだと思います。
どうか自分を責めることなく、今日一日をどうしたら笑顔で過ごせるのか、そこに焦点を当てて、日常生活を工夫してみてください。
大丈夫、大丈夫。
一日を笑顔で過ごす工夫をしていくうちに、その後悔は近い場所にある感覚ではなくなるはずだと思います。
大丈夫、大丈夫。
応援しています。
私も長年勤めた、安定した仕事を自らリタイヤして
この世界に入りました。。。いや入ってそれを追求し続けていたら
ウソと建前と出世と人を蹴落とす事、ちょっとでもミスしたら
や~いや~い、ば~か!と貶め落ち込ませるような風潮と。
もう本音でしか生きられない、と感じて、退職しました。
現在は収入は激減ですが(笑)でも毎日が楽しい。
(因みに現在も勤めている同級生からの情報によると、
こいつと話すとバカが移る、とか言ってた方々は、脳腫瘍・肺がん等を
患い、大変な思いをしていたようです)
彼らにとって、私はサンドバッグだったんでしょう。
人柱にして貶めることで、優越感と、自身の価値が高まったような
感覚になったのかも。
犯罪と人に迷惑かける行為だけはしませんが
当時生きていた世界と、星一つ違ったような現在の暮らし。
人に何かを伝え続けていくには、有名になるという手段も必要だと
私も肯定いたします。
書いても、読んでもらえなかったら、馬の耳に念仏の前に
念仏唱えても、馬もいない、ですから。
(わ、私も頑張ります、苦笑)
ゆりさん、楽しんで生きていきましょう^^
それはそれは、本当にお疲れ様でした。そういう場所を離れるって大事ですよね。気がつかれて良かったです。
一緒に働いていた川嶋あいちゃん(歌手)が十代の頃書いた本の中に、こんな言葉があるんです。
「有名になりたいとは思わないのだけれども、歌を聴いてもらうためには有名になる必要もある」(要約)
当時はあいの本音がまだよく分からず、建前かなとも思ったりしてたのですが、今はよく分かるなぁって思います。
十歳も年下の女の子に沢山のことを教えてもらって良かったなぁと、最近つくづく思います。
お互い楽しみながら頑張っていきましょう(^_^)
竹久さん、初めまして、ちーたんと申します。
最近(まだ、全て読み終えてはいませんが)竹久さんの記事を読ませてもらうようになり、
「自分で考える」という原点に戻れた気がして、何故だか気持ちが軽やかになれました。
ありがとうございます(*^^*)
ブログ内をヒプノで検索したらこの頁がヒットしたのでおもわずコメントさせてもらいました。
私は友人のすすめでヒプノセラピーを受けた事があります。
霊感も無い私には??な事が多く、悩みが解決した実感もなく10回のセラピーを終えました。
友人はセラピストになるために6年ほど前からセミナーやセラピーを受けています。
彼女には過去世において親友等と喧嘩別れをするカルマがあるらしく、その言葉に縛られてるように見える事があります。実際、数年前に親友と離縁後、更にヒプノに没頭するようになりました。
先日友人と会話したところ、本人は元親友を許せていると思ったのだが、セラピストの先生は潜在意識で許せていないという事でそのテーマのカウンセリングが続いているのだそう。
お金にも困ってる様子だったので心配の言葉を掛けると、更に勉強して心を鍛えるとの返答。
私はスピチュアルの勉強もしていない凡人で、低波動に属する人間かもしれないので、
友人と対話する事はもうないのかもしれないなぁ…と淋しく感じましたし、
同時に友人が「自分で考えてない?」いや、私が考えてない?と混乱した次第です。
竹久さんもヒプノを勉強されていたとの事なので、何か言葉を頂けると嬉しいです。
人生相談みたいですみません。気に障ったならば削除してください。
おはようございます。
コメントありがとうございます。
正直10回もセラピーを受けられていることに驚きました。
私は、1回のセラピーでほぼ全てを解決することができましたし、勉強のために通っていた時に行ったセッションの練習でさらに深いトラウマも外すことができました。
もちろん潜在意識の中にあるトラウマや悩みの種は一つではなくそれぞれ違います。そして、セッションではまさかこんな事が自分自身の心のつっかえになっているとは思いもしなかった内容を再体験する繰り返しをしましたし、またそのような内容の悩みの種をそれぞれ1回のセッションで取り外すことができました。
このような自分の経験をふまえて考えると、ちーたんさんやお友達が通われているサロンの技術力を疑わざるを得ません。
またお話しを聞いている限りだと、そちらのサロンではヒプノと言うと前世療法的な形で行われているように見えますが、トラウマを外すには年齢退行療法の方が効果的ですよ。っていうか、そっちじゃないと外せないんじゃないかなぁぁぁと思います。そちらのサロンでは年齢退行療法などは行われていますか?
またお友達は、ヒプノセラピーに依存してしまって本質的な目的の利用が分からなくなってしまっている状態になっているように思いました。どんなアイテムも現実逃避のアイテムとなってしまっては、無意味で不必要なトラブルを増やすだけですよね。
私は、ちーたんさんが素直に「セラピーを10回受けても悩みが解決した実感がない」と仰った事が考えている一つだと思いました。
自分ときちんと向き合っているから、考察できている証だと思います。
それでは今後とも宜しくお願い致します。