【違いはどこに?】年を重ねて綺麗になっていく人、そうでない人

昨日安室ちゃん引退しましたね。

そこで改めて思ったこと。

 

昨日一つの時代が終わりました。

昨日安室ちゃんが引退しました。

私はyoutubeかけながら仕事している事が多くて、だいたいいつも政治関連の話を聞きながら仕事をしていることが多いのだけれども、今日は安室ちゃん関連の動画を流しながら仕事してました。

そしたらですね、ふと同じ時代の歌姫だった浜崎あゆみさんの事が気になりましてね、答えは分かってるのに……ついついyoutube検索したら……

本物なのかどうなのか疑うほど豊満な浜崎さんがいました。

なんか全体的にビッチで場末な空気感が流れてたので、ゲイバーとかでショーやってるモノマネさんなのかなと一瞬思ったけれど、浜崎さんでした。

写真より動画で見た方が、私の気持ち伝わると思います。

つーか、ぶっちゃけ浜崎さんよりも、バックコーラスの人のインパクトが強すぎて、気になって仕方ないんですが。

あまりにはっちゃけた衣装だったので、LGBTイベント用の為に用意されたコーラスさんなのかなと思ったら、レギュラーメンバーでいつもあの感じなんだね。

こっちも動画置いときます。

コーラスのコスチュームとキャラが濃すぎる上に、色々ミスマッチ過ぎて観客が歌に集中できなくなるから、これってどうなのかな?って個人的には思うけれど。

まぁ、ここ何年も歌聞くたびに浜崎さんにはドン引きだから、まぁコーラスのインパクトが強かろうと一緒かな。

アーティストっていうより、本当にゲイバー感が凄くてなんか辛い。

だって、本当に昔のアユは可愛かったものね。

切ないね。

 

っていうかここ数日、世の中安室奈美恵祭りで、安室ちゃんの若い頃の映像が沢山流れてました。その度に、安室ちゃんは今のが綺麗だなって思った。不思議だね。

 

年を重ねた現実を受け入れる。今を生きる。

25年前から体型も変わらず、見た目はさらに美しくなると言うことは、なかなかできることではないと思います。

ただ、ふと、明石家さんまさんも同じだなって個人的には思ったよ。

私は幼稚園の頃から、さんちゃんの事が大好きで、あの時から今日までずっとさんちゃんはかっこいいなって思って生きている。

還暦超えてから、やっぱりさんちゃんも老けるんだなぁとは思うようにはなったけれど、それでもさんちゃんはカッコイイと思う。ただ、最近のテレビ局のさんまヨイショな番組作りは鬱陶し過ぎるけれど。

そして、幼稚園の頃から今日まで、いつだってさんちゃんはカッコイイとしか思ってないのだけれども、過去の写真とかが出てくると、過去よりも今のさんちゃんのがカッコイイなって思うんだよね。

幼稚園の私も、小学生の私も、中学校の私も、高校の私も、短大の頃の私も、その時のさんちゃんがカッコイイって思っていたはずなのに、

いつだって見比べると、今のがかっこよく感じるのは不思議だよね。

これが安室ちゃんと同じだなって思ったの。

そして、どうしてなのかな?って言う理由が今日急に分かった気がしたんだ。

 

さんちゃんも安室ちゃんもいつだって「今」を生きてる。

ほっといても人は10代、20代くらいまではエネルギーが漲ってて誰しも輝いてみえると思う。

それはなぜかと言えば、自然に生きてるから、誰しも結局今を生きているんだと思う。

でも、人のエゴというのはいつの間にか大きく肥大化していってしまうものだから、年を重ねるごとに、「今」に入りにくくなり、未来や過去に生きてしまう。

すると、途端に老け込む。

結局、人が輝くのは「今」に入っているかどうかなのだろうと思った。

 

心が「今」にあり、今目の前にある現実を直視して、それを受け入れて、その上で今を楽しみ生きていく人は、自然と輝くし、

一方で、

心が「今」に入らなくなれば、回転がおかしなことになっていくのだろうと思う。

 

浜崎さんは、過去の栄光の時代で心が止まってしまって、そこから動かなくなってしまっているから、ことごとく色んなことがおかしくなっているんじゃないのかなって思うようになった。

浜崎さんがいる空間だけは、タイムスリップしたかのように2000年頃を彷彿させる。

それが時代のミスマッチをより強調させることに繋がって、痛々しい気持ちを人に与えちゃうんじゃなって思った。

何年か前に、浜崎さんのことを書いた時に、「浜崎さんは引き際を間違えた」と結論付けたのだけれども、

引き際って大事なんだなぁって思わされたこと

引き際とかそういう問題では無く、単に「今を生きていない」事が問題なんだなって思うようになった。

 

それから、私、浜崎さん見てるといっつも思うのだけれども、浜崎さんってNANAのレイラに憧れて、それを生きたいって思っているのではなかろうかっていう節をついつい感じてしまうのね。

浜崎さんの年齢不相応なポエマーな文章を見る度に、いっつもNANAが頭に浮かぶのよ。

それから、昔バックダンサーの子と付き合ってすったもんだを引き起こしたゴシップ記事が世の中を沸かせた時も、「NANAっぽい感じで生きたいのかな?」って、なんか思ったのも思い出した。

浜崎さんは浜崎さんを生きるのではなく、実は矢沢あいの中に宿ったフィクションの中に身を寄せて生きているのかもしれないなって思ったりしてます。

だから、余計に「今」に入りにくいのかなって思ったりしてる。

っていうか、NANAが描かれた時代が2001年くらいで、丁度浜崎さんのブレイクと重なるのだけれども、浜崎さんがNANAのフィクションに憧れていたのなら、彼女の世界は2001年くらいしか実在しないことになるわけで、とすると、浜崎さんは過去の栄光に浸かっているのではなく、単純にNANAの世界観だけ生きてることになる。

これは単なる妄想なんだけれども、私にとってはこっちの説の方が腑に落ちる。

浜崎さんは過去の栄光にすがっている訳ではなく、そもそも2000年前半の時代しか思考に存在しなくなっているという説の方が、私にとっては腑に落ちる。

 

 

生きている以上、

今を受け入れて、今を生きて、今を楽しみたいね。

そして、今を見極めていきたいね。

 

 

おまけ

私が安室ちゃんを初めて知ったのは、高校時代毎日欠かさず見ていたポンキッキーズ。

あの頃の安室ちゃんもめっちゃ可愛かったです。

 

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