【見よ】これがレリゴーブスたちの攻撃力だ!

昨日、【心屋教】自業自得が分からなくなる恐ろしさという記事を書きました。

ちなみにアメブロは、ワードプレスで更新されたことが分かるようにタイトルと導入部分の言葉だけ書き添えて記事を毎回置いておきます。

で……そっちの方(アメブロ)のコメント欄が今燃えてまして(笑)

ただ、このことで心屋さんに集う方の気持ちがよく理解できたので、記事にします。

 

 

たまには思いっきりキレてみるものですね。

昨日アメブロの方に心屋信者の方がコメントをしてくださったのです。

↓どんなコメントだったかは、こちらで確認を!↓

頂いたコメントの内容をざっくり説明すると、「心屋教信者の気持ちも分かってほしい」です。

言葉自体はまぁ丁寧だったので、どう対応しようか迷ったのですが、せっかくだから敢えてキレてみました。

普段使わないような言葉も多用して、キレてみました。

そしたら、案の定炎上しました。

コメント頂いた方には申し訳ありませんが、心地良い限りです。

おかげさまで、心屋さんの元に集うレリゴーブスの思考回路と行動パターンが掴めました。

その分析ふまえて記事を書きますね。

 

心屋信者さんたちが生き辛い理由

私は今回自身のブログのコメント欄が荒れたことで、心屋信者さんたちがなぜ生き辛さを感じているのかざっくり分かりました。

そのポイントとなる部分をまめていきます。

①相手の領域と自分の領域の区別ができていない

最初にコメントをしてくださった心屋教信者さまの時から、既に思っていたのですが、皆さんは相手の領域と自分の領域の区別がついていないと私は思いました。

ブログというのは、単なる掲示板では無いですよ。持ち主がいる誰かの場所にお邪魔しているのです。

共感するかしないかに関わらず、良識ある方は、挨拶なり自己紹介なりを必ずされてから、自分の意見を述べてくださいます。

自分がよく見られたいとかそういうことではなく、それが人としての礼儀だということを皆さんきちんとわきまえておられるからです。

それが大人です。

そして、そういった方とのコメントは意見が真っ向から違う人であっても、やり取りはとても楽しいものです。

それが、信者の方はどうでしょう。

割って入ってくるやいきなりの自己弁論大会を始めます。

さらには自分たちの意見を一方的に押しつけてくるようにしか受け取れない言動をされます。

たとえ違う意見をお持ちの方であっても、人としての礼儀を当たり前にわきまえる事ができる方は、私の考えの中にあるものを考えてくれた上でコメントをしてくれている事が分かりますが、皆さんにはそれがありませんよね。

それがあるかないかは大きな違いです。

つまり

②相手の気持ちを考えずに、一方的に自分の気持ちだけを分かってもらおうとする

行為が横行しているということです。

 

ちなみに、アンチの人にありがちなのが「三行コメント」と私が揶揄ってるものなのですが、今回も私が敢えてキレてみたら、どっさり三行コメントが届きました。

掲載しますね♪

1,そんな言い方しかできないゆりさんも、批判してるブロガーさんと同じだと思う。

2,私もそう思う。ゆりさんも気づいてないだけ、自分に。他の人と同じだってことに。なんかがっかり。その怒りはどこからくるのか?

3,どうして彼女より辛い試練を乗り越えたって言い切れちゃうわけ?苦しみなんて比べられるわけないじゃん。それも傲慢だよ。

4,怒りって結局、相手に対してじゃなく、自分に怒ってるんだよね。その異常な怒り方は、あなたの中にも闇があるのでは?

5,言葉が大事って書かれていた気がするんですけど、ゆりさんのその乱暴な言葉もどうかと思いますけど。

6,まったく同じことを言われて、深く傷つく人もいれば気にしない人もいる。みんながみんな、あなたのように同じように乗り越えていけるわけじゃない。時間も方法もそれぞれなんじゃない?

7,なにもさ、あかの他人にそこまで言わなくてもいいだろ?気分が悪くなるし愛だなんて思えんわ。

8,誰もがゆりさんと同じようにできるってことじゃないってことでしょ?その人それぞれの精神状態もあるわけだし。それなのにその人のことを決めつけないでほしい。

9,各ブロガーさんへの批判はわかりますが、信者さんへの言い方はどうかと思います。誰だって、何であんなことにのめりこんだのだろう?って、後になって気づくことだって人生の中にはたくさんあるはず。

これ、掲示板じゃなくて、私のブログコメントですから(笑)

先ほども言いましたけれど、心屋教にはまらなきゃいけない状況は、こういう事を平気でできる節操のなさから起きていることに気がつかれた方が良いと私は思いました。

私には私の意見があり、あなたにはあなたの意見があるのは当然ですが、皆さんお気づきではないと思うのですが、

皆さんは、自分が共感できない意見をシャットアウトする行動しかしておりませんよ。

そして、自分たちの意見を私に認めさせようと必死です。

その上、礼儀もなく、人のブログを掲示板だと見間違う図々しさ

 

