これからの時代を上手く生き抜くために、もう一つ知っておいた方がいいなと思う心得がありました。
書いておきます。
おとな塾を一緒にやらして頂いている理事の高山曜三先生とは、もうなんやかんやで15年くらいの付き合いになるのですが……
先生、むっかしから
「無限の可能性なんてないぞ!
目の前にある選択肢なんて常に多くて3つだぞ」
って言ってたの。
当時は私も若かったから、
おっさん夢がないわ~ヽ(;´ω`)ノ
とか
先生の人生だったから、そうだったんじゃないの?
とか思って、
私は絶対先生の言っている世界を超えてやろうって思って、ムキになって色々やってみたけれどさ。
そこから10年くらい格闘して見た結果、
「高山先生!これ事実でした。:゚(。ノω\。)゚・。 ウワァーン」
って気持ちになりましたよ(笑)
私たちは幼い頃から、
大きな夢を抱け
とか
夢は必ず叶う
とか
君たちには無限の可能性がある
とか
超西洋イズムの洗脳が植え付けられて、それを盲信しちゃってるから、結構な具合でみんな不幸を抱えてたり、ストレスを抱えていたり、劣等感に苛まれてしまっていると思う。
もっと言えば、
明治や大正、そして昭和の偉人のような大きな器になれないのも、この幻想によって起こされていると思うんだ。
私は幼い頃から今日に至るまで、やたら伝記好きです。
同じ人間として生まれた人が、どんな風に人生を捉え歩んだのか、その軌跡を一つの物語として噛みしめるのが好きです。
そして立派な人生を全うされた方々が残してくださった言葉を哲学とするのも好きです。
でも今を生きる私たちにはそれがとっても難しいんですよね。
やれたらいいのに、やりたいと思っているのに、でもできない。
そんな愚痴をひたすら書き続けていたこともあります。
引用しますね。
この間、名古屋の高島屋にある書店に行ったら、これみよがしに松下幸之助さんの著書「道をひらく」がてんこ盛りの平積みになっていました。
昭和43年に発売された本が、発売から45年以上経った今でも、その言葉色あせず、今を生き抜く人の灯火となっていることが、売上部数500万部の実績とてんこ盛りの平積みの事実から伺えました。
本屋に置かれたPOPには。
この時代を生きる女性にこそ読んでほしいと。
特に「道」を読んでほしいと。
書かれていました。
一瞬買って帰ろうかな~と、思ったけど、「図書館に行ったら置いてありそう。」と思ったので、一旦そこで買うのをやめて、後日図書館に出向いてみました。
43年当時の状態で、この貴重な本を保管し続けてくれていました。
ヴィンテージに宿る質感を味わいながら、改めて松下幸之助氏の言葉を噛み締めています。
図書館には他にも昭和の時代から残されている沢山の松下幸之助氏の本があったので、それも片っ端から借りてきて、今、彼の思いに触れているのですが、、、。
彼の思いを味わいながら、気づいた事があるのです。
「松下幸之助氏のように、みんながなれたら、こんな煩わしい世の中ではないはずなんだよなぁ」と。
彼の言葉は、すべて「然り」と言える、真理が散りばめられているのですが。
そして、その真理に背く生き方によって得てしまう不幸についての言及が散りばめられているのですが。
悲しいかな、、、時代は、松下幸之助氏が危機感を抱いた側の方へと流れていると思います。
松下幸之助氏の本を読んでいたら、昔読んだ手塚治虫が書いたこの本の事も思い出しました。
この本も同じく、未来を危惧する言葉が沢山書かれており、その言葉はある種の予言通りに近い動きを見せているのですが。。。。
松下幸之助氏も手塚治虫氏も俯瞰した状態から世の中を見ており、それ故に、その行動パターンにおける未来の方向性が手に取るように分かったからこそ、沢山のイマジネーションと言葉を書き残してくれたのだと思います。
ただ、結局のところ、私たちはその大師とも言える方々の言葉が分かっていながらも、、実行できないというもどかしさの中に生きているのではないかと、思うのです。
以下割愛
こんな風なモヤモヤする気持ち
やりたいけれど、できないっていう気持ち。
これは、どうしてなんだろうって、
うんとうんとう~んと悩んで編み出した答えが
選択肢が多すぎるという世の中にいるからだ!
