【ワクワク功罪】晴れの日褻の日

2018年4月2日

なんだか突如優しい言葉で語りかけたい気分になったので、体の赴くままに珍しく優しい言葉でお話ししてみようと思います。

 

日本には晴れの日、褻の日があります。

日本には晴れの日、褻の日がありますよね。

どんなにあなたがワクワクだけを追求しようと思ったところで、それは論理破綻しています。

だって、この世の中はあなただけが作っているのではないのですもの。

誰かと誰かの人生がいつも絡み合うことであなたの人生は作られています。

ワクワクだけを実践したあなたの人生に不幸が訪れなくとも、あなたの周りに不幸が訪れることは当たり前にあります。

その不幸が大規模であれば、国家的な不幸となります。

そんな時でもあなたはワクワクだけし続けていられるのでしょうか。

震災など人の想いを超越した領域で生まれた、国家的不幸に見舞われた際でも、あなたはワクワクだけを求め続けれるほど、人でなしなのでしょうか。

世の中にはどうしようもなく、晴れの日褻の日が存在します。

ワクワクだけを求める気持ちは、当たり前に訪れる現実全てを否定することになり、あなたの中の小さな世界だけで成立する小さな世界を創ることになります。

 

小さな世界では思い違いが多発します。

ワクワクだけしようと想い始まった言動は、次第にあなたの中だけで規模が大きくなります。

つまり、どこまで言ってもあなたのワクワクはあなただけのワクワクでしかありません。

しかし、その思想に覆われれば覆われるほど、あなたの気持ちは過剰になっていくことでしょう。

ワクワクだけをしようを求め実践する人の多くは、現世御利益を求めた新たな宗教の一つにすぎぎません。

ただし、このワクワク宗教にはまり現世御利益を求めた人は、自身が美しく輝くものを手に入れようと躍起になることでしょう。

でも、誰もが当たり前に年を重ねます。

体は当たり前に衰えます。

見るも無惨に誰もが日に日に老いるのです。

ワクワクだけしようと躍起になっている人は、ワクワクだけしていれば、その老いすらも克服できると勘違いしているかもしれませんが、そんなことはありません。

誰もが老います。

老けます。

日々年を重ねています。

ワクワクだけしようとしている人たちは、単にその現実に抵抗しようとしているだけで、現実を受け入れる気持ちに欠けていると言えるでしょう。

現実を否定している気持ちの中に、どれほど幸せはあるのでしょうか。

否定を克服することは非合理でしょう。

現実を受け入れ、その中から幸せを噛みしめる事の方がどれほど幸せでしょうか。

だから、この思想に嵌まった人は、周りから見た時に不幸に映るのです。

現実を受け入れられず、その現実に抵抗し戦い、そして、勝ってもいないのにも関わらず、たった一人で恍惚感を得ている姿に、多くの人は興ざめするのです。

 

 

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