人の行動は一事が万事だと、いつも私は思っています。

普段から相手のことを思いやる気持ちを持ち合わせている人は、どこからが自分の領域でどこからが相手の領域なのかということを当たり前に気にされて行動します。

一方で、私のブログをまるで5chの掲示板であるかのように勘違いされてコメントを残される方は、どこからが相手の領域なのかが推し量ることができない人だと私は思います。

しかも、三行コメント全てがリンク先のないコメントです。

アメブロを利用している人ならよく分かると思うのですが、アメブロコメントの場合はブロガーさん同士がコメントすることが多いのでリンク先がついていることが多いと思います。それが、こんなにもコメントが来てるのに三行コメントについてはリンク先が一切無いのです。

自分の立場素性を明かさず、自分の言いたいことをだけ言って気分が良くなってるかもしれませんが、そういう卑怯な行いは実生活に必ず反映されているものだろうと思います。

また、何人かが似たようなコメントをした後から、自分たちの形勢になってきたと感じたのか、一気にコメントが増えていきました。

この行動様式から

③一人では行動できない、正々堂々と戦うこともできない

人たちなんだなぁとも思いました。

こういうの「連れションブス」って言うんだなぁと思いました。

良い大人が「連れションブス」に落ちぶれないために。

 

この3つの行動パターンを直すだけでも、随分あなたの生活は良くなると思いますよ。

だって、たとえばですよ。

人の家に勝手に押しかけてきて、自己紹介もなく素性も明かさずさらにはこちらの状況も鑑みることなく、自分だけの意見を突然言う。そして、「それは違うと思う」と家主が言ったのなら、今度は「私の気持ちを分かってよ、分からないあなたは変よ」と叫びのたまう人がいたら、あなたはどう思いますか?

分かり合うことなんてできませんよね。

家主側は分かり合えなくて結構と扉を閉じるでしょう。

 

多分、今回コメントくださった方の多くは、日常生活もこの繰り返しなのだろうと私は想像しています。

だから、行く場所が無い、だから、心屋さんにすがるしかないということになっているのではないのですか?

 

人間関係が良好な人は、常に相手の立場や思いを慮ることができます。また、常につるむ必要性も感じてないので、一人で行動できます。

たったそれだけの事ができないからこそ、あなたは苦しみ続けているだけだと私は思いますよ。

 

私の方が辛い経験をしているだろうと言い切った理由

最初にコメントしてくれた人に対して私はこんな事を書きました。

あんたがどんな人生を送ってきたかは私は知らないけれど、私は少なくともあなたよりは辛い試練は乗り越えてきたと思います。

見ず知らずの人よりも、私の方が乗り越えてきたと言い切ったことが心屋信者さんたちの癇に触れたようで、怒濤の三行コメントラッシュが始まった訳ですが(笑)

やっぱり、私の方が辛い経験をして乗り越えているだろうと思います。

その理由は、だいたい会社でも「忙しいと言ってる奴ほど仕事をしていない」という法則と同じです。

仕事の出来ない人とイタイスピ系の共通点① より

①口癖は「忙しい」

大概、会社で「忙しい」が口癖の人って、たいした仕事してないことが多くないですか?そんなに忙しいならと手伝おうと中身を確認してみたら、「え?まさか、仕事ってそれだけ(°Д°;≡°Д°;)」ってビビったことないですか?

後、自分の仕事をいちいち凄そうに言いたがる人も詳細詳しく聞いてみたら、「え?それって、、、、、( ̄ー ̄;」って思うような、仕事実績だった事ってないですか?

私は自分の経験値から、「忙しい」が口癖の人と、自分の仕事の大変さをアピールしてくる人に関しては警戒するようにしています(笑)

だいたいパターンとして、実績上げてる人のがしれっとしてるんです。「え?だから?」みたいな感じで。
「凄いですよね。」ってこっちが言っても、「どうだろ?」みたいな感じで、しれっとしてて、自分が特別な事をしている感覚がない。

後、めっちゃスケジュールが立て込んでる人の方が、みんな無理してでも時間作ろうとしてくれるんですよね。多分「忙しい」ばかり言ってる人って、なんとか仕事を入れさせないように防御しているんでしょうね。

今回コメントしてくださった方は、他の共通点もお持ちのように見えますから、気が向いたら読んでくださいね。

仕事の出来ない人とイタイスピ系の共通点①

仕事の出来ない人とイタイスピ系の共通点②

 

 

