【大器だから!】多くの日本人の心が苦しんでいる理由

資本主義社会の終焉を間近に控え、多くの人々の心は不安が大きくなっているように思います。

この不安にも、私は日本人特有の心があってのことではないかなと思うので書き残しておきますね。

貨幣経済と資本主義社会は別物です。

資本主義社会が終焉するなんてことを言うと、「貨幣そのものがなくなる」という考えまで飛んでしまう人がいるかもしれませんが、違いますよ。

戦後生まれの私たちは、資本主義社会の現実しか与えられてこなかったので、

貨幣経済=資本主義社会

と、イコールで考えてしまいがちですが、

貨幣経済という考え方の中の一つに、資本主義社会があるだけであるので、資本主義社会が倒れたからといって貨幣経済がなくなる訳ではありません。

記号で表すと、

貨幣経済>資本主義社会

となります。

先日の記事で現在のネット社会では、資本主義社会特有の情報をコントロールすることによって形成することのできるピラミッドが形成できないため、そこに固執すると苦しむなんていうお話をさせて頂きました。

↓該当記事

もちろん今私たちの目の前で、資本主義社会の根本となるピラミッド型社会は溶けるように失われていっていますが、かといって経済の基盤となる貨幣がなくなるわけではありません。

トンデモ陰謀論に煽られて、散財したり、多大な借金を抱えないように気をつけましょう(・_・;)

貨幣というのは先人たちの知恵がつまった、大変便利なものです。

私たちは物質社会という否が応でも制限のある世界の中で生きています。人が一日に歩けれる距離には制限がありますし、人間一人で生産できる物の量や種類にも制限があります。

その制限ある中で、物々交換のような原始的なことをしていれば、欲しい物を手に入れる術に手間がかかりますよね。

私たちは相互に信頼できる貨幣があるからこそ、物々交換する手間が省け、時間としての自由を頂くことができます。

2600年以上の歴史を有する日本において、資本主義社会が導入されたのはせいぜい150年とみてよいでしょう。

しかし、戦後の70年間は、資本主義社会だけが全てという幅の狭い世界を押しつけられましたので、どうにもこうにも現代人はそれが全てのように見えますが、日本の歴史から見れば些細な期間の話であると客観視できると気分が楽です(笑)

一方貨幣はというと、すんごく古くからあります。

学校でならった所謂ガチな日本最古の貨幣というのは、飛鳥時代の和同開珎と記憶されている方も多いでしょうが、(ちなみに、私たちが学習した後に、「富本銭」と呼ばれるもっと古い貨幣が見つかり、それが最古の貨幣と今はなってますが、どちらにせよ飛鳥時代です。)はっきり言ってそれが日本最古の貨幣ではありません。

現代の私たちが貨幣として認識できる形態になったものが、所謂飛鳥時代に中国大陸から持ち込まれた物であるだけで、日本はもっともっと昔から違う物を貨幣の代わりとして物々交換の手間を省いています。

縄文時代は、黒曜石が貨幣代わりに利用されていたと様々な文献で指摘されています。

黒曜石↑

つまり、ピラミッド型の資本主義社会が無くなった所で、数万年以上前から続く貨幣の利便性までが失われる訳ではないと私は思っているのですね。

とはいえ、資本主義社会の価値観に馴染んだ私たちにとって、資本主義社会が無くなることは大変不安な気持ちを持つ人も多いと思いますが、特に日本人は何の心配もいらないという私なりの理論をここではお伝えしたいと思います。

 

資本主義社会が溶けると、ようやく日本人らしい器に戻してもらえます。

私は今の時代のことを、氷が溶け出して水に戻るような現象が起こっていると表現しています。

この図の詳細(時代の変化と波動の変化【図解式】

 

そして、日本人はこの社会が溶け出すことによって本来あるべき器に戻してもらえることができると思っています。

私は本来の日本人の器の大きさはオレンジ色の円のように大きく、資本主義社会というのは、円の一番底辺にある青い三角形の社会だと思っています。

世界で最も安心安全で、あっと言う間に世界有数の経済大国となった日本なのにも関わらず、心の病気にかかってしまったり、日常が不幸に埋め尽くされてしまう日本人が多いのは、このアンバランスな器の差によって起こってしまったことなのだろうと思います。

 

キリスト教や仏教と比べて、日本人の器が大きくなる理由は簡単です。

キリスト教も仏教も人霊が最高峰となった世界観の中で生きることとなりますが、日本の信仰は、自然の中に神がいるという考え方をし、またどんな人でも生き方次第で神になります。そして、自然と人間が共存共栄を図る世界観の中で生きていますから、もっと広い視野を当たり前に付帯してしまいます。

また、キリスト教と仏教を比べた時に、仏教の方が大きな円を描くのは、キリスト教が一神教なのに対して、仏教は多神教であるという理由からです。

神は沢山いればいるほど、器が大きくなり、また何かを頂点とするピラミッド構造を観念として省くことができます。

明治の開国と同時に、日本は一気に経済大国となりますが、それはそもそも大きな器の世界観で生活していたから、相手のルールなどを見抜く力に長けていたのだと思いますし、西欧が作ってきたものをすぐに真似た後に、もっと進化したものを作り出せる力を必然的に持ち合わせていたのだと思います。

戦後世代の私たちは、雁字搦めに資本主義社会こそが全てだと思わされて、それを信じて生きてきましたが、そうではないということにそろそろ気がついて良い頃だと思います。

元々日本人は最も大きな器の中で生きることが性に合ってることを思い出し、取り戻すタイミングに入っていると思います。

そして、気がついた後にやることは簡単です。

日本人らしい和(輪)の感覚を持ち直し、日々を生き、経済活動をし直せば良いだけだと思います。

縁を大切にして、円(お金)を使えば、経済活動は潤滑に回るでしょう。

本当にそれだけのことだと思います。

そして、日々の生き方においても円(丸)の世界を意識して、生きるということだけで随分違ってくると思います。

図の左みたいにね。

そういった考え方を根底に持ち、そして日々の生活の中でそれを発揮していくことで、ピラミッド型の社会の考えに完全に洗脳されてしまっている人たちも目を覚ますきっかけになっていくと思いますよ。

特に、ロスジェネ世代なんて、今まで資本主義社会の恩恵なんてどっちにしろ受けてないんだから(笑)張り切って、輪を重んじた世界で円を作って、古くて新しい社会観念の先駆けになっちゃえば良いんじゃないかな?って私は思うよ(^_^)

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