【史観を鍛えよう】歴史の見方は一つじゃないよ♪

先週の水曜日2/21は、

毎月第三水曜日に開催させて頂いているおとな塾☆ビリーブリセット講座の日でした。

気がつけばもう8回、全10回の講座も残り2回を残す所です。

今日は第8回の講座テーマで「~おじいちゃんたちが戦った大東亜戦争と向き合おう~」と戦争を扱った理由についてお届けしたいと思います。

まさか…沖縄からのオブザーバー

本題に入る前に、ちょっと寄り道♪

今回は、体調不良でお休みされた講座生の方がいましたので、スタッフ含めて6名での学びでした。

体調不良で講座生がお休みされてしまうのは仕方ないとはいえ、少し悲しかったですが……今回びっくりすることが一つありました。

実は今回の講座にはわざわざ沖縄から、ビリーブリセット講座に足を運んでくださった尊い方がいらっしゃったのですヽ(*’0’*)ツ。

講座生の皆さんも「えぇぇぇ~わざわざ沖縄から?」ってもちろんなって。

連絡を頂いた私も「本当にいいんですか?」ってもちろんなりました(笑)

沖縄から来て頂いた価値があるものなのか、来て頂いて良い物なのか悩む部分はあるのですが、来てくださった方は「楽しかった」と言ってくださりほっとしました。

ようこさん、わざわざ沖縄から来てくださいまして本当にありがとうございました♪

 

苦手な戦争を直視する意味

さてさて本題。

今回は、多くの日本人が最も苦手とする「先の大戦」を通して、史観を鍛えるという試みの学びを展開しました。

前回の資料をほんのちょっとだけお見せします。

私が一般的に「第二次世界大戦」と呼ばれている戦争のことを「先の大戦」と呼ぶのには、実は理由があります。

それは、「第二次世界大戦」と呼ぶか、「太平洋戦争」と呼ぶか、それとも「大東亜戦争」と呼ぶかである一定の史観が生まれるんですね。

「第二次世界大戦」は、世界共通的な用語になっていますが、基本的には欧米史観。

「太平洋戦争」は、米国史観。

「大東亜戦争」は、日本史観となります。

私はどれかの視点に限定して言葉を発するときは、上記の戦争名を使いますが、史観の植え付けをできれば避けて、「あった事実だけを共有したい」という思いで言葉を発するときは、できるだけフラットに事実をお伝えするために「先の大戦」という呼ぶようにしています。

先の大戦において、3つも呼び方があることを知らない人がいるかもしれませんし、ましてや「大東亜戦争」という呼び名を見るだけで嫌悪感を抱く人もいるかもしれません。

それはなぜかと言えば、戦後生まれの私たちは、学校教育でそのような心持ちになる教育を誰しも受けています。

そして、太平洋戦争と呼ぶ「米国史観」だけが正しいという植え付けをされてしまっています。

米国の立ち位置で先の大戦を見つめれば、太平洋戦争と呼ぶことも、私たちが植え付けられた歴史観も間違ってはいませんが、それだけが正しいという立ち位置で物事を見つめると、非常に視野が狭まれてしまいます。

だから、今回の講座を通して、先の大戦一つとっても歴史には色んな見方があるということをお伝えするためにテーマの題材として先の大戦を選びました。

 

史観を鍛える意味とは何か?

史観を鍛える一番のメリットは、一つの情報や歴史を色んな角度から見る癖を作れるということでしょう。

私たちは見える世界を得意とし、そういったものは立体的に情報を受け取ることができます。しかし、思想や考えを含む歴史という見えない世界のこととなると、理解に必ず制限が生まれます。

ちなみに、見えない世界というと多くの人はスピリチュアルや不思議なことと思われがちですが、私たちが日夜扱わなくてはならない情報というものは、思想という見えないものを扱う、見えない世界の一つです。

私たちは見えない世界が苦手です。だから、一つの史観だけでは情報の範囲に制限があるため、多くの史観を集めて、情報を立体的に扱う必要があるのです。

先の大戦のそれぞれの史観をピラミッドに当てはめて表現するのならば

第二次世界大戦と呼ぶ欧米史観は、ピラミッドを真横から見た△の世界かもしれません。

太平洋戦争と呼ぶ米国史観は、ピラミッドを上空から見た□の世界かもしれません。

大東亜戦争と呼ぶ日本史観は、ピラミッドを内部から見た暗闇の世界かもしれません。

史観というのは、それぞれが見える世界からの正論であります。しかし、それだけに特化すると全体像が見えてこないのです。

歴史や情報というのは、できるだけ多くの情報や見方を合わせていくことによって、本当の形が見えてくるものだと思います。

しかしながら、多くの人たちは、ある一つの見方に拘り正義を振りかざし、自分だけが正しく他は間違っているといった思想の限定を図ろうとしています。

先の例にならって、一つの史観だけの考え方で情報を見つめていった先には、立体型のピラミッドは表われるでしょうか。

きっと表われないですよね。

特に日本は、戦後の自虐史観が潜在意識の奥の方まで入ってしまっている人が多いので、客観的な事実として見えてくる幾つかの戦争史観を比較して、思い込みを外す必要性があると思います。

そういった思いを込めて、今回は視野を広げる学びの時間に徹しました。

これは、先の説明みたいな感じで、私が一生懸命史観について説明してるところ。

それから、日本の先の大戦に対する歴史観において最も欠けているのは、戦場となった東アジアの人たちから見た戦争史観です。

一番抜けている客観性だと思うので、ここは特に長めに勉強しました。

このことについて参考になりそうな記事貼っときます。↓

というところで、私の出番は終わって先生にバトンタッチ☆

 

 

高山先生の史観は、古事記の時代まで遡ります。

高山先生は靖国史観を教えてくださったのですが、その史観のお勉強は、なんと古事記の時代まで遡りました。

日本の歴史はとても長いので、先祖が積み重ね続けてくれた歴史をきちんと紐解いていかなければ、真実に辿り着かないという側面があります。

そのような教養を持った上で、歴史を語るのか。

それとも、学校で習ったことが全てとして、歴史を語るのか。

それとも、テレビの情報だけで、歴史を語るのか。

情報の深みが全く違ってきます。

 

私たちは小中高と12年もの長い時間をかけて勉強をさせられますが、自虐史観ばかりを勉強させられて、祖先たちが2600年以上もの長い時間をかけて育んできた知恵は学ばせてもらえません。

大人になって心の迷い子が増えている理由は、本来大人になる前に教養として身につけておくべき日本のことが分からないまま大人にさせられてしまった結果なのではないかなと私は思っています。

こんな事を言うと、自虐感思想を教育させる社会が間違っていると憤りを感じる人もいるかもしれませんが、どんなに怒ったとしても過ぎ去った時間は取り戻せません。私たちが今できることを今することによって、後世の子供たちはこのような苦しみや心の迷子になることなく、立派な大人になってくれるかもしれません。

その為に、今私たちが頑張るべきかなと思って、私は高山先生と一緒にこの講座をやらせて頂いております。

一応来月中旬くらいから、第二期生の募集はかけようと思っているので、ご興味がある方是非参加してくださいね。

それから、情報に立体性を持たせる必要性に関する関連記事も貼っておきます。

 

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