人生って不思議だなぁと思うのが、必ずその人の器に合わせた試練しか与えないものなんですよ。

申し訳無いですが、皆さんの器の小ささは先に示した通りですから、本人が思うほど大きな試練では無いことを試練だと思い込んで、精神的に追い詰められているだけだと私は思ってます。

 

心屋の言葉は現実逃避にはうってつけ

最後にこちらのブログにコメントをしてくださった方の内容を掲載しますね。

こんばんは。
今日も素敵な記事をありがとうございます。
昨日のコメントも拝読させていただいて、そうか、自分が心屋にハマっていた時は完全に自分が楽になりたい一心で、相手の立場に立って物事を考える思いやりの精神が完全に欠落していたんだなぁと痛感しました。
というか、未だに視点が自分の時が多々あり。本当に気をつけます。気がつけて良かったです。

自分のこと肯定してほしくて、自分のこと大切にしてほしくて、、、って何でもかんでも自分自分自分!!!そこに「そのままでいいんだよ。」って自分がもっとも言って欲しかった魔法の言葉をかけてくれる教祖様が現れたら後は何も考えず、問題の根っこを解決させないでズブズブと自分を肯定してくれるその人に付いて行くだけ。あー、、、いい大人が痛い痛い。デラシネ。デラ死ぬ。爆

ただ、ひとつだけ自己弁護させて下さいm(._.)m
心屋にハマる人は主婦が多いと仰っていますが、当方兼業主婦でして、仕事をして子育てをしているとやはり余裕がなくなります。何より疲れる。実家や夫の実家も遠いため両親の助けもあまり受けられず、、、となると、ぶっちゃけおかしくもなります(-.-;)藁にも縋りたい気持ちで縋る藁を間違えました。笑
そんな感じで心屋の言葉は現実逃避にはうってつけでした。

ですが現実に戻るきっかけを作って下さり、竹久さんには本当に感謝しております。
仕事と子育ての両立も、とにかく逃げ出したくて仕方なくて、自分の視点しか持ち合わせていなかったあの時はデラ死にたいくらい毎日辛かったのですが、今を生き、自然の一部であることを意識しながら取り組んでいる最近は、なんだか同じことやってても不思議と満たされる感覚と、感謝したいことが増えました。仕事においても子育てにおいても。
まだまだ実践勉強中ですがこれからもお世話になりますm(__)mいつもありがとうございます。

特に見逃してほしくない部分は太字&赤字にしておきました。

現代に生きる以上、誰もが辛いと思います。

でも心がけ一つで、その苦しみは過去のものになるだろうと思ってます。

それでは皆さんの明るい未来を願って、この記事を終わりにします。

 

 

 

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22 件のコメント

  • ゆりさん、こんにちは!
    ゆりさんのアメブロでのキレッキレのレスを読み、ゆりさんのことだから何かお考えがあるのだろうと最初はドキドキしながら、コメントが増えてきてからは暖かい目で眺めさせていただきました。
    途中、心屋教の仲間のメッセージなら頭の固い方々にも声が届くかもと「通りすがり」という名でコメントさせていただきました。
    お部屋を土足で荒らしてしまい大変失礼いたしました。

    信者さんのコメントが本質でなく上っ面だけの批判というのが政策より政局のテレビのワイドショーとダブって見えました。
    以前ゆりさんが批判コメントに「ご自分の考えの中でしか人は物事を考えられないのだからご自身を省みては」というようなコメントをされていたと思いますが、まさしく皆様ブーメラン。
    同意してほしいとおっしゃるならまず書くのは「ゆりさんがそう思うのは仕方ないですよね。」「ゆりさんはそう思われるんですね。」だと思いました。

    信者の皆様のコメントは本当に昔の自分を見るようでした。
    自分しか見てなくて「相手がああしてくれない、こうしてくれない。」
    文句ばかり。

    現実を見られるようにして下さり、ゆりさんには本当に感謝です!
    ありがとうございました!
    これからもよろしくお願いします!

    • 通りすがりって、ちよさんだったんだ(笑)
      なんかめっちゃ今ウケてます。
      援護射撃してくださってありがとうございました。

      そうなんですよ。コメント自体がだいたいブーメランなので、当面アメブロの方はこういうのが続くでしょうが、戦略的無視を実行してます。
      しかもですね、あーいうコメントしてくる人のほぼ全部IPアドレスが0.0.0.0。
      自分の素性を探られないように配慮してコメントを連投しています。
      あんまりにも続くようだったら、IPアドレスが0.0.0.0はコメントできないように対応しようと思ってます。
      IPアドレスが0.0.0.0でも、ちゃんとしたコメントをくださる方がいるので、できればしたくないのですがね。

