【偽スピ落とし穴②】幸せの種類も違うけれど、正直の種類も違った件

さっき不甲斐ない記事を上げてみたら、

ちょっとだけ分かったことがありました( ´艸`)

さっきと同じように尻つぼみな記事になりそうな予感は……既に今してるのだけれども(;^_^A

私のブログだしね。

ほんの少しでも私の整理をするために書くね☆

そっか!正直さも違うんだ!

スピリチュアルな分岐点のことについてさっきの記事でうつらうつら書いていたのだけれども(敢えて人に読んでほしい記事ではないので、リンクは貼らないけれど(笑))

その時に、スピリチュアルにはまって苦しむことになる人と楽しくなる人の分岐点はどこだっけって考えてたんだけれどね。

ちょっと前にそんな記事書いてたの思い出した!

 

 

スピリチュアルな世界に没頭するにあたって、一番気をつけなきゃいけないのは、

所謂「自分」だと思っている存在には、大きく二つの意識があるのね。

あくまで私独自の言葉の表現による括り分けなんだけれども、

私は「自分」と「自我」を別物として考えているの。上の図みたいに。

自分とは、然の一として感じられる心

自我とは、然をのものとして感じてしまう心

 

よく漫画なんかで天使な自分と悪魔な自分が出てきたりするけれど、雑な言い方をしてしまえば似たような感じかな。

現代に生きる日本人の多くは、自我(我欲・エゴ)が肥大化してしまっているので、本来の自分と偽物の自分である自我(我欲・エゴ)を携えて生きているの。

そしてね、その違いが分からずに、ひっくるめて「自分」だと思い込むことから、色んな事を間違えてしまうことが起きているの。

まずはそれが分かるようになることが第一かなと思ったので、改めてそこにフォーカスし直した記事を書いてみるね。

上手に書けるかな?

頑張って書いてみるね。

 

必ず我欲の方が外側にある。

私は自分の心の中身を何年も一生懸命分析して続けてようやく気がつけたんだ。

自分という存在よりも、自我という存在の方が外側にあるって。

だから私が心を図形で表現すると必ず、さっきみたいな図になる。

 

我欲が外側にくるの。

我欲の領域が広くなってしまっている人ほど、この我欲からの押し寄せてくる衝動に自らが翻弄されて、コントロールできなくなるのね。

本屋に行くと、どこまで行っても終わりようのない「幸せ探し」の本が幅を効かせているのは、結局このことが理解できないままに著者が本を書き、そして編集者も読者もみんなここにはっきりとした区別ができないから、全てがごっちゃになってしまってより問題の深刻さを深めているように思うの。

私は何度も自分自身を検証し直してみました。そして、私の読者さんの中で実践してくれている人の後ろ姿を後追いしながら検証もしました。その結果、大凡この解釈で間違いはないように思います。

私たちの心は本来自分という存在だけが意識を持てばいいだけのはずなのに、なぜか全く自分ではない自我という意識が幅をきかせてしまう事態が起こっているがために、おかしなことになっています。

しかも内観した時に、先に現れるのは自我の欲求であるため、なかなか本来の自分というものに人は出会いにくくなっているのも問題です。

自我というのは、人と自分を区別するために人間として必要な機能であり器官の一つではありますが、自我の機能強くなりすぎた結果、そこに新たな意識が宿ると、人間は苦しみが強い人生を強制されるようになります。

ただね、実は簡単に見抜ける方法があるの。

それを今から書くね。

 

未来の主人公、それはどっち?

人は必ず未来を描きます。

その時に主人公として存在しているのは、自分でしょうか。それとも他人でしょうか。

自分だけの幸福が強く投影される未来は「自我」によって成り立っています。

自分以外の多くの人の幸福を願う未来は「自分」によって成り立っています。

一般的に使う語彙が全部自分になるから、とってもややこしくなるのは承知の上で書くのだけれども、

自分が主役の未来、自分が前に立つ欲望などが強く顕われている時は、その要望に従えば従うほど、苦しい未来を演出してしまうことになるの。

 

宇宙の法則は「出したものが返ってくる」で成り立っています。

スピリチュアルな分野ではよく「出したものが返ってくる」っていうのは定説というか常識で、実際これは本当の話です。

だからね、今一度よく考えてみてほしいのだけれども、それはね

出す相手はどこなの?

ってこと。

宇宙も地球も全ては、自分以外の何かがあって必ず成立するもので、出すということは自分以外の何かに、何かを出すということなの。

その出したものが綺麗に返ってくるの。

なのだけれども、地球は他の星と違って色々ややこしい事情があってね(笑)

この単純な因果応報の法則ですら、宇宙が上手く返せないことになってたから、ややこしい解釈でややこしい現実が作られたけれども、それ、もう終わったから。

詳しくはこちらの記事で↓

 

結局ね、自分の事が、自分の気持ちだけが前に出てしまう人は、どこまでいっても「出す相手」が「自分」なの。

本来宇宙というのは、「相手を喜ばせたら、自分に喜びが返ってくる」ように行動の主体となるものは、絶対に自分じゃないの。

自我(我欲・エゴ)にコントロールされている人も、目先で見える現実は、誰かしらの相手に何かを捧げているような行動は確かにしていると思うよ。

でもそこにはきっと、無自覚であっても損得勘定が働いて動いていると思うんだ。

相手を喜ばせたら、自分にお金が返ってくる……みたいなね。

本来はそうじゃないの、全ての自我を取り払って、素直な気持ちに従って、自分すら捨てて、相手の心の底を喜ばせることで、ようやく自分にも喜びが返ってくるの。

でもね、不思議なことにね自我にコントロールされている人たちは、自我と自我が結びついた損得勘定の中で、「出したものがそれなりに返ってくる」っていう檻の中だけで通用するルールが成立するから質が悪いの。

またまたさっきと同じで、私の気持ちがどんどんグルグルしてきたけれど、もうちょっと頑張って書いてみます。

 

とにかく言いたいことをまずは言おう!

つまりね……。

自我が前に立って、自我が自分をコントロールしている最中では、全ての心は真理と逆に作用するの。

例えば正直さも全部逆の形で作用する。

あなたにとって正直になることが、他人とって我が儘に見えるのなら、その多くは自我によるものなの。

いいこと言った!と思ったのに……

言った瞬間から、地球ならではの面倒くさいルールがもう一個あったこと思い出しました。

本当の自分に従って正直になってみても、自我が多い人の場でそれを出すと、親が自我の支配下にある人だったりすると、正直になると、キチガイ扱いされる(>_<)

忘れてたけれど……そうだった。

もう!!!!!!!

すっかり忘れてたいろんなことが沢山あって、丁寧に言葉綴らなきゃってもちろん思って書いているのに、書いても書いても誰にでも伝わる間違いないのない文章なんて…………(/_;)…………書けないんだなって、さっきから何度も自己嫌悪…………(/_;)

 

全部は上手く書けないけれど、どこかにいる誰かの開眼にもしも繋がっていたら幸せです。

やっぱり上手く書けなくてごめなさい。

 

今日のリンクまとめ