実は最近やたら言葉が降りてきます。
でも、よっぽどの事が無ければ、それをそのまま(チャネリングとして)書くことはありません。
ぶっちゃけ、こういう事に未だに抵抗があるんですよ(;´▽`A“
とかいいつつ、こういう感じの部分を結局隠そうともせずダダ漏れさせているため、
友人の間では「遠い世界に行ってしまったけれど、まぁ普通に付き合える人」という認識にすっかりなっているのに(笑)
まぁチョロチョロ抵抗はありますよね(笑)
オカルトっぽく見られたくないっていう、私の小さな抵抗(;´▽`A“
まぁ、とりあえずここ数ヶ月降りてきた言葉の一部をそのまま公開しないとどうやら先に進めないことが分かってきたので、
3つまとめて、明記します。
人はなぜ、自ら問題を生み出し、それに恍惚するのだろう。
問題を解決すれば終わるものを、増やし閉じ込め、そこに恍惚を得る。
問題は何も無いのだ。
問題を作り出しているのは己だと気づき、それを制すれば、物事は解決する。
幕が上がる前は静寂が求められる。
全ては先に分かる必要は無い。
先に分かったつもりは、いつだって分かっていない。
体感を持ち合わせないものは、分かっていないことと同格。
こと現代人は、頭の中で分かっただけで、分かったことになるからたちが悪いのだ。
それは分かったことにはならぬ。
宇名八今天意よ。
今、ここに宇宙の意識を広めたまえ。
自我と大我の違いは分かっている
その塩梅は、大我に身を預けて、その大我の意志の中に自我の喜びを見いだすことだ。
それは極上の喜びを創り出す最も効果的な方法だ。
人は小さな枠の中にいる自分が正しいと思い、
その中で全てを解決しようとするからこそ、おかしくなっている。
不満が溜まるだけなのに。
自分などちっぽけであることを気づかぬ生きることほど、愚かなことはない。
全ては天の計らいによって、動いていく。
イメージを固めよ
先に想像するのだ
先に描くのだ
先に決めるのだ
そして、動くのだ
伝えよ
しかし、これは自我に支配された者には無意味な行為であると
以上です♪