      今どうしようか考えています。

      それではどうぞこれからも宜しくお願い致します。

      • ゆりさん、お返事ありがとうございます!
        全然援護になってませんが(笑)
        私のコメントへの信者さんの返信には「そう来たか!」という思いで逆にウケました。
        今まで人に批判されるのが怖かった私ですが、自分ができてくると意外と大丈夫ですね(笑)
        とはいえまだ正々堂々と立ち向かう勇気は私にはないので、わざと仕掛けるゆりさんはすごい!と思います。

        連投の方は文面的にも話のズレる感じも5ちゃんで心屋アンチスレ荒らしをされてる方か似たメンタルの方かと想像してます。
        きっとゆりさんの記事も読んでないんでしょうね。
        IP制限は致し方ないと思います。

        それではこちらこそこれからもよろしくお願いします♪

        • コメント頂いて思い出したのですが、心屋さんのアンチすれ荒しってしつこくて面倒くさいくて、心屋さんがお金払ってプロ雇ってるのかな?って思う時が私にはあります。

          そうそう自分ができてくると批判は、意見の違いだと思えるようになり、たいして感情面は揺れなくなります。

          それではこちらこそ宜しうお願い致します。

  • こんにちは!!
    ここ一連の偽スピの記事を読ませて頂きました。どんどんエスカレートしてきているなぁと薄ら寒い気持ちになります。

    ちょうど山野本さんのレリゴーブスの記事をいくつか読まさせて頂いたところで、竹久さんのこの記事を読ませて頂きました。
    痛いところを突かれたらキレて「キーキーギャーギャーおしっこジャー状態」という山野本さんの記事で使われていたフレーズが、レリゴーブスよりも破壊力があって笑ってしまったのですが、アメブロの方のコメント欄を読んで、まさにこの状態が起こってるじゃん!!とさらに笑ってしまいました。

    笑いすぎですね。すみません笑

    でも、いつか目覚めるといいですね。一つ大人になられますように。

    それでは失礼致しましたm(_ _)m

    • コメントありがとうございます。
      こちらのブログでコメントしてくださる方は良識ある方ばかりなので、実は「キーキーギャーギャーおしっこジャー状態」がコメ欄で起きたのは初めてのことです。
      いつか自分がおかしな事をしていたと気がつく時が来れば良いですね。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

  • なんだか、三行コメントて、
    日本に対するかの国の反応に似てますね。
    申し訳ないけど、事の発端ではなく直近の出来事に対する揚げ足取りばかりに見えてしまう。

    • そうそうそう(笑)
      揚げ足取りして勝利宣言!どっかの野党やどっかの国とそっくりだなと思って対応していました。

  • こんにちは。アメブロのゆりさんのコメント、スカッとしました。

    教祖さまたちの言葉って、ホステスさんが「つらいんだね、あなたは悪くないよ」と言ってくれる程度のことじゃないですかね。
    一時的に気分がよくなっても問題は解決するはずもなく、「また飲みにいこう♪」といってアル中状態。まあ、それが楽しいなら仕方ないですけど、、

    私は真の救世主は自分自身しかいないことに徹底的に気づいて、気づき尽くすしかないと思ってます。(自分を責めたり傲慢になることなく)
    孤独なようですが、自立しなければ他を思いやることもできませんし。
    ↑これをやりたくないから、スピに依存したり、(悩むのに)忙しい状態にして逃げちゃうんですかね。自戒もこめて。。

    ゆりさんのコメントは私にとっては人間という同じ宿命を持つものへの励ましだと思いましたが、人によって本当に捉え方がちがいますね。
    どなたかが、いつまでもいる場所じゃないと言っていたのにも共感しました。

    いつも読み応えのある記事をありがとうございます。
    次回更新もたのしみにしております!

    • コメントありがとうございます。

      ホステスさんが「つらいんだね、あなたは悪くないよ」と言ってくれる程度のこと
      めっちゃ吹きました。
      私もそうだと思います。

      誰かの言葉の後ろを歩んでいたら、いつまでも自立ができないですよね。
      それぞれが自分を見つめ直して、自分を鼓舞して、ようやく本来の自分の生き方ができると私も思っています。
      ちなみにスピ系の方は、そもそも自分と向き合うということが何なのかすら分かってないのでは?と思うことが私には多いです。

      気をつけていきたいですね。

  • 連れションブスの破壊力に、またお茶吹いてしまいましたw
    すみません(>人<;)

    心屋系に限らず、その他大御所と呼ばれるスピ系教祖の発する言葉。
    本当に辛くて、それに救われたのであれば
    それはそれで、良いのかなと思う時は、正直あります。

    ただ、問題は救われたのであれば、さっさと卒業して前に進めばいいのに
    それが出来ない事。

    それが出来ない心の弱さにつけ込んで
    それをさせない怖さが彼らにあるのかなと思います。
    たまに、真実を織り交ぜて「我こそ真理」と思わせる
    そんな怖さを感じます。

