【児玉】これは日本の数奇を賭ける一大事だぞ!

2017年12月15日

ここはもう

児玉源太郎になりきって

感じたまんまにお伝えします。

 

なぜだ!なぜ分からないのだ!

「なぜだ!なぜ分からないのだ!」

と児玉さんは怒っております。

ちなみに児玉さんとは

日露戦争を勝利に導いた影の指導者、児玉源太郎さんです。

 

なんかいろいろあって、児玉さんの本を読まなきゃいけない感じになって、そして児玉さんの気持ちがきちんと私の体に入ったら、なぜか児玉さんが児玉さん的に言いたい感じがひしひし私の体の中に入ってきてしまいまして、私自身もうこれは発散せずにはおられない変な衝動に……もうかれこれ一日中かられておりまして、だからもう児玉的に言いたいこと全部ここで発散する的な感じにしちゃいますね。

あくまでこれは私が児玉さんの本を読んだらそういう気分になったってだけの話で、これはチャネリングとかそういうことではないっていうことを十分加味して読んでくださいね。

では始まります。

 

私は、今の日本人がもどかしくてもどかしくて仕方がない。

私が死んだ後に、日本が敗戦したことくらい俺は分かっている!

敗戦するということはどういうことが待ち受けているかくらいも、私は分かっている!

でも悔しい、私は今でも悔しい!

なぜ、日本が負けたのか。

負けざるを得なかったのか……そりゃ君たちよりも、分かる理由は沢山ある。すこぶる沢山ある。

指揮官がエリート思想に陥ったまま、収集がつかなくなった。

はっきり言うが……単純に器が小さくなり、勇気が減ったからだ!。

もっと言えば、己の国の事よりも、自分の立ち位置に終始してしまう輩が増えすぎてしまって収集つかなくなってしまったからだ。

思えば、確かに私の時代は、ありがたかった。

私が若いのに、出自もままならないのに、未完成な空間だからこそ、私は引き立てられる環境があった。

環境は整えば整うほど、本来必要な不規則な動きをする人間を排除する傾向にある。

そして、なぜだかそれが己を苦しむことになるとは露とも思わないのだ。

本当に毎度毎度不思議だ。

私の時代にも現代人と同じような人はもちろんいた。でも、大方少数だ。大方少数だからこそ、私がいたし、みながいた。

 

さぁ言う

はっきり言うぞ!

 

日本人は型にはまってはならぬのだ!

もう一度言うぞ!

 

日本人は型にはまってはならぬのだ!

 

いつもいつもだ。

これは日本人の悪い癖だ。

 

己に従え。

しかし、間違うなよ。

己の小さな自我にはまるのではない。

己の奥底にある小さくある真我を捉えるのだ。

それは大我とも言う。

己の全ては道具であると心得て、忠義に尽くせよ。

ただそれだけだ。

今の世は、誰もが己が己がと言っている。

それほど滑稽で、それほど惨めで、それほど愚かなことはない。

どうでも良いのだ、そんなこと。

 

己の幸せは、もっと大きな世界の上で成り立っておるのだぞ!

その世界を成り立たせることでお前はあるのだぞ!

どうした、

どうした!

さぁ どうした!!!!

はっきり言ってみろ!

 

お前の幸せなぞ、その世界が崩壊したのなら、にっちもさっちもいかぬぞ。

その実感すら湧かぬ、浮世の道楽にお前らはうつつを抜かせれているからこそ、何が何だか分からぬのだ。

 

己を捨てるこそが幸せ

なかなか自分等捨てることはできぬ。

そんなことはよくよく分かっている。

でもな、分かる。わしはよぅわかっておる。

なかなか自分等脱ぎ捨てることはできぬが、たまに脱ぎ捨てて、我という存在を忘れて大儀の為に動く恍惚感を。

それが忘れらぬ。

それを一度味占めたのなら、一生忘れられぬ。

一生離れられぬ。

己など、大儀や大我の前ではどうでも良い存在である。

そして、脱ぎ捨てて見せてみた時、

それは芋虫が蛹になり、

その蛹が殻を破り蝶になった恍惚感がある。

あれほど気持ち良いものはない。

あれほど気持ち良いものはないのだ。

 

どうか日本人よ

どうか日本人よ

我、子孫たちよ。

己の幸福の為に、己を脱ぎ捨てよ。

無駄なプライドや無駄な虚栄心や無駄な自己欲求をすべて捨てよ。

己の欲求は、己を脱ぎ捨ててれば全て過ぎ去る。

何がどうだろうと、それが一番手っ取り早くて楽なのだ。

己など最初からなかったものだと思えばいいのだ。

己など、ただのロボットなのだと自覚し、己全てを捨てた時、その時にようやく己も恐ろしいと思うほどの、自己の力に初めて気が付くのだ。

だから己など最初からなかったと申すのだ。

己など最初から存在せぬ。

己などという者は、そもそもの幻想だ!!!!

 

以上である。

 

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