この記事は、「地蔵菩薩の啓示が降りた人」向けに書いている記事ですので、
そうじゃないなぁと思う人は読まない方が良いし、
もしも読んでも、今の自分と敢えてリンクさせない方が良いです。
なぜなら、もしも、啓示を受けてしまったことに憧れの恍惚感を抱いたのなら、その瞬間に魔の手に自分が入り込まれるからです。
だから、読むなとは言いませんが、啓示が来てない段階で読まない方がいいなと思います。
でも、啓示が来てしまっている人が相応いるようなので、その方々のために今から文章を綴ります。
じゃぁいきますよ。
違うと思う人はここで引き返してね。
先にお断りしておきますが、私は仏教に然程詳しくありません。
ただ、地蔵菩薩のことをお話しする時に、仏教における仏の種類をお伝えしなくては前に進めないのでお伝えしますね。
ざっくりとした話しかできませんが、ここではざっくりと覚えておいてください。
仏の種類には大きく4つあります。
如来、菩薩、明王、天。そしてその他。
ピラミッド社会のように見えますが、そうではありません。
仏の世界は山登りと一緒で、そこに心が到達できるかどうかだけの問題であり、だれかと競い合うものではありません。
結局、上に行けば行くほど、到達できる人が少なくなるということ。
また、上に行けば行くほど偉いとピラミッド社会の感覚では思いがちではありますが、そうでもありません。
その場その場で必要な役割があるので、決して頂点に上り詰めることが良いことではありません。
その上、仏の世界でいう「天部」の辺りで楽しむ方が、もしくは「『その他』の頂点の辺り」で過ごす方が、この世を楽しむためには最適であります。
そして、それは決して悪いことではありません。
誰もが、この生涯において、役目を持って生まれてきました。
その役目を全うするために与えられた場所を全うすることの方が正しいのです。ですから、ピラミッドに見える図に啓発されて、頂点に憧れは抱くべきではありません。
ちなみに、よく私のブログで出てくる眷属界は「その他」の場所にある世界です。
【予言・顕現】波動上昇と眷属界の力が弱まるからこそ起こること・起こっていること
地蔵菩薩は、如来と明王の間にある「菩薩」エリアに存在します。
菩薩像といえば、多くの人はこのような感じをイメージしませんか?
お寺の本殿に神々しく奉られているものを想像しませんか?
しかし地蔵菩薩、「お地蔵さま」となるとイメージは一気に変わりますよね。
道ばたにひっそり佇むもの。
そして、お地蔵様が置かれている場所は、概ね悲しいことがあった場所に置かれることが特徴です。
交通事故があった場所や水子地蔵など、悲しい場所を癒やすためにお地蔵様は置かれます。
お地蔵様のお役目は、悲しい場所を暗い場所を明るく照らし、癒やすことです。
また菩薩の中で、現世界でお役目を果たせるのは「地蔵菩薩」とされているそうです。
つまり、地蔵菩薩とは天ではない地獄や現世界の辛い場所に自ら赴いて、その場を癒やし明るく照らすのが役目です。
だから、大変なお役目なのです。
よっぽど「その他」の場所で、現世を謳歌していた方が人生としては楽しいことが多いように思うくらいです。
地獄に足を踏み入れて、自分の心を動じさせず、さらにその場を冷静な心のまま、ただひたすら癒し、明るく照らすのが仕事なのです。
また、お地蔵様のいる場所は必ず外ですね。
お堂の中のように、守ってくれるものは何もありません。
風に吹かれても、雨に濡れても、じっとそこに佇み、ただひたすら癒やし明るく照らすことだけを求められる仕事なのです。
こんな役目を与えられなければ、経験する必要も無い苦行を穏やかに実行し続けているのが地蔵菩薩です。
地蔵菩薩の啓示が降りたと自覚せざるを得ない状況が、もしもあなたにやってきた時、
本当にそうなのかどうなのか、判断できる簡単な方法が実はあります。
それは
「正義を手放しているか」否かということ。
地蔵菩薩の啓示は、「正義を手放す」覚悟ができ、それを受け入れられる心の許容がある人にしか起きません。
認められたい思いや
被害者意識や
正悪や善悪や明暗など、二元論に心がしばられていたり、
自分の人生の選択肢を誰かに委ねているうちは絶対にきません。
なぜなら、地蔵菩薩が正義をかざしたら、その場は憎悪に満ちあふれるだけになってしまうからです。
何が正しく、何が悪いのか、
そんな思いに支配されているうちは、絶対に地蔵菩薩の啓示はやってこないので安心してください。
来たら、受け入れるしかありません。
しかし、その先は、実は私も分かりません。
なぜなら、私にその啓示が降りたのも、割と最近だからです。
正直私は「やだな」と思ったけれども、いつも通り受け入れる道しかないのだなと理解したから、受け入れました。
そして、やたらと説法だけを受けたので、今は単なる耳年増の状態です。
今私の中にあるのは、否応がなしに地獄に行くんだなという覚悟だけです。
何が起きても、ひるまないように心の準備をしているだけです。
なぜなら、地獄に行って、ひるんだ瞬間に魔が差すからです。
だから、今はどんなことが目の前に起きたとしても、ただひたすら動じない心を鍛える訓練を人知れずしているだけです。
また、地獄で正義を振りかざした所で、物事は一向に解決はしません。
だから、全てを手放す必要があるのです。
自分の正しい正しくないは、全て捨てて、ただひたすら「そうなのだ」と受け入れ、癒やし、光を当てることが、役目として与えられた人たちの使命です。
実際、私にもこれからどんなことが起こるか分かりませんが、同じような啓示を受けてしまった方々と共に歩んでいきたい所存です。
こちらのブログで連載していた「フォースの心得☆」シリーズも参考になるかなと思います。ぜひご一読を。