    誕生日占いで有名な某大御所も
    本質的には心屋系と似たようなものではないでしょうか。
    ブログで、あまりにおかしいと感じた事があったので
    コメントで質問を投げかけてみたら、無視されましたしw

    • 山野本さんのワード吹きますよね(笑)さすが、言葉の使い手であるアナウンサーだなと思いました。

      本当に仰る通りで、その時それで救われたならそれで良いと私も思います。こちらにコメントくださる方にもそういう過去を教えてくれた方も沢山います。
      ですから、私も彼らの過去も含めた全てを否定しているわけではありません。
      ですが、組織として活動しはじめるとやはりあちらもこちらも宗教になってしまい、多くの人が迷路に入り込んでしまいますね。
      敢えて教祖がそうさせていることに、中にいるとなかなか気がつけないから、可哀想だなと思います。

      それではこれからも宜しくお願い致します☆

  • ゆりさんこんばんわ。

    一連の騒動(?)、後追いながら見させていただきました。笑

    で、思い出したのが、ピョンチャン五輪前にスピードスケートの住吉都選手の自殺でした。

    彼女は、心屋に心酔してして心屋認定講師のオープンカウンセリングなどに通っていたようです。
    彼女の自殺と心屋が直接関係あるかはわかりませんが、
    自殺の数日前に心屋が書いた「自死は病死」という記事がネットで炎上していたんです。

    https://ameblo.jp/kokoro-ya/entry-12344340521.html

    鬱で悩んでいた身内を放っていたら自殺してしまったという相談者に、「自殺は死にたくなる病気だからしかたない」というコメント。

    それが、もしかしたら住吉選手の自殺を促してしまったのではないかと。

    たしかに、人の死は自分にはどうすることもできないかもしれない。
    でもでも、カウンセラーの人のこのコメントは軽すぎ!と腹立たしかったのですが、今回の「死んでもいいよ」と繋がっているな、と感じました。

    「死にたい」→「死んでもいいよ」」
    なら
    「あいつを殺したい」と言われたら「殺してもいいよ」になるのでしょうかね。
    恐ろしい。
    心屋に聞いてみたいものです。

    • コメントありがとうございます。

      私は一時期心屋さんのアンチ5chをくまなく見ていた時期があって、丁度その時に話題になっていたのが住吉都選手の自殺のことでした。
      その時に感じた思いが私にはあったのですが……結局既視感に繋がってしまったことは、すごく反省しています。

      似たようなことを言っていても、似て非なることは沢山あります。
      その似て非なる些細な違いに、人に対しての憂慮や配慮が含まれているんじゃないかなと思います。
      心屋さんは似て非なるものだからこそ、多くの人が怒っているだけだと、私は思います。

      ちなみに、残念な言い方ですが「殺してもいいよ」になるだろうと、私は思っています。
      猫は殺してもいいという名言のあの人ですからね。普通の推察ではそうなってしまうかと思います。
      そこにどれだけ世間が反応しなくても良い社会になれるかが、私たちが幸せになれる社会になるかどうかの鍵だと思っています。

      どうぞこれからも宜しくお願い致します♪

  • ゆりさんが傷ついていないか少しだけ心配しましたが、ご健勝のようでなによりです。
    言葉を尽くしても理解しあえない無力さや、相手を貶めてやろう傷つけてやろうとする言葉の歪さは随分と気力を削ぐものですから。どうぞご自愛くださいね。

    また、どんなに美辞麗句で言葉を綴ろうとも、自分と相容れない意見に対して事実や情報を提示せず感情論でどうにか屈服させようという時点で、何を言おうとも大抵の人は耳を傾けてくれないとご存知ない時点で非常に気の毒な方々だと思います。

    私は他者視点における死はどんなものであれ、悼まれるべきものだと考えています。同時に尊く、生者がおいそれと踏み込んで良い領域でないとも考えているので、まずは、死ぬの死なないのと騒ぎ立て、あまつさえ死んでもいいだのということ自体が非常に品のないように感じます。

    人の生死は軽々しく扱っていいものではありません。それすらわからないお馬鹿さんに、心や時間や言葉を砕く必要はないです。ゆりさんが傷つく必要も頭を抱える必要もありませんからね。

    生きていれば人にとって死にたい瞬間なんてないわけがないのです。大抵の人が必ず感じる事です。ただ、僭越で辛辣な事を言わせていただければ、死んでもいいよ、で、救われるような死にたいは、ただの現実逃避ですね。

    死はそんなに軽くない。

    そんなに死を軽々しく扱えるのは、それは本当に死を間近で感じた事が無いからでしょう。きっとそれだけ、死がまだファンタジーであるだけ、その方の人生は幸せなのだと思います。

