あっこちゃんから
薦められた本「お稲荷さんと霊能者」を読んだら
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今まで不可解に思っていた稲荷神社のことが一気に理解できました。
なので今日は、自分の理解を促進させるためにお稲荷さんについての記事を書きます。
では始めます。
私は2011年から「いつの日も神社、時々たこ焼き」という神社備忘録ブログをやっていて、そのおかげで随分神社のことや古事記のことや神道のことに詳しくなることができました。
ただ、このブログを開設するずっとずっと前から、なんなら幼い頃からどうしても稲荷神社だけは苦手で避けてきました。
友達に「神社を100社回る」と言ったからには、稲荷神社も参拝しようと思っていたのですが、なぜだかどうしてもそれができませんでした。
でも早く100社回る目標を達成したいから、参拝はしないけれど神社の前までは来たので、カウントだけはしちゃうっていう独自ルールも作ってみたけれど、どうにもこうにも参拝できなかったんですよね。
カウントしてるけれど、参拝していない私の足跡(^_^;)
でも不思議なことに稲荷と名前がついていてもたまに大丈夫だなって思う場所もあって、そこは参拝することができました。
私が参拝できるかできないかの基準はものすごくシンプルで、神社に狐像が飾ってあるかどうかっていうだけの違いなのだけれども、私の中ではとても大きな波動の違いを感じていたの。
大きな神社であれば摂社に稲荷神社がだいたい祀ってあるのだけれども、どこにいってもそこだけは基本的に立ち入らないようにしていたの。摂社で稲荷神が祀られている場合、どこもすぐに稲荷だって分かるくらいの沢山の赤鳥居が並んでいるでしょ。苦手意識があるせいか、あそこだけ全く違う波動空間が生まれている感じがして、それで怖くて参拝とかできなかったんだよね。
細かな理由は分からないけれど、稲荷の常識が分からないなら近づかない方が無難っていう感覚があったかな。
その「よく分からないけれど、なんだか怖い」と感じていた理由
他の神社とは何かが違うと思っていた理由が
↓この本のおかげで一気に分かったの。
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分かった上で思うことは、あの頃私は理由が分からないなりに「稲荷を避けていた自分を褒めてあげたい」ってことです。
だって、やっぱり稲荷って他の神社とは別世界だったから♪♪♪
これから神社を回る人は是非参考にしてね!
日本は他国には類をみない多神教国家で、様々な神が様々な場所で祀られています。
キリスト教であれば、どこの教会に行っても崇めるのはイエスキリストですよね。日本には3万以上の教会があるそうですが、どこでも崇める存在は変わりません。
一方、日本に神社は約8万社ありますが、キリスト教と大きく違うのは、それぞれ違う神が祀られているということ。ご神体となるのは、人に限らず、自然や山や海なども含まれます。
ただし、それぞれの神社に祀られている主祭神は1柱であることが多く、主祭神が複数の場合ももちろんありますが多くても3柱程度でしょう。
そして、稲荷と聞けば多くは、狐が祀られていると思われると思いますし、私も「お稲荷さんと霊能者」を読むまでは勝手にそのように思い込んでいたのですが、そうではないんですね。
稲荷と言えば、神社の中の一つの系列という風に認識されている土壌があるからこそ、みんな理解がややこしくなっていると思うのですが、
稲荷信仰は「稲荷信仰という一つの宗教の形」が形成されていて、そして稲荷信仰自体がそもそも多神教なんです。
この本のおかげでここに気がつけた時、長年私の中にあったお稲荷さんという不可解な存在の謎が大きくほどけたように思いました。
現在の日本は、神仏分離の発想で明確に神社とお寺が括り分けられていますが、神社と言えどお寺っぽい神社もあるし、逆にお寺に行っても神社が祀られていたりして、綺麗に括り分けができない世界になっています。そのせいか、神社とお寺の違いが分からなくなってしまう日本人も沢山いるし、外国人に至っては、より分かりにくい世界となっています。
どうしてこうなっているかというと、江戸中期頃までの日本人の発想が神仏習合だったからです。
アニミズム性の強い日本独自の神道と海外由来である仏教が曖昧に入り交じった独自の信仰観念が長い時間をかけて確立されていたんですね。
しかし、そこに異変が起き始めるのが、古事記の存在です。
すっかり忘れられていた存在になって読むことができなかった古事記を本居宣長35年研究して、誰もが理解できるような状態に解読しました。
すると、神道(神社)と仏教(お寺)は別物だから、別にしようという動きが生まれるようになりました。
さらに明治時代になると国の政策として、神仏分離が推し進められるようになるので、今まで神仏習合だからこそ成り立っていたお寺や神社も、どちらかにはっきりと括り分けされるようになりました。
だから、どうしても曖昧さが残ってしまうし、神社とお寺の明確な違いが分からないという事が起きてしまいます。
そして稲荷信仰というのは、厳密にいうと神道ではない信仰なのですが、括り分けされた結果神道の立ち位置にあるため、これも混乱の一つになっていると思われます。
私はお稲荷さんのことが苦手ながら、できれば理解できるようになりたいと思った一番大きな理由には「伏見稲荷」の存在があります。
伏見稲荷は、全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社であることもあるのだけれども、もっと気になるのは空海の存在。
伏見稲荷を大きくして稲荷信仰の体系化させていったのは空海なの。
なんで空海が?ってなるよね?
