【私の場合①】使命は幼き頃の欲求に既に現れていると思う

昨日、チャネリングということを軸に見えない世界のことや覚醒後の危険性のことについて言及いたしました。

今日は、私の体験したエピソードを元に

霊的覚醒が起こってしまう仕組みと霊的覚醒後に気をつけるべきことをお話ししますね。

その前に今日は、私のこれまでのことをざっくりお伝えしようと思います。

 

実は私も霊的覚醒などしたくなかった一人ですが……

幼いころからファンタジックなことに憧れはありました。ただ、憧れはあるものの、それが自分の身の上に降りかかるとはもちろん私も思っていませんでした。

ただ今になって紐解けば、そういう素養は少なからずあったように思います。

 

小さな頃興味を持ったのは、空と伝記。

小さな頃から私は不思議なことが好きでした。

空を見上げることが好きだったし、星を眺めることも好きでした。

宇宙の広さを考えることは、幼き私の好奇心を気持ちよく刺激してくれました。

小学生くらいの頃になると、UFOに夢中になりました。

夜空を見渡せば、数え切れない程の星々が認識できるのに、この広い宇宙の中で、生命体があるのは地球だけだという前提は、あまりにうそぶいた枠の中に私たちを閉じ込めようとしていると思いました。

数の割合から言って、この地球だけに生命がある奇跡が起こって、そしてこの地球だけが幸せな星であるというロジックには無理があると思いました。

UFOという得体のしれない乗り物を使って他星からやってきている宇宙人がいるかもしれないのに、それと比べて、地球の方が幸せで発展しているというのはやっぱり無理があると思っていました。

 

それから、今思えば小さな頃から異常なまでに文字に興味を持っていたと思います。

早く文字が読めるようになりたいという欲求を抱えていたようで、今手元に残る保育園の連絡帳にはそのような足跡が残されいます。

私が通っていた保育園は、登園すると毎日シールを登園した日の部分に貼ります。そして、1ヵ月が終了したところで、先生がこの1ヵ月の保育園の出来事を保護者に向けて記載します。赤ちゃん組さんの頃の連絡帳は漢字が散りばめられていて、先生が保護者向けに私の状態を伝えていた事が分かるのですが、年少さんになった時から、先生から私へのお手紙風に全てがひらがな文字になり、この1ケ月の出来事を母親に伝えるように変化していました。

ちなみにこんな感じに……

↓赤ちゃん組の頃3歳の頃

↓年少さんになったばかりの頃4歳(私の誕生日は4月3日)

↓お手紙風の連絡帳が始まる衝撃の年少さんの5月

ここから卒園するまでの3年間。先生とのお手紙風連絡帳は続きますwwww

年少さんと年中さんで担任の先生が変わったのですが、きちんと引き継がれていたようです。

さらに、年中さんの5歳になると作文を書き始めたことが記録として残ってます。

この時のことはよく覚えていて、はっきり言うと自分から書こうとした訳ではないのです。

親に言われて、ものすごく時間をかけて、いやいや書いたのをよく覚えています。

私が並々ならぬ文字への興味を持っていたので、多分親がやらせればできると思ったのだと思います。

いやいや書いたけれど、書いた結果、周りの大人にそれはそれは褒められて、嬉しかったのを覚えています。

とにかく文字への執着がすごかった私は、本を読むのが大好きでした。

文字を覚えたかったのは、本を自分で読みたかったからです。

そして小学生になると、学校の図書館から沢山の本を借りてきてとにかく沢山読みました。

特に好んで読んだのは伝記です。

この頃から確実に、人がどんな時に何を考え、何を思うのか、哲学的なことを考えるやたら好きでした。

 

ただ、幼少期の頃は、自分の思いに自由にいられた私ですが、中学、高校、そして短大と、世の中の枠組みに埋もれていく中で、そういった元々興味をもって夢中になっていたことと自分がかけ離れていくようになり、一体自分が何を好きになのか、何になりたいのかも分からず、

ただ世の中の枠組みの中で認められる人になりたい。

そして認められることが親を喜ばせることにつながると思い込んでいました。

私の父は飛行機がやたら好きなので「スチュワーデスになってくれたらなぁ」と小学生の高学年頃、私に言ったことがあります。

私は素直にスチュワーデスになったら親が喜ぶんだなと思って、それから短大を卒業するまでの8年間スチュワーデスになることだけを考えて生きていました。

が……

残念ながら、落ちました。

 

そうして、あてもなく、就職浪人でもしようかと思っていたのですが、母親がどこでもいいから就職してくれと言ってきたので、就職情報誌で見つけたイベントコンパニオンを派遣する会社に就職することにしました。

私と同僚の華さんと社長のたった三人の小さな会社で、色々と問題のある会社でしたがwwwww、私には刺激的で学びが多い会社でした。

私が生まれた土地は、愛知県豊田市で、トヨタ自動車の城下町です。私が子供の頃は、今よりももっとその特色が強く、出会う大人はトヨタ自動車の社員か関連会社の人、もしくは公務員、もしくは自営業くらいしかいません。なかなか人に伝わりにくい感覚なのですが、豊田で生まれ育った子供たちの多くは、トヨタ自動車以外の会社が存在している意味がよく分からないまま大人になります。

しかも私自身もスチュワーデスと言う大企業への就職を目指していたので、余計に世の中の枠組みが分からないままでした。

そのため、この会社に入るまで、私は世の中にこんなに沢山の会社があることを知りませんでした。

大手広告代理店の、電通、博報堂ももちろん知りませんでしたwwwwww

私はこの会社の仕事を通して、主に電通の人と仕事をするようになり、全く自分の知らない世界があることとに驚きました。

さらに、広告やマーケティングということにも興味を持ち始めます。

短大を卒業して入社したイベントコンパニオンの派遣会社は丁度一年で退社することになるのですが、その後に転職して15年勤めた会社との出会いが、今の私を作り出し、今の私を支える力になっています。

 

少し話が長くなりそうなので、一旦ここで記事を区切ります♪

 

続きかけました!

【私の場合②】使命を果たすために、社会でそのスキルを磨くのだと思う。

【私の場合③】不思議な体験を何度も重ねた後に、ようやくガチでどうしようもないのが降りてくるwwww

takehisayuriko

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