    でも、納得いかないでしょうね、不幸合戦をしたい方々でしょうから。そう、不幸なんですよね。不幸で、かわいそうじゃないと納得できないですよね。不幸である事だけがその方々を特別足らしめるものなんですから。
    どうぞ不幸合戦で不幸な幸福に酔いしれると良いですよ、どうぞ現実逃避し続けて一番不幸を目指して励んでくださいませ。

    耳の痛い話や現実に戻れと再三忠告をしてくださっている方に対して聞く耳持たないばかりか 誹謗中傷揚げ足取り、自分の気持ちを分かってくれと寄りかかる。
    あげくに死を軽々しく扱う有様ですから。

    私は黒猫さんやゆりさんや山野本さんのような優しくありません。大抵の人はそんな頭の弱い方々に言葉なんてかけませんよ、遠巻きにみて、影で指差して笑いますよ。黙って自分が害されないようにします。ほっときます。

    何が本当に有難い事なのか考えるおつむがある事を願います。

    • 共感しっぱなしのコメントありがとうございます。
      お心遣いの数々の言葉、恐縮しながらも有難く受け取りました。
      本当にありがとうございます。
      どうぞこれからも宜しくお願い致します。

  • こんばんは。
    この界隈って、何十年たっても変わらないなぁ…と思って読んでます(笑)。
    以前から、何度かコメで出している、私が20年以上前に20歳代の頃に主催してたグループでのやり取りを、ほぼそのままお知らせします(名前とかは伏せ字にしてます)。
    長いので、公開せず竹久さんだけに読んで頂いても問題ないです。僕と〇〇さんとのやり取りの中での僕の発言です。

    —ここから—
     ○○さんの発言の中で、御自分でも説明が不十分だと書いておきながら、それを指摘されると残念と嘆いたりするのは、議論をする上では、自分の努力不足を棚に上げたわがままですし、「その言い方が気に入らない」というような発言は、単なる言いがかりにすぎません。

    》 正直に言わせていただくと、ITCひでぽんさんのそういうちょっとした一言が傷つきます。チクっと来るのです。ですから私もチクっと言い返してしまう
    》・・・そんなやりとりになってしまっているようですね。
     この発言は、非常に残念な発言です。○○さんのこの発言や、「お互い落ち着いたところで」などという発言を読むと、どのように考えていたのか解りませんが、私の方は、前回も今回も、議論に全く感情は入れていません。議論に感情を挟むと、それはもはや議論ではなく、○○さんが以前言っていたように、「論争」になってしまうのは明らかだからです。
     私は以前、「悪意が無ければ、否定的な意見の持ち主でも構わない」と書きました。道理さえ通っていれば、異論は異論として認めます。そしてわからないところは質問します。○○さんが、前回も今回も、意図的に人を傷つけようとしていたのなら、とても寂しい気がします。○○さんの発言の中には、「全てのつじつまが合う」とか、「…のはずがない」という発言がよく見られますが、それは、○○さんの主張であって、説明では有りません。説明に必要なのは、何故つじつまが合うのか、何故そんなはずが無いのかといった事です。でも、私は質問をすると、「何から何まで説明しないとわかりませんか?」とか「一から十まで説明しないとわかりませんか?」とか言われてしまいます。でも、それを説明するのが、建設的な議論ではないでしょうか?以前も書きましたが、元々、お互いの考えを知るために話をしているのですから。
     「わたしは、こういう理由でこう思う」
     「あなたは、こう言っていますが、自分はこういう理由でこう思う。どう思いますか?」 私は、そういう議論を望んでいました。

    》 理解する努力はしていますよ。だからこうしてまた話題を振らせていただいた
    》 のです。それは、理解したいと思ったからこそです。
     私が、以前△△さんの発言に対して、自分の考えに近いと書いた時に(その発言が近いんですよ。△△さんの立場が私と近いとは書いていません)、○○さんは2つの道を選ぶ事が出来ました。
     まず、私の発言を読んで、それを受け入れ、「今まで誤解していたけれども、本当はこう考えていたのか」と考え直す道。もちろん、今までの発言で、矛盾するところがあったなら、それは質問すればいいですよね。
     もう一つは、御自分の中に作り上げた私のイメージと比較して、私本人が言っている事を、全く否定して受け入れない道。
     ○○さんが選んだのは後者でした。理解したいと思っていながら、本人のいう事を受け入れないでどう理解するつもりなのでしょうか?○○さんが比較したのは、「△△さんと私」ではなく、「○○さんの中に作り上げた私のイメージと私本人」なんですよ。自覚あります?はっきりいえば、○○さんは単に、△△さんや★★さんと私を差別化したいだけに見えます。
    —ここまで—