ならないかな?wwww
とりあえず私はなんで空海?ってなったの。
だって空海と言えば密教でしょ?
でね、密教って調べれば調べるほど、呪術なの。もちろん良い意味で。
だからね、私の中では、空海は僧侶ではなく、魔法使いなの。
その魔法使いさんが、神道の中で唯一人為的な臭いが強い稲荷信仰というものを作り上げたんだろうっていう興味は沸くし、
お稲荷さんは苦手だけれども、空海は大好きだから、このギャップを何とかして埋めたいとは思ってたんだけれども、情報が無い上に苦手意識が強いからどうにもこうにもこのギャップが埋められずにいたんだけど、ようやく分かった!
稲荷信仰は密教の魔法を取り入れた信仰で、神道とは明確な括り分けをすべき信仰であったということ。
私は理由も分からず苦手意識だけが先行して、近寄らずに生きてきたけれど、中途半端に精神世界に興味があるような人はそうであるべきだなと本当にそう思いました。
稲荷信仰には、明確にその使い手ともらい手が必要で、氏神様のような扱い(ただ単に祈れば良い)をすると、手痛いしっぺ返しがあると思います。
なぜなら、稲荷信仰は眷属神を多用するからです。
空海の呪術がどんなものを利用してやっているのかがいまいちずっと分からなかったのだけれども、空海の呪術は稲荷信仰で多用されている眷属神を利用したものが非常に多かったのではないかと今は思います。
そして、稲荷信仰の場合、気を許すと低俗な霊に振り回されるため、そんじょそこらの霊能者であってはダメなのです。
素養として霊能力がある上に、精神性の高さと自身のシャーマニック性を磨き続ける根性が必要となります。
なぜ空海があんな荒行ばかりをしていたのか、ようやく分かってきました。
空海は荒行によって、より崇高なシャーマニック性の開花を求めていたのですね。そのシャーマニック性によって、人々を救済しようとしていたのですね。
このような精神性の高い霊能者の影の役目があるからこそ稲荷信仰には意味があり、信者の悩みを解決したり現世御利益とも言えるものを手にすることができます。
でも、その使い手となる精神性の高い霊能者は現代の温室育ちの中では育まれにくく、さらに敗戦を受けた日本人の多くは稲荷信仰の本当の意味をみんなすっかり忘れています。
我欲にまみれた自己実現のための御利益を頂戴せよと言わんばかりの行動をしている中では、眷属界の制御はどうにもこうにも緩みがちというか、おかしくなっても仕方がないような気がします。
稲荷信仰の本当の意味を理解している精神性の高い霊能者の元で御利益を求める場合は問題ないと思いますが、
そういった存在なしに、ただただ自己利益を望む願い事だけを稲荷神社でするのは危険だろうなと私は思います。
さらにもっと危険なのは、シャーマニック性が開花してしまったばかりで高い精神性を携えていない人が、独学で稲荷信仰に傾倒してしまうことだと思います。
シャーマニック性を開花した時に、既に高い精神性を携えている人はまずいません。だから、シャーマニック性が突然開花しても、繋がれる意識というのは決して高い訳ではないということ。
参考になりそうな記事
第三章 波動の特性を理解する ~波動を下げないようにする方法②見えない世界編~
そして稲荷信仰というのは、眷属神を多用した信仰だから、それが分からぬまま稲荷信仰にどっぷりはまれば、もちろん仲間になるのは低俗な眷属神ということになる。
神に高級も低級もないだろうと、見えない世界に詳しくない人は思うだろうけれど、調べれば調べるほど全然そんなことはない。
