【戦後の日本】問題解決の為手段が、問題を増やすことに繋がってる

リカレントの事やアダルトチルドレンの事を自分なりに勉強して改めて思ったこと。

 

「子供の天国」と言われていた日本はどこへ?

私が唯一見ているテレビの情報番組「ワイドナショー」では、今週港区に建設予定の児童相談所が近隣住民の反対にあっている事が大きく取り上げられていました。

港区の人の気持ちは分からなくはないのですが、それよりも私が問題を感じたのは、役割と負担が増加の一途を辿っている児童相談所という存在です。

これは、戦後設けられた施設であり、その存在が持ち合わせる役割は年々大きくなっています。

一番良いことは、児童相談所の必要性のない社会をみんなの努力で作り出すことなのだろうと思うのだけれども、世の中の問題は増える一方ですよね。

先ほどの記事で、「表面的にようやく現れた問題を、表面的に解決しただけなので、また違う形で同じ問題に遭遇せざるを得なくなると思います。」と書いたのですが、児童相談所の役割と負担が増加の一途を辿っている現状も、表面的に現れた問題を表面的に解決しようと試みている結果なのだと思います。

 

昨日の記事で書きましたが、明治の開国の頃の日本は「子供の天国」と呼ばれた国でした。

たった150年前までは、児童虐待など起きることすら、この国では考えられないことだったと思います。

また、世界各地には当たり前にいるストリートチルドレンも、日本には概念すら存在していないからこそ、当てはまる日本語が存在しません。

 

私たちは、何か問題が起きると、今の時代の解釈の中で解決を試みようとします。

ですが、根本論として、そこが間違っているのではないのかな?と思います。

児童虐待をどうやって減らすのか、虐待された子供をどうやって守るのかという事は急務が必要な作業かも知れません。

ですが、そこと向き合い続けても、全体の問題は解決されることはないと思います。

 

150年前の日本にはありえるはずもなかった児童虐待というものが、あの時よりも豊かになったはずの日本国ではなぜ増えているのか、あの時代と今の時代の違いにあるものは何なのか、そこを理解し、そこに気がついた上での修正がない限り、問題は解決されることなく、増える一方になるだけではなかろうかとどうしても思えてしまいます。

 

戦後教育は間違っていたとそろそろ認めるべきでは?

テレビを中心としたマスメディアが取り上げる題材の多くは、「輝いている人」です。

スポットライトを浴びるのは、いつの世も成功者たちです。

ですから、そのロジックで物事を見ていれば、戦後教育は正しいと言うことになると思うのですが、戦後教育ほど「不成功者」である国民を輩出している時代はないだろうとも思います。

今日の虎ノ門ニュースでは、ちらっと大人の引きこもりやニートの実態について取り上げていました。

国内の統計で、ニートや引きこもりは35歳以下しか集計されないとのことですが、実態として問題なのは、若者時代から引きこもり50歳前後になっている人たちが多数いるとのこと。

これは言い換えれば、ロスジェネ時代とも言われる団塊ジュニア世代たちの中に、引きこもりやニートになってしまった人たちが多数いるとも言えるでしょう。

勝ち組負け組という言葉が世の中に浸透して、どれほどの時が経つのでしょう。ざっと見返しても20年以上の月日は流れているのではないかと思います。

結局、戦後教育の方針では、勝ち組と呼ばれる一部の成功者を輩出する傍らで、多くの負け組と呼ばれる不成功者を輩出することに繋がり、そしてその人たちが生きる希望を見いだせない悪循環が生まれることによって、外国人労働者を入植拡大することに繋がっているようにも思います。

この事実を直視すればするほど、戦後教育は間違っていたと認めざるを得ないのではないか?

と思うのですが、

様々な利権や役割が付随する行政機関の中では、誤ちを認めるところには、なかなか辿り着けないだろうと思いますし、行政の中枢で役割を果たしている方々の多くは、ある種この教育の成功者ですから、教育の間違いも感じにくいだろうと思います。

 

問題解決の手段を、西洋に頼るのはどうなんだろう。

戦後の日本は、日本が間違っていて西洋の考え方が正しいという事が植え付けられました。

そのせいでしょう、海外発信の情報は素晴らしいものと取り入れられる事が多いです。

また、西洋と比較しては、西洋の進んでいる一面を日本社会に落とし込むことが善とも思われがちですが……

少なくとも児童環境という一面においては、「子供の天国」と呼ばれるほど、子供たちが健やかに成長する環境が整えられていたわけで、

見習うのは、西洋ではなく、過去にあった日本であると見るべきなのではないのでしょうか。

解決できる手段は、過去の日本に既にあるのに、そこを見ようとせず、それどころか否定に否定を繰り返した挙げ句に、みんなで苦しむことになっているのだと私は思えて仕方ありません。

 

定義によって生まれる「発達障害」

また、団塊ジュニアたちが子育て世代となって増えた言葉に「発達障害」というものもあります。

私は、これは器が狭くなった大人たちの象徴の言葉に思えて仕方ありません。

そして、この問題を解決するために、必要なのは行政を動かすことでも、法を作ることでもなく、国民それぞれが、問題の当事者として事実を受け入れることなのかなと思います。

そして、今ある社会の在り方を否定することなく、まずは自分自身の心の在り方、つまりは大人である我々が、それぞれ心を整えることなのだろうなと思います。

戦後教育によって多くの人が抱えることになってしまった「自己否定感」や「認められたい衝動」を、誰かのせいにすることなく、大人それぞれが自分の力で乗り越えることがまずは大事なんだろうと思うのです。

また、不満や不遇を大きく抱える環境が継続すると、人は極論とも言える危険な発想に恍惚を抱くと言われています。

結局、スピリチュアルというものが変な形でどんどん人気になっていったのも、戦後教育によって「自己否定感」や「認められたい衝動」がたまりに溜まった結果、おかしな方向になってしまったんだろうと思います。

そして、その欲求の裏側には、児童虐待や発達障害という事態の深刻さがあるのだと思います。

抱え続けなくてはならなくなってしまった幼少期時代のトラウマや挫折が、大人になってからどれほど幸福が阻害される事に繋がっているのか、自覚できる時代に生まれた私たちだからこそ、そこから逃げずに、後に続く世代が、同じような苦しみを抱えずに済む配慮を施していきたいですね。

 

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