    上に出てくる△△さんや★★さんは、精神世界には造詣は深かったと思いますが、私とも割と話が合い、少なくとも社会人としてまともでした。〇〇さんは、そんな△△さんや★★さんを尊敬していたようですが、その人たちと僕が同じような意見を言っているというのが気に入らなかったんでしょうね。(今回の例だと、△△さんたちが、心屋氏やその認定講師みたいなイメージ?)
    「ITCひでぽんの言ってることと△△さんや★★さんの言ってることは全然違う!ムキー!」
    みたいに言い出して、どこが違うのか聞いたら最後にはこの調子です。
    ただただ、感情のままに説明にもなっていない主張を繰り返し、説明を求めれば「何から何まで説明しなければわからないのか?」みたいな感じです。

    まあ、敢えて煽るようなことをする必要はないと思いますが(笑)、感情に引きずられ自己主張だけを繰り返す人が多いというのは、(前にも書いたことがあるかもしれませんが)ある意味、共感力が強い人々が生きている日本という国のデメリット…というか、一層の成熟を求められる部分であるかもしれません。

    • 公開するかどっちにしようかなと思ったけれど、あんまりにも面白かったので公開してしまいました(笑)
      返事もしたいし(笑)

      このやり取り、夫婦喧嘩の要因も多分含まれているように思えてしかたありません。
      私があまり男性と喧嘩にならなかったのは、議論に感情を含めないことを会社で徹底的に教え込まれたからなのかもしれないなと思いました。

      私も女性ですが、女性は男性以上にかなり意識しないと感情と事実の区別がとても難しいです。
      あれはあれ、これはこれ、が上手くできません。
      ですが、女性はあれはあれ、これはこれ、感情と事実を区別することができないと、大人の女性にはなれないと思います。
      そこは男性と比べてとてもハンディのある作業ですが、それを乗り越えてこそ女性の役目なのだろうと最近はつくづく思います。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

  • ユリさんこんばんは。

    昨日から本当にお疲れ様でした。
    実はユリさんにお伝えしたいことがありまして。以下自分語りのような内容になるので不快でしたら削除していただいても結構です。

    私、大学時代に心理学を専攻しておりました。こんなこと、心理学を学んだ方にとっては基本中の基本でわざわざお伝えするのも恥ずかしいのですが、大学で学ぶ心理学って、情報分析と統計がメインで、心理学を専攻していた友人達の殆どが思っていたのと違ってたと、まず衝撃を受けたと話しております。私もそうでした。統計で数字を出してその上で根拠、分析、考察…と、筋道立てて物事を考えて、何故そうなるのか、などを徹底的にやるので、テレビやメディアでやってる心理テストとかと大学で学問として学ぶ心理学ってちょっと違うし、心を読んだりする感じの学問ではなかったです。
    (ちなみに大学で学ぶ心理学の種類もかなり沢山ありました。)
    そして、大学を出たからと言ってカウンセラーの資格が取れる訳じゃなくカウンセラーって自分で名乗ってしまえば今日から誰でもなれるらしいんです。そして、民間のカウンセラーの資格は沢山あります。でも、臨床心理士さんや、私の知っている心理学をがちで学んでいる人はみんな大学院を出ており、当たり前に学会や協会に入って日々勉強を続けております。
    それが偉いとか偉くないとかじゃなくて、その道のプロとして活躍している人って自分の好きなことに貪欲で大好きな心理学を学んでそれをとことん学んで仕事にされておられるんです。…ですが心屋仁之助って言う媒体はある意味勉強なんでしょうけど、心理学ってゆうよりもカウンセリングを通していかに稼げるか!!みたいな。ようはただのビジネスなんです。だからなんか怪しくて、なんか気持ち悪い。
    で、結局何が言いたいかと申しますと、心屋さんなどアメブロで商売する自称カウンセラー達が提唱していることってほとんど根拠がなくて、元信者の私から言わせたらプラシーボ効果みたいなものも殆どで、その時は救われたり楽になるけど、結局問題作り出してる自分自身の本質が変わらないから、同じような問題を作り出して、またカウンセリングを受けての繰り返し。だからカウンセリングビジネスは儲かるし、一度ハマってしまうと自分自身で気づかない限り信者さんは抜け出せません。
    問題が起きる→相談する→別の問題が起きる→方法を変えてみる→別のカウンセラーを見つける…この無限ループなんです。
    信じるから結果楽になったとか、この言葉が自分に響いたからそれでいいんだ、みたいな感じで、問題を作った本人は性格を変える気が全くなく、自覚もない。やってることも言ってることもペラペラだし、だからどんどん深みにはまるし色々なことに矛盾が生じて、どんどん社会的には孤立していく、そして余計に苦しくなって苦しいからまた誰かに助けを求めての繰り返しなんじゃないかと思います。というか自分自身はそうでした。だから心も金銭的にも苦しかったです(苦笑)
    心屋って心理学という学問として成立しているというよりは、カウンセリングっていう媒体を商売にしたただのビジネスですよね。。。
    あとはいかに売るか?みたいな。