同じ人間でも徳の高い人と低い人がどうしても生まれてしまうように、神様と言えど高級と低級はどうしても生まれてしまうんだよね。
しかも眷属とは神の遣いの役目をする神様見習いとも言える存在たちだから、稲荷信仰をするためには、神様の思いと心を通じ合わせ、その上で眷属神を扱う必要が出てくる。だから、間に入る霊能者には高い精神性が求められるというわけ。
でも、それが分からない人が単純に稲荷信仰に走っちゃうから、低級な眷属神たちの良いカモにされちゃうんだよね。(´д`lll) 。
ちなみに、低級な眷属神の好物は「我欲」です。
稲荷信仰と本気で向き合う覚悟もなしに、自己利益のために稲荷信仰に傾倒していく人は、低級な眷属神のために世の中の我欲が増大する手伝いをさせられているに過ぎない状態に陥っていきます。
稲荷信仰も根本的には神道の哲学的原理は含んでいるのですが、信仰の中にある魔法の扱い方が、他の神道と違って、確実に複雑です。
昔から、稲荷信仰したらずっと信仰し続けなくてはならないから、安易に近寄るなと言っていた意味がよく分かってきました。
稲荷さんにお願いしたら、現世御利益がもらえるなんて甘い期待は危険ですよ☆
記事の最初の方に稲荷なのに拝むことができた場所とそうでない場所があったっていうのを書いたのだけれども、その理由が大分分かってきました。
稲荷は多神教だから、色んな神様がいらっしゃるの。
眷属系の神様もいれば、不動明王のような仏様もいる、それに自然霊や人霊もいる。
だから、私の場合は眷属以外の神様を祀っている稲荷信仰の神社はすんなり入ることができたんじゃないかなって今は思うし、それで良かったって思ってる。
稲荷信仰は高い精神性とそこに向き合う覚悟のある人でなければダメだから、たまたま深入りせずにここまで来て私は良かったと思ってる。
ただ、これからはより広い範囲での精神世界を探求させて頂く為に、稲荷信仰についても研究させて頂こうと思っています。
稲荷の神々様どうぞこれから宜しくお願い致します。
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「お稲荷さんと霊能者」。自営業をしている友人が、一族揃って
伏見稲荷信仰をしている点について知りたく、読みました。
「安易にお稲荷様に頼みごとをするのは怖い」という
ゆりさんと同じ思いがあったからです。
オダイ砂澤さんの壮絶な生き方。
そして、自身に厳しく向き合い、あの巨大な敷地をくまなく歩き
お塚をなさり、滝行をしたというくだりは、<信仰>という
太い軸を持って無ければ、向き合えないという事だよね、と思いました。
友人は、稲荷の周辺に点在している滝場の一つで
参拝の度、行をしていました。
私が入る滝とは違って、昼なお暗い、何かが潜んでいるような
場所でした。
友人は仏教徒だから平気だったのかなぁ。
私はついていくだけで、大概体調を崩しましたが。
で。
友人一族が恩恵を受けているのかどうか、は
よくは判りませんでした。何故なら年々借金の金額が
増えているということでしたから。
変な表現ですが、信仰のベクトルの向きが違っているような、
または欲が多いというのかもしれません。
こういう本もあるんだから読んでみたら?と言っても
砂澤さんのことは知っているようなのですが
面倒だからいいわ、きさ読んで内容だけ教えて、だそうで。
地道な努力は好きではないようです。