だったの。
このことについて書いた記事↓
そして、その選択肢の多さの恩恵があるがゆえに、
与えられた現実をあるがままに受け止めることもできない
ということも問題だって気がついた。
よくよく考えてみたら、私たちには無限の可能性なんていつも転がっていないんだ。
人には必ず1つ2つだけ、周りの人よりも得意なことがあるけれど、だいたいみんなそんな程度。
だから、アイドルや歌手になる人は、もともとそういう運命の人なんだと割り切れば済む話なのに、
植え付けられた「無限の可能性」や「大きな夢を実現する努力」とかなどの洗脳によって、誰もが自分だってなれるのではないかという妄想を抱く。
そして無謀なチャレンジをして、勝手に傷つく。
さらに、勝手にそういう華やかなステージに立つ人だけが幸せなどという勘違いまでしていく。
色々現場見てきたけれど、華やかな場所はいつだって裏が超地味だよ。
だいたい憧れでやってくる人はイメージと違うってなって、すぐにいなくなるものだよ(笑)
それから、スポーツの世界なんて、やっぱり結局才能だから。
プロとしてまでやっていける人は、たまたまそういう才能に恵まれて生まれてきた上に、本人が努力に努力を重ねて生きているだけだから。
テレビではそういったスターばっかりを取り上げるから、どうしてもみんなそういう世界の住人になりたいって「無限の可能性」片手に頑張っちゃうけれど、
それが幻想
そしてよく考えてみたら、常に自分の目の前にある選択肢なんて1つとか2つとか、あっても3つくらいにしかないのに、現実に向き合えなくなっちゃって、
不幸だ不幸だって騒ぎ始めちゃうんだよね(笑)
そもそも幻想から始まった出来事に幸も不幸もないの
この感情こそが幻想
現代人は知らないうちに、
幻想(無限の可能性)×幻想(無謀なことにチャレンジして傷ついたりする感情)の現実によって
超幻想状態に入りやすいから、そこは気をつけよう(^_^)
私、人一倍頑張り屋だから(笑)高山先生の教え振り払って、さらに10年近く幻想屋しまくってみたけれど、気にしてやってみたら、本当に幻想だったよ(o^-‘)b
本気で無駄な時間を使うことになると思うから、私の失敗を糧にして、みんなもそろそろこの幻想から抜けだそう(笑)
そして、目の前に与えられたたった数個の選択肢ときちんとむきあって、そしてその選んだ選択肢に幸も不幸も感じずに、淡々と生きていけばいいだけだと思うよ。
そうするだけで、エゴが現れる機会や感情に振り回される機会が随分減って、
なんだこっちのが幸せじゃん!
私はなんて無駄なことをしていたんだ!
って思うようになると思うよ(笑)
そして、与えられた選択肢や現実に悪態つかず、真摯に向き合って一歩ずつ成長していけば、必ずその分野を通して、憧れていたはずの世界との接触が与えられるはずだよ(^_^)
まずは、無限の可能性なんていう幻想から抜け出そうね(^_^)
↓是非読んでね↓
↑啓蒙促進しています↑
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無限の可能性なんてない
すごく残念だけど、私も今はよく分かります。
子供の頃は漫画やゲームの主人公みたいに世界を救いたいと思ってたけど、現実はあまりにも闇が強くて、漫画やゲームのように何かを倒せば解決!とはいかないんですよね。
それでも自分にできることは?と考えていたのですけど。
進路にしたって、今になればああすればよかったこうすればよかったと知識があるけど、当時は調べ尽くした結果それでもその「こうすればいい」に辿り着けなくて、その時考えうる最善を選んで進んだんですよね。
そういう「何に出会うか」は今のネット社会においてもやっぱりあって、昔はどんなにがんばっても分からなかったことが、なぜか急にポンと解決につながる情報に出会ってやっと助かるとか。あるんですよね。
テレビCMで昔から見ていたはずなのに、急にその情報が情報として正しく頭に入ってきて理解できた!とかもあって、自分でどうして!?とビビりましたw
どういう情報にであうか、どういう環境にあるか、そういうのってやはりタイミングとか運命があるのかなぁと思います。
世界は広いようでいて、けっこう狭い。
世界みんな仲良し、とかも、理解し合えない人がいるなんて想像もしなかったゆえの夢でしたよね。
国ぐるみで身の丈を知った感じ。平和ボケという言葉が懐かしいです。アレは本当にボケてたんですなぁ。
現実を知らなかったですね…。
おはようございます。
そもそも寿命があり、空気と食物と水と適切な温度があって初めて生きることのできる人間に「無限の可能性がない」ことは当たり前すぎる話なのですが、幼い頃から「夢を抱き、無限に可能性がある」と教え込まれた私たちが、それを当たり前のことと受け入れるのは、苦行が伴いますよね(笑)
仰る通り他にも沢山の幻想が私たちには植え込まれており、まずはそれを外して等身大で現実を受け入れられるようにするのが大変なのですが、夢から覚めると、これまた仰る通り「ボケてたんだな」と思いますよね。
それではこれからも宜しくお願い致します。