    なんか学びそのものを舐めてる気がします。

    • コメントありがとうございます。
      全く不快に思わないどころか、共感の嵐なので公開させて頂きますね。

      大学で学ぶ心理学が私たちが巷で想像しているものとは全く違うということは、漏れ伝わってよく聞いていました。しかし、その実態がなかなか掴めていなかったのですが、母が好んで見る「ほんまでっかTV」の植木さんを拝見するようになって、その概略が素人の私にでも手に取るように分かるようになってきました。
      高校時代、私も心理学を学んでみたいと思ったことがありますが、たまたま入社したマーケティング&プロモーションでの実地経験で学んだ消費行動分析の経験の方が、心理学を学べるのではないかと、最近ぶっちゃけよく思います。
      また、プロモーション企画を通して、如何に人を扇動しようかと画策する毎日を過ごしてきたので、スピ系の人々の一挙手一投足で何を目的に行動しているのかは手に取るように分かります。
      まさか、ここで昔の経験が活かせるとは思っていませんでしたが、人生何があるか分かりませんね。
      ホント、どんなことでも実直に学べることは全部学ぶことが自分の人生に生きるものだと思います。

      正直なところ、一度スピ系でビジネスを始めてしまったら、「売る」ことしか考えられなくなるはずですよ。
      だからこそ、真摯に精神世界と向き合っている人は、本業にならないように他の稼ぎを作ろうとみんなしています。
      信仰を伝えることとお金が密接に絡み合うと、どんな良民であっても必ず狂うからです。

      信仰があって、その信仰の上に経済活動があることを改めて知る機会と時期になればいいのになぁって、心密かに願っています。
      それではこれからもどうぞ宜しくお願い致します。

  • 炎上お疲れ様でした。というのもおかしいですが、おおぉ、さすがアメブロ….と思いながら眺めておりました。

    彼女たちは体は大人、頭脳は子供、の逆コナン君状態ですね。彼女たちは感情の快・不快のみが全ての基準になっていると考えています。

    快なら正しく、その扱いこそが正義。不快なら悪、不当な扱いを受けたと騒ぎ相手を攻撃する。子供なので、視野が狭く視点も低い。

    成長することでしか味わえない喜びを知らず、被害者を演じ相手を支配しようとしています。被害者面のメリットが手放せないのでしょうね。

    傷付いたと言っていれば、皆が労ってくれます。頑張れなんて言わないし、たくさん構ってくれる。自分は成長しないクセに他人への要求ばかりが大きくなる一方。

    そして挙げ句の果てには親や、社会が悪いとのたまう。

    心屋教(もはやすっかり定着しましたね)の前者、後者論ってご存知でしょうか?ものすごく簡単に言うと前者は大人、後者は子供の性質を持ち人は必ずどちらかの属性になり生涯変わらない。問題はここからです。

    後者は天才肌でそのまま存在しているだけで、前者に存在意義を与えている。お世話される側なのだから成長しないし、その必要もない。という感じの理論です。

    私は目が覚める前、自分を後者だと思ってました。でもこれって単に無能、未熟なだけですよね。それを認めたくない人にとってみれば救いのある理論ですよね。

    この理論が出た当時はかなりコメント欄盛り上がってました。でもその内私はどちらにも当てはまらない、あるいは両方当てはまる。と言い出す人が出て来るんです。自分は例外だから特別なんだと思いたかったのでしょう。

    極めて傲慢で卑屈で浅はかです。私もそんな自分の正体に気付いたとき、ショックでした。3日間ほど、呆然としながら生活してました。でも仕方ないじゃないですか。こんな私でやっていくしかない。
    でもそれならせめてちょっとでも成長しなきゃって。

    傷つけられることはあっても、まさか自分が誰かを傷付けてきたなんて思い及びもしなかったんですよ。だって私は本当に自分が善良だと思っていたから。

    どんなに自分にとって都合が悪くても、自分の未熟さは自分のせいだと責任を認めなければいけませんね。でないと、自分の人生のはずなのに、自分を生きられないので。

    長くなってしまいました。これからも応援しています。

    • 考えさせられるコメントありがとうございます。
      心が傷つくこと、もう頑張りたくないって思う時は誰でも訪れることがあると思います。
      そういう時こそ、心屋さんに出会いやすいはずですが、心屋さんにたまたま出会ってしまう危険性を改めて感じました。
      ただ、そもそもの戦後社会の在り方が二元論で包まれており、特に女性は感情が前に立ちやすいので、冒頭にお話ししていたような正義感と二元論を携えやすく、それがまた心屋さんを人気にした背景としてあると思ってます。
      多くの人が感情的な二元論の無意味さに気がつき、ただ道理にそって生きるそれだけのことを思い出せるようになればいいなと思ってます。

      どうぞこれからも宜しくお願い致します。

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