私には、友人の伏見詣では、外国から
<Great!>と千本鳥居見に来て喜んでいる旅行者と
あまり違っては見えませんでした。
すごいもう読んでくださったのですね。
稲荷信仰にも合う人と合わない人がいると思うんです。
きっときささんとか私はどうしても合わないかなって思います(笑)
ご友人にはオダイがいらっしゃるのでしょうか。
私はあの本を読んで、信仰するならオダイのような方がいないと、よっぽど稲荷信仰は難しいような気がしました。
それにしても有事という時代ですから、自分の利益ばかりを求める時代ははっきりと終わりを告げてしまったように思います。
国家神道こそ神道じゃないぞ。
廃仏毀釈では寺より神社が多く潰され、古くて各の高い神社も潰されてる。
三柱程度なのは天村系に入れ替えられてるので同じような特徴の無い神社だらけになった。
今由緒あると思ってる所が偽者なんて珍しくもないです。
正直「波動」で判断するより地形や地質、古地図から類推する方が確実。
私は水の波動を感知できますが、独鈷水探してたら地下の水タンクだったというオチ有り。
狐じゃないお稲荷さんは巳ィサンが殆ど、例外的にかわうそじみたよくわからん獣型等も居る。
現世利益だけでなく「波動を上げよう」とかやたらガッつく人と相性の悪い稲荷は多い。
限られたリソースで即座に目に見える結果を出すなら何かを犠牲にする方法をとらざるを得ない。
結果として大怪我して保険金が入るとか体が動かなくなる一方で感覚が研ぎ澄まされるとか。
稲荷は真面目なんでこういう手段とってでも願いに応える。
お読みくださりありがとうございます☆
貴重なご意見をありがとうございます。
初めまして。
私の近所に宝徳山稲荷大社(ほうとくさんいなりたいしゃ)があります。
http://www.houtoku.or.jp/lineage/gosaishin/
上記の祭神は
「天照白菊宝徳稲荷大神(あまてらすしらぎくほうとくいなりおおかみ)」
「日本古峰大神(やまとふるみねのおおかみ)」
「八意思兼大神(やこころおもいかねのおおかみ)」
の3柱神です。
伊勢神宮を表とすれば、裏伊勢神宮が天照女神(白菊さんは女神)を祀る
日本最古の神社。
縄文時代に殷帝大王が物部美万玉女尊に命じて瓊名の里に日の宮のみやしろ
(現・奥の宮)を建てたのが創建と伝えられています。平安時代から何度も
遷座し、文政年間(1818~1831年)に現在の地へ遷座したと言われています。
毎年11月3日の0時に天の岩戸が開かれて、「幽世の神々の岩磐(いわくら)」
「常立の神の岩磐(いわくら)」「神のお遊び」「御息所(みやすところ)」
として全国の1,500万の神々が降臨。
神在月に出雲に八百万の神がお集まりになる際に、ここ宝徳山稲荷大社で
1度お休みに立ち寄られ、神社では奥宮にて数万本のロウソクを灯して、
その神々をお迎えするロウソクの灯りに照らされた夜空に神々を先導する
火の鳥が現れるほ不思議な現象を見れます。
稲荷でも色々なタイプがあり、自宅から近いのもあって時々足を運びます。
すごく素敵な情報を教えてくださりありがとうございます。
稲荷信仰というものは、空海以前の時代にはないものだと勝手に思い込んでいました。
開眼に繋がる貴重な情報をお寄せくださり、心より感謝致します。
伊勢から出雲に行く方が近いように見えて、一度新潟に立ち寄られるんですね。
このことも初めて知ったので、驚きました。
教えてくださり、本当にありがとうございます!
これからも宜しくお願い致します。
竹久様
こんばんは。
稲荷神社は、
「願い事をして叶ったら、供物を持ってきてきちんとお礼をしないとバチが当たるから、無闇に頼み事はしないほうがいい」
と言われたことがあるので、あまりお参りしません。
竹久様同様、足が向きませんでした。
このブログで理由が分かりました。
本も読んでみようと思います。
こんばんは。
「お稲荷さんと霊能者」は知らないことが沢山書いてあるはずなのでお勧めです。
ぜひ読んでみてください。
これからも宜しくお願い致します。
おはようございます。
早速買って読みました。
著者の内藤さんが聞いたまま、見たままの事が書いてあり、とても分かりやすかったです。
私自身も経験してきた中で分からなかった事の答えが本の中に書いてあったので、とても参考になりました。
本を読んで、思い出したことがあります。
私が子供の頃、祈祷師さんがいたそうです。(もちろん、今はいません)
砂澤さんのように困りごと、相談事に応じていたそうです。
親戚の子供がはしかにかかったとき、その子の服を持っていき、「助けて下さい」とお願いしたそうです。
祈祷してくれたそうですが、祈祷師は服を触りながら「だめだ~だめだ~」と言ったそうです。
その言葉の翌日、その子は息を引き取ったとのこと。
その祈祷師がオダイ様かどうかは分かりませんが、ひょっとしたら、昔はお代様がもっといて、人と神様をつないでいたのかな?と思いました。
また、お金の事もなるほどと思いました。
有名なスピリチュアルセミナーはびっくりするほど高額。
砂澤さんは、お供物と祈祷が引き換え。(またはお気持ち)
それが本来なのかなと思いました。
スピリチュアルの人達は、人助けよりもお金儲けをしてるように感じてなりません。
人のために尽くした砂澤さんには本当に頭が上がりません。
そういう人がいた事、お代様を知り得た事、とても貴重でした。
ありがとうございました。
おはようございます。
ご紹介した本が参考になったと知り、素直に嬉しいです。
砂澤さんのような人が昔はきっと沢山いたんでしょうね。
そしてこのような役目を背負われた方が影で見えない世界を繋いでくれてた功績は大きかったものと思います。
今はそれがすっかり忘れさらり、海外輸入のメソッドで金儲けに邁進するのが当り前になってしまっていますが、見えない世界を学べば学ぶほど、彼らは(信者含めて)とんでもないカルマを自ら作っているように見えて、不憫でなりません。
それでは今後とも宜しくお願い致します。
昔、奈良の薬師寺にお詣りした時
門前にお稲荷さんがお祀りしてあったのですが
無視して通り過ぎたら背後に鋭い視線を感じて
咄嗟に振り向くと狛狐(?)さんと目が合いました(笑)
おそらく門番的な役割だと思われますが
利益信仰でないお稲荷さんもいらっしゃるようです。
へぇぇぇ!!!!すごい!!っていうか、怖いというか……でもちょっと分かります。
狛狐(?)さんの霊気というか、なんというか、鋭い視線というか……。
咄嗟に振り向いてしまうほど、なんか出してるんですよね。
そうそう本来は五穀豊穣を祈るためのものなので、利益信仰ではないお稲荷さんの方が多いはずなんですが……今は利益信仰になってしまいましたね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
無知だった頃に安易に訪れた鎌倉佐助稲荷さんに参拝しています。
お稲荷様は信仰し続けないといけないということすら知りませんでした。
わたしは低級霊?につかれてるのでしょうか
こんにちは。
私は霊能者ではないので、あなたに低級霊がついているかどうかは分かりません。
深入りしてなければ大丈夫だと思いますけど。
それでは失礼します。
不躾な質問申し訳ありませんでした。
ありがとうございました。
とんでもないです。
どういたしまして。
私の家の前にお稲荷さんがあって、ほんとに小さな祠で、集落の方が作ったようなのです。集落の方が管理していて、私も時々お参りしています。
お稲荷さんはお米の神様と思っていて、ひいては食べ物の神様、農業の神様と思っていて、農家ということもあり「毎日の糧、収穫をありがとうございます」と言うだけにしてました。
なんとなく願い事をするのはダメだとおもっていて。
無意識に何か感じてたのかもしれないですね。
おはようございます。
お稲荷さんとの付き合い方としては、最もいい形だと私は思います。
神様願い事ではなく、感謝を捧げる場所。決意をする場所。
お互いそこを大事にして、お参りし続けたいですね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
こんにちは、私は花園稲荷神社の千本鳥居に導かれ、参拝しましたが、狐のお顔が 私をにらんでいるようて恐かったのです!
願い事をしてしまいました。
穴守稲荷と呼ばれる洞窟の方へは恐くて入れませんでした。
その後、また参拝に行きたいなと思いましたが、体調がよくなく、断念しました。
なぜか気になりネットで検索しているとブログに出会いました。
安易にお稲荷さんに願い事をしては行けなかったのですね。
無知さゆえです。
「お稲荷さんと霊能者」読んでみます。
ありがとうございました😄
こんにちは。
この本はきっと今読むべき本なのだと思います。
是非読んでみてください。
これからも宜しくお願い致します。